私は、救われますか? ~十字軍の令嬢騎士が、敬愛する騎士団長と共に不毛な聖戦を生き抜く、ダークファンタジー宗教戦争恋愛小説~
大久保 裏海
第1話 妹と兄
「ねえ、いつまでも、こうしていられるのかな」
私は昨日着ていた服に袖を通しながら、何気なくつぶやいた。
「何それ。いつか終わるみたいな言い方やめてくれよ」
私の兄トメンは、さっきまで私も横になっていた寝台の上にまだ寝そべっていた。
「呑気だよね、兄さんは。今日だって、この部屋を出るのを誰かに誰かに見つかるかもしれないのに」
兄の部屋には、丁度よく全身が映る大きな鏡がない。仕方なく私は、この部屋に置きっぱなしにしてある自分の手鏡を器用に動かして変装の具合を確認する。髪をまとめて馬丁の被るような帽子の中に入れ、胸周りをきつく縛れば、遠目には少年に見えるはずだ。
「たとえそうなったって、俺はランクテを手放したりしないよ」
兄はのっそりと上半身を起こす。私が身支度を終えた頃になってようやく起きる気になったようだ。
「ちょっと。それはこっちの台詞だよ。怠け者の兄さんには私がついてないとダメなんだから」
「おいおい、ダメってなんだよ。俺はいずれロアフォーレン侯を継ぐんだぞ」
「もちろん、そうなってもらわないと困る。そしたら、私が兄さんを守るの」
私は神秘術を使うための聖雲石を、腰につけた袋越しに触った。
「俺も、お前の騎士姿を楽しみにしてるよ」
そう言いながら、兄は後ろから抱きついてきた。
「あっ、こら兄さん。今着付けてるのに」
「まあそう急ぐなよ。もうちょっとゆっくりしてけばいいのに」
そりゃ、私だって出来ることなら一日中ここに入り浸りたいけれど……。迷ってるうちに、兄の手は私の体の表面をなぞり、次第に私的空間に近づいてくる。
「しょうがないな……きょう午前にお母さまから呼び出されてるから、それには行かないといけないけど」
「どうせ大した用じゃないさ」
「そうだね」
私は振り向きざまに兄にさっと口づけをする。兄は私の腰に手を当てて体を密着させながら、横歩きで寝台へと誘導してくる。たしかに侯族としての予定など、午後の槍稽古を除けばどれも下らないものばかりだ。私は素直に寝台の上に沈みこんだ。
「でも、朝食に揃って遅刻してくのはまずいからね。私が帰った後、兄さんはもうしばらく寝坊してて」
兄は「わかったよ」と言いながら私のさらしをずらしてくる。彼の肩に置いていた腕の力を抜いて、私は相手のすることに身を委ねた。
*
「ランクテ。お前の嫁入りが、決まった」
母フェリーカは威厳たっぷりに、言葉を区切りながら告げることで場の雰囲気を自分の支配下に置こうとしているようだった。
「嫁に行く気はないと再三申し上げています。私は騎士です」
対照的に、私は元来早口だ。
「ランクテ、今度ばかりは、この話を無下にしてもらっては困る。お相手となる、バールロット侯のご子息は、私たちよりずっと都に近く、中央の政治にも通じて……」
「いざという時、援軍を集めて助けに来てくれるかもしれないと、そう仰りたいんですよね?」
私が先回りして言うと、母は「分かってるんじゃないか」と、苦い粉薬でも飲み下したかのような顔をした。
私の故郷であり、母の治める広大なロアフォーレン侯領は、シュレーン王国の東北端にズィーメリー王国と接する形で位置し、北部のロア地方と南部のフォーレン地方を併せた広大な土地を有している。そのため、野心的なズィーメリーの騎士たちとの小競り合いが常に絶えず、領境の警備に緊張を強いられていた。私たちが住むロア城は、政治の場であると同時に、親衛隊含む常備兵をいつでも出動させられるように作られた前線基地でもあった。
「なら、家のために協力してくれても……」
