5.怒りの芝居

 前のエピソードで予告したが、私は非常に『怒り』の芝居が苦手だった。

 声優科の卒業公演で、見た目がキツく声が低いこともあって『クラスで浮いてる不良ギャル』の役を貰ったのだが、面倒臭がりの私は人生で一度も他人に怒った経験がなかった。

 だから、怒り方そのものが分からないのである。

 家族と喧嘩になることはまれにあったが、怒っているときは勿論怒っているので、泣きや喜びと違って「よし、鏡で観察しよう」なんて思ったことがない。


 困った。切実に困った。

 仕方なく、怒っているひとを観察してヒントを得ようとしたのだが、的外れなことにダウンタウンの浜ちゃんを参考にしてしまった。

 あれは芝居でなく職人芸である。今なら分かる。

 お笑いの好きなひとなら目に浮かぶと思うのだが、浜ちゃんは歯ぎしりをするように歯を食いしばって怒る。

 私はそれを完コピした。


「ちゃんと口開けて喋って」

 もっともなディレクションである(笑)

 本当に困り果てた。


 そもそも他人に激しい怒りなど感じたことがなかったので、なんでこの不良ギャルが怒っているのかすら分からない。

「ぎゃあぎゃあ五月蠅いんだよ!」

 クラスメイトに言い放つ。

 雑誌を読んでいて顔を上げて言う台詞だったので、あっひょっとして邪魔されて怒った? と、ベースを作ってみてもよく意味が通らない。

 怒っている理由が分からないのに怒っている芝居をすることは、芝居以前の『作りごと』だ。いや本当にお恥ずかしい。


 当時の相棒がいたのだが、恥も外聞も投げ捨てて、彼女に助けをこうた。

 この不良ギャルはなんでこんなに激怒してるのか、シンプルに怒り方が分からない、と。

 十代の私は、まだこの世に喜・怒・哀・楽以外の複雑ななにかが存在することが理解出来ていなかった。

 少しお姉さんの相棒は、社会人経験もあり、優しくヒントを出してくれた。


①クラスメイトのひとりが、重い病気にかかっていること。

②本人は明るく振る舞っているのに、周囲が泣き出さんばかりに騒ぎ立て始めること。

③不良ギャルは不器用だがひとを思いやる優しさがあり、クラスメイトの会話を気にしていること。


 ――なるほど! ここでようやく、ギャルの怒りの正体に気付く。

 ギャルは、病気のクラスメイトを案じ、不必要に騒ぐ者たちに凄むのだ。

「ぎゃあぎゃあ五月蠅いんだよ!」と。


 反芻していて、改めて深いなと思ってしまう。

 当時は分かったつもりでいたが、人生経験を積んだ今なら、もうちょっと上手く演じられるかもしれない。

 流石にもう、ルーズソックスは履けない年齢ではあるが。


『その感情の正体を知る』

 それが正解に近い芝居に辿り着く道なのだと気付いた瞬間だった。

 

 今でも芝居をしていて「ここはどう表現しよう?」なんて的外れをやってしまっているが、『その感情の正体を知ろう』と、今現在初心に返った瞬間だった。

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