三ツ葉
「なぁ~~ごん」
オレが扉の隙間から顔を出すと、それに気づいた迷彩服の男の人が小さく微笑んだ。
「あっ……腹、減ってたよな。チョコ……は、猫にはダメだったっけ。こっちならいいか?」
菜白のお気に入りのクッキーの袋を、オレの前に封を切って置いてくれた。
「ありがとう……」
菜白はそれを拾い上げて小さく呟き、逆光のせいでシルエットにしか見えない自衛隊を見上げていた。
「おーい! 見つかったか?」
「いや、何もないです!」
後方からの偉そうな人の声に振り返って大声で返した自衛隊のお兄さんは、偉そうな人を見送ってからこっちを見た。
「直ぐに迎えに行くからな……――ろ」
どご――んっ!
大きな音がして、ビクッと体を竦めたお兄さんは、慌ててそちらへと行ってしまった。
「こんなとこにお肉捨てたの誰だろ。変な臭い……」
菜白の視線の先には、赤黒く爛れた肉塊のような見慣れないものが落ちていた。鼻をつく刺激臭にヒゲを顰めて、オレは肉塊に近づく。
「なごちゃんダメだよ。そんなの食べたらお腹壊しちゃう。早くママ達探しに行こう」
菜白はオレの首根っこをつまみ上げて、リュックの中へオレを押し込める。乱暴な所作に文句を言いたくなって、オレは口を開いた。
「確かにあまり美味しくないな。ねぇ、菜白。窮屈だから出してよ!」
「もう。しょうがないなあ。でも、なあちゃんから離れたらダメだよ? 迷子になっちゃうから……」
リュックを一度地面に置いて、菜白はオレを抱き上げてリュックから出してくれた。その時、両手両足がぐんぐん伸びて、オレの目線が菜白よりも少しだけ高くなった気がした。
「菜白の方が迷子になりそうだけど? 分かった」
オレが体を身震いさせて伸びをすると、少しだけ縮んだ菜白と目が合った。菜白は口をあんぐりと開けて目を見開いて、オレを見つめて固まっている。
表情の違和感に首を傾げて、オレが顔を洗おうとすると、そこにあったのは人間の手だった。
「えっ……えぇぇぇぇ――っ!? な、なごちゃんどうしたの? 男の子になっちゃった! お喋りも出来るの?」
菜白の言葉で自分の変化に気が付いたオレは、玄関の下駄箱の鏡へと目を凝らす。オレは鏡に向かって手を伸ばして、鏡をペタペタと触る。続いて自分のほっぺたをむにんと摘まんでみた。
鏡に映る、黒髪で黄色目の少年は鏡越しに同じ動きをして、頬を摘まんだ。確かに人間になってしまったらしい。
「うん。そうみたい。菜白。雨が降るかも。急ごう?」
身体に纏わりつく湿気の気配に顔を撫でて、オレは菜白へと手を差し出す。頷いた菜白がオレの手を握り返してオレ達は小学校横の公民館を目指した。
「なんだか凄く散らかってるね。ゴミ収集車でも転んだのかな?」
「かもね。足元気を付けて」
道端には無数の瓦礫が散らばり、あちこちから炎や煙が上がっている。道路が陥没し、酷い臭いがそこら中に漂っている。オレは袖口で口元を押さえて瓦礫の上を菜白と乗り越えて歩く。
「みんな暑いのかな? どうして服のまま入ってるんだろう……」
小学校の目と鼻の先、菜白が立ち止まって眺めている小学校のプールには、顔を突っ込んだまま微動だにしない人々。膨れ上がりプールに浮かぶ人形。そこはどろりと濁った汚水で満たされていた。
「臭いの原因はあれか……」
「う……うぅっ……シロちゃ……み、ず……水、を……」
菜白の水筒にどこからともなく手が伸びて、驚いて身を引いた菜白の足元に力なく落ちた。
「えっ? 磯山の……喉が渇いてるの?」
男女とも判別出来ないドロッとした人型から発せられた自分のあだ名に恐る恐る足を踏み出して、菜白が不器用に水筒の蓋を開けようとする。オレは震えるその手に自分の手を重ねて首を振る。
「虹の橋を渡っちゃったみたい。行こう?」
力尽きた人型を気にしながら菜白はのろのろと歩き出す。
「アレは何? 人? それとも磯山の……」
「……戦争だ」
「戦争? なんで?」
「なんでだろう? 王様は大きな飛行機で飛べるでしょ? それならさ、家だって、ご飯だってちゃんとあるだろうに。人間にも縄張りが要るの?」
二人で首を傾げながら歩いていけば、小学校横の公民館へ辿り着いた。人間たちが忙しそうに動き回り、ひしめき合っている。奥には衝立もあって、その向こうから、海水とヘドロが混ざったような匂いもしている。
「あ、あのっ……なあちゃんママを探しに来たんですけどっ……」
菜白が声を絞り出すけれど、スタッフたちは気が付いてくれない。
「もうちょっと大きな声で言ってみたら?」
「いや! 恥ずかしいもん……」
二人で公民館を見渡してみるけれど、家族らしき人影は無さそうだ。奥の衝立も覗いてみる。包帯でぐるぐる巻きの人間たちが体育館のマットの上や段ボールのベッドへ転がされていた。
「ま……ママぁ? なあちゃんだよ。居る? お迎えに来たよ」
返事は無い。助けを求めるように低いうめき声が時折聞こえてくるだけだった。菜白は俯いて下唇を噛む。
「包帯で包まれてるから顔をは分からないけど、まだ探してみる?」
「もういい。ここには居ないみたい。なあちゃんのママはミイラじゃないもん。中学校に行ってみる」
家族はきっと、菜白を笑顔で迎えてくれると信じている顔だ。オレは頷いて菜白に寄り添い、再び瓦礫の海を分け入って中学校へ向かった。
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