「お母さまはいつも、他領から兵を借りることばかり考えていなさる。少しは、自分たちの駒で自分たちの領地を守ることもお考えになってよいのでは?」
「ズィーメリー騎士どもが結託したら、ロアフォーレンの兵力だけでは……」
「私なら、フォーレンフェルの丘に誘い込みます。複雑な地形で混戦に持ち込んだ上で敵の大将を……」
「人が喋り終わる前に、喋りだすな!!」
私の口答えに耐えかねて、母は大声を上げた。
「ランクテ。家と家とを婚姻で繋げるのは、女にしかできない業なんだぞ。幸せなことではないか」
ユイ家は祖父の代に男児が誕生せず、そのため母は他所から今は亡き父を迎えることで家を繋いだ。そういう自身の経験が発言の元になっているのだろう。しかし私にしてみれば押しつけがましい。母の言葉を、私は無視した。
「お前。嫁に行きたくない、別の理由でもあるのか」
私は引き続き押し黙っている。
「それは、トメンと何か関係があるのか」
「お母さま、御用がそれだけなら、私はこれで失礼します」
「待て誤魔化すな。近頃、兄妹で仲が良いようだが、まさか……」
踵を返して執務室の扉に行きかけた私は、再び母に顔を向けた。
「ご心配には及びません。私と兄さんは、お母さまが考えるような関係ではありません」
「なら、縁談について頭ごなしに否定することないじゃないか」
頑なに拒絶しすぎるあまり、疑われてしまったということか。少しは空気を読んで、勘ぐられないようにしないといけないな。
「分かりました。婚姻の件、考えておきます」
*
「最早お母さまはかなりの疑いを持っていらっしゃる」
その夜、私は兄の部屋を訪れていた。
「それがどうした。この際、はっきり、俺たちの関係を公にしてしまおうじゃないか」
兄は考えが少々粗雑なところがある。私は首を横に振った。
「今はまだ早いよ。みんな理解してくれずに、お母さまと同じことを言ってくるに決まってる」
「どうせ、みんなの理解なんて得られないに決まってる。堂々としていればいい」
「待ってよ!」
今まで侯領内での二人の立場を危うくしないために全力で気を遣ってきた。
「考えてみて。お母さまだっていずれ年をとって隠居なさる。兄さんが当主になれば、私たちのこともみんな認めざるを得ない。その時までに、少しずつ私たちに有利な状況を作り上げていけば……」
「どんだけ先の話をしてるんだ。俺はそんなに待つのは嫌だ」
兄の言うことにも一理はあった。母は足が悪くなってきているとはいえ、まだ四十になったばかりだ。引退するのはまだまだ先だろう。
「……分かった。ちょっと考えさせて」
「うん」
しばらく、気まずい沈黙が流れた。私はおもむろに立ち上がると、変装のために髪をまとめ始める。
「おいランクテ、今夜も泊まってくんだろ?」
「いや、今日は無理。自分の部屋に戻るよ」
「え、なんでだよ。いいだろ」
「あんまり長居すると、また怪しまれる」
もし母が本気で疑いをかけてきているのなら、私の動行に探りを入れてきている可能性があった。
「私たち、しばらく会わない方がいいかも。兄さんも、疑われるような言動はやめてね」
廊下で誰か見ている者がいないか確認しつつこそこそと部屋を抜け出ていく私の姿を、兄は寂しそうに見つめていた。
*
兄と会わなくなったぶん空いた時間を、私はひたすら武術と神秘術の稽古に注ぎ込んだ。それしかやることがなかったし、体を動かしていれば余計なことを考えずに済む。稽古の相手になるのはだいたいいつもパールシャ・ウェ・カットンという初老の騎士だった。ユイ家の姻戚にあたるこの重臣は、私が騎士になりたがっているのも理解し、必要な知識や技術を教えてくれていた。そのうち、稽古以外でも困ったことがあればなんでも相談するようになっていた。もちろん兄妹間のことは内緒だが、私とパールシャは固い信頼関係で結ばれていた。
