二ツ葉
外は連日の雨模様だった。稲妻が走り、雷がずっと鳴っている。つまらなそうに外を見る菜白の横でオレも体を震わせた。やっぱり大きな音は苦手だなあ。オレは菜白のスカートの下に潜り込む。
『軍事作戦を表明している各国の首脳との会談は困窮を極めており、外務省は最悪の事態への備えが必要な所まで来ているとの声明を発表しておりますが、具体案への明言は避けており――日本の情勢も――……』
「ママ。テレビの中も雨が降ってるね。大きな音。飛行機に雷が当たって落ちないのかな?」
菜白が見つめるテレビの中には、曇った空と飛行機。雷が閃光と轟音をあげていた。こっちもうるさい。
「そうだね。いつ止むのかなあ……」
ママはテレビを消して、見ていたスマホをテーブルに伏せる。菜白の近くにしゃがむと菜白を抱きしめた。なんだかママの様子がおかしい。
「ねえ、菜白。もしもお天気の悪い日にお留守番をしていて、皆の帰りが遅かったら……小学校の横の児童館か、お兄ちゃんの中学校横のシロツメセンター。花里タウンの近く。花里中央センターに来てね? なあちゃんが学校のお買い物ごっこで使ったところ。 そのどこかで菜白を待ってるからね」
ママの震える声に違和感を覚えているのか、菜白も不安げにママを見上げている。
「本当に居る?」
「うん……居るつもりだけど、もしも居なかったらお花畑で菜白を待ってるからね」
「うん?」
かちゃりと小さな音が聞こえて、力なく玄関の扉が開く音。続いて開いたリビングの扉は、俯いた幸人を連れて帰って来た。髪と肩口が重く濡れている。
「ただいま……学校で言われたんだけど……」
開かれた唇の端から水滴が落ちた。ママはさっき伏せていた自分のスマホを確認して、奥のバスルームから洗い立ての香りがするタオルで幸人を包む。
「お帰り……寒く、無かった?」
「…………」
いつも通りの優しい声。けれどなんだか息苦しくて、オレはググっと体を伸ばして幸人の足元にすり寄る。しゃがんだ幸人がオレをぎゅっと捕まえた。オレは幸人の頬に肉球を押し付けてやった。
「幸お帰り~。どうしたん?」
ママが差し出したスマホを覗き込んで、お姉ちゃんはママの顔と丸まる幸人を交互に見遣った。
「なあちゃん。あっちでなごむと遊んどきな? この間なごちゃんに買ったおもちゃあったでしょ? 届く?」
「うん! なごちゃん行こ~!」
置いてきぼりで不思議そうに瞬いていた菜白に声を掛けて、オレのおもちゃがしまってある場所をお姉ちゃんは指差す。菜白は笑顔を見せておもちゃを取りに行く。
オレは深刻そうなママとお姉ちゃんを見遣って、菜白に付いていった。オレが守ってあげないとね。
「二学年における、自衛隊研修合宿と実地研修のご案内……これって……。なんで幸が。意味わからんし。お母さん。ウチがお父さんに知らせて来る」
和実はやや駆け足で、仕事中のパパの部屋へと消えていった。程無くして乱暴な足音が聞こえて、奥の部屋からパパが出て来た。
「どうしてうちの子なんだ……ちょっと抗議して来る。幸人。行くぞ」
「えっ……あ、うん」
声は静かで冷静なのにパパの声色には、マグマのような塊が隠れていた。足早に出て行く二人を見送って、ママがその場に崩れ落ちる。
「本当に……どうして幸が……。じゅ、準備しないと……だよ、ね。ううっ……」
「荷物多くなりそう?」
「多分ね」
「それじゃあウチも……」
ママの目は赤く潤んでいる。その肩を擦りながら、お姉ちゃんがママに寄り添っている。やっぱりおかしい。おもちゃをオレに力なく振っていた菜白。
家族の不安が伝播しているようで、大きな瞳を揺らしながら、泣きそうな顔でリビングの二人を見つめ、近づいていく。
「ごめん。なあちゃん。お腹空いちゃったかな? お兄ちゃんちょっと旅行へ行く事になったから、ママお兄ちゃんの準備のお買い物をして来るね。なごちゃんとお留守番していてくれる?」
「いや、行っちゃダメっ! なあちゃんも行く! 行くのっっ!」
菜白はママにぎゅうっとしがみついて、怒りながら泣いている。困ったように眉尻を下げたママが、しがみつく菜白の背中を宥めるように擦った。
「あ、えっと……」
「なあちゃん。ねぇねとかくれんぼしようか? なあちゃんとなごちゃんが鬼だよ」
「かくれんぼ?」
「そ、かくれんぼ。安全そうなのは……お風呂場かな。なあちゃん。お風呂場で数えて。なごちゃんも一緒にね?」
お姉ちゃんが突然提案したかくれんぼ。確かに硬いタイル張りのお風呂場はお湯がなければ安全かもしれない。でもどうしてだろう。
「いーち、にー、さぁーん、しー……」
ゴロゴロゴロゴロ……ドガンッ!!!!
「うわっ! なに? 停電…………!?」
空気を割るような鋭い音。その音が一瞬で止めば、残ったのは耳が痛くなるような真っ暗な静寂だった。
反射的にオレを抱きしめて丸くなった菜白がゆっくりと顔を上げる。俊足の泥棒でも入ったのだろうか。お風呂場から顔を出すと、家具は倒れ、窓ガラスは割れていた。
ママが準備していたのだろう。火を消された油鍋の方にはママのお気に入りの食器棚が倒れていた。
「怖いよママ。ママ? ねぇね? もう探しに行くよ? どこ――?」
家具の間の僅かな隙間を縫うようにして菜白は家族を探し始めた。みんなの部屋、押し入れやクローゼット。家中を歩き回るけど何処にもみんなの姿は無かった。
「お腹空いたよ……ママ。ねぇね……もうかくれんぼおしまいっ! 出て来てよ!」
願いを込めるように菜白は虚空へ悲痛に叫ぶ。いくら待っても誰の返事も返ってこなかった。
「うっ……ぐすっ……うぇ――ん! うわぁぁぁぁ――んっ!」
天井を見上げながら菜白は大声でしばらく肩を震わせて泣きじゃくっていた。オレは菜白に寄り添うように菜白の足元へ体を擦り付けた。
「なぁ~~ごん!」
「ううっ……ずびっ……ぐすん……ひっくひっく……」
菜白はオレを抱き上げて、濡れた頬を押し付けて来る。もう。毛皮が濡れちゃうじゃないか。しょうがないなあ。
オレはぺろぺろと菜白の頬の水滴を拭ってやった。擽ったそうにしていた菜白は泣き止んで、何かを思い出したようにピタリと止まる。
「そうだ。ママお買い物……小学校、中学校。それからえーっと……花里タウン! なあちゃんがお迎えに行かなくちゃ……行こう。なごちゃん」
リビングを見渡し、お気に入りのリュックをテーブルの下から見つけ出すと、菜白は置きっぱなしだった水筒を持ち上げた。
ブルルルルーカラカラカラ――。
聞きなれない音にオレは耳をひくんと動かして、菜白を見上げて菜白の腕から飛び降りた。誰かが迎えに来てくれたのかもしれないよ。
「なぁ~~ご」
「あっ! なごちゃん待って!」
走るオレを追い掛けて、菜白は玄関の方へ向かい、少しだけしか開かない扉の隙間から恐る恐る外を見る。
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