6.エチュードの醍醐味
ここでは、特定のオーディションにイチャモンをつける形になってしまって申し訳ないのだが、思ったことを忌憚なく記そうと思う。
ある日、次世代の女優発掘オーディション! みたいなテレビ番組がやっていた。
選考形式は二~三十人での集団エチュード(即興劇)だ。
シチュエーションは直前に口頭で言い渡された。
「漂流して無人島に辿り着いた女性たち。食料は弁当がひとつ」
そこでスタートのかしわ手が響く。
じりじりと物語が動き出す。
まだ言葉を発するものはなく、膝を抱えて弁当を睨み付けている女性が少し目立つが、それだけではなにを考えているのか分からない。
そして悲痛な叫びが響く。
「そんな! お腹には赤ちゃんが居るのに……!」
彼女は天才だと思った。物語に最初の台詞を書き込んだのは彼女なのだ。
そこで私は言った。
「私なら、妊婦の腹を蹴るな」
それを聞いたひとたちに鬼だ悪魔だと責められたが、間違えないで欲しい。これは『芝居』であり『エチュード』なのだ。
芝居は言葉のキャッチボールで物語が進む。エチュードだって同じだ。
上手に投げたボールを誰かが受け取って、また誰かに投げて、物語が生まれる。
誰もボールを投げなければ、そこにドラマは生まれないのだ。
最初に投げられたボールは手放しに天才的だと思ったが、そのあとそのボールを誰もキャッチしようとしなかったのは残念だった。
最終的には、妊婦が出産となり周りにいい子ちゃんたちが群がって「ヒーヒーフー」や「頑張って!」と励ますグダグダ展開になってそれ以上話は進まなかった。
「もし私だったら」というイフになってしまって意味がないのは分かるのだが、私の演技プランはこうだった。
妊婦の腹を蹴って、「これで食い扶持がひとり減ったなあ!」とあざ笑う。最初のボールを、私が受け取る訳である。
すると当然、妊婦は苦しむだろうし恨み言を言うかもしれない。ここでふたつめのキャッチボールが生まれる。
次に、いい子ちゃんは沢山居るから、きっと誰かが私のことを責め立てるだろう。
悲しみに泣き叫んだり、怒りに任せて私に危害を加えようとする者も居るかもしれない。
少なくともここまでで、みっつのキャッチボールが生まれることは予想出来るし、それぞれにスポットが当たる『見せ場』が生まれる。
ここから先は現場でないので想像がつかないが、苦しむ妊婦を助けようとするひとも居るかもしれない。
どうだろうか? 少なくとも全員いい子ちゃんよりは、『物語』が『動いて』はいないだろうか?
エチュードとはそういう頭の中の創作を投げ合って成り立つものだし、更にオーディションともなれば、ひとと同じことをやっていたのでは合格たり得ないのである。
大切なことなのでもう一度言おう。
『オーディションでは、ひとと違うことをやってナンボなのである』
テーマパークのパフォーマーの面接でも、仕事柄まさにオーディションだったが、ふたりひと組になってエチュードをした。
私たちの番になって、言い渡される。「歯医者と患者。はい!」
歯医者を魅力的に演じる方も居るだろうが、パッと閃いた構図では患者の方がオイシイと思った。仰向けになると、相方さんは歯医者になる。口を開けてわあわあとコミカルに悲鳴を上げた。
面接官から笑いが漏れた。ひとを笑わせるのは、とても難しい。だから、ひと笑いあると必ず結果に返ってくるものだ。と、もうひと推ししておこう。
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