「もう私じゃお嬢さまには到底敵いませんな」
パールシャが槍を脇に置いて汗を拭く。武術の中で、私がいま集中して取り組んでいるのは槍の扱いだった。馬を軽やかに乗りこなすのは得意な私だが、重い長槍を振り回すのは苦手だったからだ。
「いいや、私は若さで押し勝っているだけだ。お前の技術には遠く及ばない」
私の突きが軽いからか、彼に簡単にさばかれてしまう。いま一番取り組んでいる課題点だった。
「またご謙遜を。技といえば、お嬢さまは神秘術にも精通していらっしゃる。戦場に出ても十分通用なさるのでは?」
「そんなこと、戦場に出てみなければ分からないよ。それに、ズィーメリーの奴らと本気でやり合うなら、武術と神秘術どちらも兼ね備えているくらいでないと」
私も防具を外し、蒸れた練習着をつまんでパタパタと扇ぐ。汗ばんだ肌に当たる春の風が心地よく、心配事を吹き飛ばしてくれそうだ。
「お嬢さま、最近何かお悩みでもあるのですか?」
「え……分かる?」
「はい、まあ。時おり難しい顔をなさいますので」
そんなに、いつもと違う顔をしているだろうか。自分の眉間を触ってみる。
「よければ、また私が話を伺いますよ」
「ありがとう、パールシャ。だけど、今回は一人で解決しなきゃいけない問題なの」
「それはまた、どうして」
「お前に迷惑がかかってしまうから」
ははは、とパールシャは心底おかしそうに笑った。
「何がおかしいの」
「私の心配までして下さるとは、お嬢さまはご立派ですな。いえ、皮肉で申しているのではございませんよ」
「分かってる」
たしかに、私がこの老練の騎士に気を遣うなんて、なんだかおかしい。けれど、兄との秘密ばかりは打ち明けるわけにはいかない。パールシャの主君はあくまで母で、秘密を打ち明けた上でそれを母に黙っていろと言うのは、すなわち主君に隠し事をするのを強いることになる。そんな苦難を与えたくはなかった。
「もしかすると、お嬢さまはもう、お一人で我々の考えもつかないことを成し遂げる力がおありなのかもしれませんね」
「そこまででは……」
その時、城の柱の陰を、キャハハハと耳障りな黄色い笑い声を上げながら数人の少女たちが通り過ぎていくのが見えた。場に似合わず煌びやかな衣装を着ているのを見るに、どうやら遊女であるらしかった。
(妙だな……)
来賓の予定はない。家来の誰かが呼んだ可能性も考えられるが、良識ある家来が昼間からこんなに堂々と城に出入りさせるだろうか? とすればお兄さま? まさか。私は嫌な予感がして、パールシャに武具の片づけを任せ、遊女たちの後を追おうと走り出した。私の予想はよく当たる。だけど、今回ばかりは外れてほしい。祈るような気持ちで歩みを進めていくと、やがて見覚えのある部屋に辿り着いた。
(兄の部屋だ)
部屋の扉を少しだけ開けて、おそるおそる中を覗き込む。飲みかけの酒瓶、雑に脱ぎ散らかされた服、はしゃぎまわる遊女たち……そして、部屋の中央にある寝椅子の上で、赤ら顔の兄が半裸で遊女の一人の唇を貪っているのが見えた。
「兄さん!」
思わず私は大きな声を上げて部屋の中に飛び込んだ。周りの遊女たちが「キャッ」と驚いて私の方を見る。私は構わず兄に詰め寄る。兄に取りついていた遊女もぎょっとしたように飛び跳ねて、後ずさりした。
「……どうした、ランクテ」
感情の読み取れない、座った目でこちらを見上げてくる。完全に酔っぱらっている。
「何をやってるの! 真っ昼間からこんな……」
「時間帯が問題なのか」
「いや……私のいない隙に何をやってるのかって訊いてんの!」
兄は反省するそぶりを見せるでもなく、面倒くさそうに頭を掻きながら立ち上がった。
「俺が何して遊ぼうが、お前には関係ない」
「か、関係ないって……」
どういうこと? 頭の中がごちゃごちゃする。どこまで本気で言っているのか、私はこんなことを言われなければならない立場なのか。胸がつかえて、なかなか返すべき言葉が出てこない。
「だって、私たちは……私は兄さんの……」
「お前はもうすぐ嫁に行く身だろ。だからもう、俺たちは何でもない」
いつの間にか遊女は雰囲気を読んで部屋からいなくなっていた。重々しい静寂が、二人きりになった空間に満ちている。
「違うよ……私は、どこにも嫁ぐつもりはない。ずっと兄さんのそばにいるつもりなのに」
「だったら、なんで嫁入りの話をその場で断らなかったんだ」
おそらく、母からバールロット侯子息との縁談を持ち掛けられたことを言っているのだ。確かに、私は一度その話を持ち帰った。でも……。
「それは、あまり否定しすぎるとかえって怪しまれるからで……」
「ふん、どうだか。お前も本当は分かってたんじゃないか? 兄妹同士で結ばれることは無いって」
「何……それ……」
それが理由なの? この恋に障害が多いのは最初から分かっていた。それでも構わないと言ってくれたのは、兄の方だったのに。
「ずっと隠し通すこともできないし、どうせみんなには分かってもらえない。第一、バレないように気をつけるのがもう疲れた」
私は兄と目を合わせない。
「だから、俺たちはもう終わりだ」
「待ってよ」
「本当に、そんな理由で私を捨てるの? 私に何か悪いところがあったなら直すから、言ってよ。急に終わりとか言われても、受け入れられない……」
兄は押し黙っている。
「私、兄さんのためなら何だってしてきたよ。騎士になろうと決めたのも、そのために神秘術や武術を身に着けたのも、全部兄さんと一緒にいるためだよ。それなのにこんなの、あまりにひどい……」
「そこまでにしときなさい、ランクテ」
突如、背後から母の声がしてドキッとする。いつからそこにいたのか、母は部屋の外からこちらを見下ろしていた。みっともなく取り乱している私を尻目に、彼女は冷ややかに告げた。
「今までよくも私を欺いてくれたな。トメン、お前はしばらく謹慎だ」
「はい……」
兄が頭を垂れる。続いて、母は私の方を向いた。
「ランクテ、お前は絶縁だ。ユイ家の身分を剥奪するゆえ、どこへとも行くがよい」
「ちょ、ちょっとお待ちください」
なんで私だけ……。兄と比して過大に重い処分に、私は困惑した。兄に裏切られただけでなく、こんな仕打ちまで受けなければならないとは……。
「私に隠れて通じていた罪は二人とも同じだ。しかし、トメンは侯世子としての使命は果たしている。それに比べ、お前は嫁に行くという女としての使命も果たさず、ユイ家に何の益ももたらさない。」
「も、申し訳ございません。嫁に行けばよろしいのですか?」
嫁に行く気などさらさら無かったが、母の怒りを鎮めるため、私はそう答えた。
「実の兄と姦淫していた女など、もうどこにも出せんわ」
母はふっと鼻で笑うと、私の胸ぐらを掴んで引っ張り立たせた。
「分かったら、さっさとここから立ち去れぃ!」
*
愛があれば乗り越えられないものはないと信じていた。だが、兄は同じ想いではいてくれなかった。私のことを信じきってはいなかった。馬で針葉樹の森を駆けながら、私は何度もえづいた。喉がつまりそうになるほど悔しい。いや、本当は私の方が自分の愛の確かさを信じきれなかったのかもしれない。兄に言われたことが頭の中で反復される。なぜ、縁談をその場で完全に断らなかったのか。確かに、そうすることもできたかもしれない。本当の覚悟があれば、父に遠慮することなど何もなかったのだ。もっと、私が信念を貫いていれば……。考えてももう何にもならないことが、ぐるぐると頭の中を駆け回る。馬の背にしがみつくのもしんどくなって、大樹の近くで馬を降り、崩れ落ちるように腰を下ろした。とにかく今は休まないと。休んで、これからどうしていくかを考えよう。
着てきた服が汗でぐっしょりと濡れ、春風が今は少し寒い。城を出てからどれくらいの時間が経っただろうか。激情にまかせて随分馬を走らせてしまったけれど、いま自分はどこにいるのだろうか。森の中に一人でいることは結構危険だけれど、もう私にはどうでもよかった。今は、この体の疲れに任せて眠りに落ちてしまおう。そう思って、木の幹に体を預けて目を閉じかけた時……
「おい、そこにいるのは誰だ?」
松明の光の中に浮かび上がったのは、見慣れない服装の兵士たちだった。
*
どうやら夢中で馬を飛ばしているうちに、いつの間にか国境を越えてグレンシェヘト伯領内に入ってしまっていたらしい。兵士たちの訛りがかった会話を聞いてるうちにそこまでは分かった。ということは、ここはズィーメリー王国に属する。それで、私は怪しい侵入者として取り調べを受けているわけか。
「グレンシェヘト伯にお伝えしてくれ。私はロアフォーレンのランクテ・シャン・ユイだ。お願いしたいことがある」
シュレーン王国の東端に生まれた私の言葉と、ズィーメリー王国の西端に住まう者たちのとは、通訳なしで通じる。こうして私は、直近の砦にまで連れていかれたのだった。
砦を守っていたのは、グレンシェヘト伯の三男の、リューク・ファ・ヴァーグヘレンという騎士だった。こんな辺境の地にも、伯爵の身内がいたとはありがたい。私は思い切って、考えていることを彼に打ち明けてみた。
「兵を集めてロアフォーレンを攻める?」
リュークは信じられないといった様子で、目をぱちくりさせている。「なんであなたがそんなことを」
「私は不当に家を追われました。しかし横暴な母や、私を騙した兄ではなく、私こそが領地を治めるにふさわしく、正当なロアフォーレン侯であると思うからです」
私の頭にあることは一つ。ズィーメリーの兵を借りて故郷ロアフォーレンを攻めることだった。
「すなわち、あなたの実の父や兄に刃を向け、場合によっては死に追いやることになるかもしれませんが、よろしいのですか?」
リュークという男、騎士の中では温和な性格のようだ。きっと身内同士で揉めることもない人生を送ってきたのだろう。まあ、私とて、つい昨日までは平和な日々を送っていたが。
「構いません。もはや、あれらを父や兄とは思っていません」
「そうか……」
私は、躊躇する相手の背中を押すために、たたみかけた。
「三日以内に旗揚げしましょう。でなければ、奇襲が成立しません。母がこちらの動きを察知する前に、動き出さなければ」
「ま、待て。そんなにすぐには用意できません」
「集めた分だけで動けばよいのです。慎重すぎるあまり機会を逸するのでは、何もしないのと同じです」
「わ、わかりました。とりあえず、考えさせてください」
そう言ってリュークは奥へ引っ込み、私は砦の一室に閉じ込められた。
それから三日の間、ズィーメリー王国西方の騎士たちが、最低限の武器や食糧だけを持って集まってきた。有力な者としては、メルグ侯の子息アルカト・ファ・デュッセン、クッコルズ伯の子息パイシェン・ファ・マイヤー、シュヴァルラント伯の子息ハルズ・ファ・ヤートなどがいた。その中でも、アルカトは防衛十字軍で活躍した経歴があり、注目されていた。
「たしか、防衛十字軍は異教徒に負けて聖地を放棄したのではなかったですか」
私が訪ねた時、リュークは「しっ、声が大きいですよ」とたしなめてきた。
「数万規模の戦いを経験しているのはアルカトどのだけです。頼りになるはずですよ」
と告げた。
戦いの準備をすると並行して、集まった騎士たちの間で、私に隠れて三日三晩会議が行われていたようだった。議題はもちろん、私の勧めることが信用に値するかどうかだ。
「これは、我々はロアフォーレン侯領内に誘い込んで壊滅させるための罠ではないか」
「しかしあの娘の言うことが本当なら、これは大義名分を得て攻め込んでいく絶好の機会だ」
「私がロアフォーレンに潜ませている者からの情報によれば、ランクテが追放されたのはどうやら本当らしい」
「バールロット侯子息との縁談が破談になった事実もあるらしい。彼女は自身にとって不名誉な話を自ら明かしているのだから、信用性が高いのではないか」
結果、彼らは私の話を一応は信用することに決めた。
*
私がロア城を追い出されてから六日目の朝、私は再び故郷の風を浴びていた。私を名目上の総大将、アルカトを事実上の指揮官とするズィーメリー騎士たちの連合軍は、フォーレンフェルの東方に陣を敷いていた。
結局、整えることのできた兵力は千五百ほどだった。私の助言に従い、グレンシェヘット伯領をやや南方に下ったところにあるナクトの谷という、ロアフォーレン側が守備兵を数十人しか置いていないところに夜襲を仕掛けて撃破し、風のように私たちはロアフォーレン侯領内に侵入した。
「なに、ズィーメリーが攻めてきた!?」
知らせを聞いた母フェリーカは愕然とした。
「トメン、お前の謹慎はしばらく猶予だ。お前が総大将となり、敵を迎え撃て」
母は脚が悪くなっていたため、指揮を兄に任せた。とはいえ、兄の采配が心配だったのか、自分も馬車に乗って戦場に赴くことにしたらしい。ロアフォーレン軍の更新の中に両名の姿に確認できたとの情報が伝わっていた。
「ざっと、二千はいますね。向こうは」
私がフォーレンフェルの凹凸の多い地形を観察していたところに、リュークが報告してきた。なかなか目が良い。
「常備兵だけとはいえ、さすがに我々よりは多く揃えてきたな」
ロアフォーレン勢は夜のうちに、丘の頂上を左側に見て私たちと向かい合うように陣を構えた。この地を戦場とすることに同意したらしい。対する私とリュークは中央に構え、丘側の右翼はパイシェン率いるクッコルズ伯領勢とハルズ率いるシュヴァルラント伯領勢を配置し、アルカト自ら率いるメルグ侯領勢は平野側の左翼に布陣した。なるべく標高の高い位置をおさえると同時に、包囲されて補給を断たれないようにも配慮する形だ。
「アルカトさまより、準備が整った旨おしらせが参りました」
伝令がリューク、彼は私に頷きかける。私も頷き返すと、これからすぐ戦場となるであろう野に向かいひとり駒を進めた。
「ロアフォーレンの者たちよ、聞け! 私は正当な領主ランクテだ! 心ある者はみな私に下れ。悪徳の先代領主フェリーカを共に追い出そう!」
建前上は、母フェリーカはその徳の無さゆえ当然にロアフォーレン侯の地位を失い、神の意思によって私が侯爵位を受け継いだことになっていた。
これを聞き、相手側からもトメンが馬を歩かせて出てきた。
「外患を領内に引き入れた張本人が何を言う! 我が血縁といえど、反逆者は断固として討つ!」
兄の言葉は、深く私に突き刺さる。城を出たあの日から、兄のことを考えない時はなかった。自分がユイ家の何もかもをひっくり返したら、自分と兄の間の障害は何一つなくなるのではないか。あるいは、ひょっとしたら兄は自分に味方してくれるのではないか。そんな妄想をしたこともあった。だが、いま目の前にあるものが現実だ。兄は私を討とうとしている。
私は、涙がこぼれそうになるのを堪え
「よろしい。討てるものなら討ってみよ!」
とだけ言い返し、自陣に戻った。
「ランクテどの、大丈夫ですか?」
リュークに指摘されて初めて、私は自分が小刻みに震えていることに気づいた。
「私、少し怖いです。戦場に出るのは、これが初めてだから」
ナクト谷攻略の時は、私は後方で眺めているだけだった。
「えっ、初陣なんですか!? じゃあ、得意顔で作戦に口出ししていたのは一体……」
この男、なかなか失礼である。たしかに、フォーレンフェルの丘を戦場にしようとアルカトに進言したのは私だった。その上、お前は大義名分を得るための飾りなのだから戦わなくていいと言われていたところを、戦いには馴れていますと嘘を言って最前線に出てきていた。
「うるさいっ。いくさのことは知らなくても、ここの地形は誰よりもよく知ってるんです! そんなことより、早く弓兵を出してください」
リュークは「はいはい」とつぶやいてから、号令をかけた。
「弓兵、かまえーー!!」
グレンシェヘット伯領勢の兵たちがぞろぞろと前に出て、斜め上に向けて弓を構える。遠目に、ロアフォーレン側もトメンを引っ込め、弓兵を前に出しているのが見えた。
「うてェーー!」
両軍が仕掛けるのはほぼ同時だった。放たれた矢の大群は、弧を描いてフォーレンフェルのごつごつとした大地に降り注ぐ。矢が僅かに敵陣に届かないのを見たリュークは、弓兵たちへ前進を命じた。
それと同時に。
「丘に向かって走れ!」
クッコルズ伯領勢とシュヴァルラント伯領勢が兵を右方へ、丘を登らせるように展開する。ある程度移動したところで、丘を駆け降りるようにして敵側面に攻めかかるつもりだった。
「丘を取らせてはいけない。阻止しろ!」
ズィーメリー側右翼の動きを見たフェリーカは、矢の雨の応酬もそこそこにして突撃をかけることにした。鬨の声を上げて、ロアフォーレンの兵たちが戦場を駆けてくる。
「我々も行こう。槍兵、前へ!」
リュークが叫ぶ。私も従者に渡されて長槍と盾を手に取った。
「グレンシェヘットの勇敢さを示せ! とーつげーきぃ!」
リュークが先頭に立ち、騎兵歩兵がその後に続く。私は負けじと彼の背中を懸命に負った。矢が何本か甲冑に当たって跳ね返っていくのが分かる。不安と高揚感の中で、得物だけは何があっても手放すまいと握った手に力を込めた。
(来る……!)
敵の騎馬群との距離が縮まってくるにつれ、自然と自分の狙うべき標的が分かってくる。私は槍を少し持ち上げて一人の武者の方に向けると、あとは馬ごとぶつかっていくつもりで駆けた。相手も槍を構えるものの、こちらの方が狙いは正確だった。私の槍先が甲冑を突き破り、相手の胴深くに突き刺さった。
*
「中央が交戦状態に入ったか」
私がただ懸命に槍を振るっているなか、アルカトはじっと自軍を動かし出す機会を窺っていた。
「敵右翼に動きがあります!」
一人のメルグ兵が告げる。その者が目にしたのはトメン率いる騎馬隊がグレンシェヘット勢の左方向にまわりこんでいく様子だった。彼らは、リュークや私たちの側面を衝くつもりだった。
「我々はその背後を衝く。全兵前進」
アルカトはついに動き始めた。これに対しロアフォーレン側も危機感を抱いた。
「親衛隊を突撃させろ」
フェリーカは周りに命じた。
「しかし、それではロアフォーレン侯をお守りする兵が……」
「そんなものは無くていい。とにかく敵左翼を突き崩せ」
こうして、兄が私たちの半包囲を図り、更にアルカトが逆包囲を図り、ロアフォーレン侯親衛隊がこれを阻止しようとする構図が出来上がった。新手の勢力が現れる度に両軍の人馬がぶつかり合い、入り乱れる。これに加え、足元はところどころ岩の突き出たカルスト地形が兵たちの団体行動を邪魔し、戦況はますます混戦の様相を呈してきた。いまどれだけの兵が負傷し、どちらが優勢なのか、誰にも分かっていなかった。そして、そのような状況を私は望んでいた。
私は馬を走らせて少し小高い場所に出ると、辺り一帯に聞こえるように叫んだ。
「トメン・ウェ・ユイ、どこにいる!」
ちらほら、私の存在に気付いて、手を止めたり私に向かってこようとしたりする兵が現れる。私の高音はよく響いた。
「この戦い、互いに兵を損なう必要はない! 兄さん、いざ勝負!」
私が目立った行動を取るので、リュークが慌てて周りの兵を引き連れて私のところへ戻ってくる。だが私は既に感じ取っていた。戦場に流れる雰囲気の、微妙な変化を。
このまま一騎討ちを兄が受けなければ、士気に関わる。同じく雰囲気を敏感に察知した母は馬車の上から叫んだ。
「トメン! 僭称者ランクテを討ち取れ!」
すぐさま兄が雄たけびを上げながら、馬を走らせて現れた。手には私と同じく槍と盾が握られている。二人の戦いは全く同じ条件で、邪魔するものは何もなさそうだった。やがて、私と兄は十馬身ほど離れて対峙した。私は甲冑の中に仕込んだ聖雲石を上から触れ、精神を集中させる。神秘術は、聖雲石を触媒として人体の霊漿液が燃料となって発動すると考えられていた。
(兄のために磨いてきたこの武術と神秘術……まさか兄本人に向けることになるなんて)
それは、触れるものを温めることもできるし傷つけることもできる、愛そのものだった。
二人は同時に馬の腹を蹴った。ユイ家相伝の神秘術は"ガブリエルの御手足"と呼ばれる、体の動きを加速させる技で、私と兄は互いに神秘術を発動させながら接近し、すれ違いざまに常人の目には止まらぬ速さで槍を繰り出し合った。しかし、私の打突は簡単にさばかれ、反対に兄の槍が私の脇腹を突こうとするのを私は間一髪盾で防いだ。
兄との距離がしばし離れたところで馬を反転させ、再び二人は向かい合う。相手の打突の衝撃を盾越しに受けた左腕がじんじんと痛んだ。
「非力なお前に騎士は無理だ!」
兄が呼びかけを無視して私は槍を構えた。口論は要らない。反論は、兄本人を……私がかつて守りたかった者を倒すことで自ら証明する。再び馬が走り出し、二人の間合いが近づいていく。ここで、私は自分の体のみでなく、馬の走る動きをも加速させた。これは神秘術に長けた者にしか出来ない芸当であり、兄はまだこの域には達していなかった。
「あっ」
と、兄が気づいた時には遅かった。私の打突を盾で受け止めたのは良いものの、加速した馬の勢いを載せてぶつけられたその衝撃に耐えられず、兄は自分の馬の背から落ちていった。勝ったと思ったが、私の方でも勢い余って馬が右前脚を折り、私も地面に投げ出された。
「せ、背中が痛い……」
落ちるときに槍は手放してしまった。先に落馬した兄は既に片膝をついて起き上がり、腰の長剣に手を伸ばしかけている。私も急いで立ち上がって剣を抜く。兄が剣を振りかぶってこちらの脳天に打ち込んでくるのを防ごうと、私も剣を上段に構える。両者、神秘術を用いて斬撃を加速させる。しかし、もはや神秘術において私が勝っているのは明らかだ。兄が二太刀振るう間に私は三太刀振ることができた。一合打ち合いまた一合。そしてその後の三太刀目に、相手は対応することができず、私の剣の刃先が正確に兄の首元をとらえた。
「ぎゃんっ」
兄の頭部は胴体を離れて、ぽーんと空中に飛び上がった。やがて重力に引かれて落ちてくるその生首を、私は両腕で受け止めた。胸にずしんと沈み込んでくる重み。甲冑が血に染まるのも構わずに抱きしめると、私の頬を大粒の涙が伝い始めた。
「兄さん……大好きだったよ」
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