【完結】クローバー(仮)

いろは えふ

一ッ葉

 菜白(なしろ)は小学校一年生の女の子だ。色白で目がくりっと大きく、ぽってりとした小さな唇はおしゃべり好きの彼女のためによく働く。


 いつも仕事が忙しいパパの息抜きも兼ねて、ごく近所。家の真裏にある小さな丘の上へと家族全員でピクニックに来ているところだった。


「にぃにのへたくそー」

「うるせー」


 菜白の歳の離れた兄、幸人(ゆきと)は中学生だ。同学年の男子より背が高く、がっしりとした体型をしている。人好きする兄は、家族の中で一番妹を可愛がっている。


 気を遣える人柄ではあるものの、些か不器用で。菜白に強請られた花冠を作ろうとするも、一向に上手くいかず、一輪繋ごうとする度に、端からぼろぼろと花がこぼれ落ちていく始末だ。ああ。また落ちてる。


 妹である菜白に不器用さを指摘されれば、ムッと唇をへの字に曲げて、分かりやすく悔しがり、菜白を睨みつける。負けじと睨み返す菜白と兄の間には一触即発の空気が流れていた。


「菜白ー。幸人ー。お弁当食べるよー!」


 その空気を飽和させたのは、いつも通りに間延びした二人のママ、美与(みよ)の声だった。兄妹の母親はふっくらとしており、童顔。体型も相まって穏やかな印象を与える。


 兄妹は同時に声のする方へと視線を向けて、シロツメクサの群生地の頂上から、ママへと手を振る。ママの方へ駆け下りようとして、老夫婦とぶつかりそうになってしまった幸人が、慌てて頭を下げて立ち止まった。


「あら? 今日は家族仲良くピクニック? よかねぇ」

「す、すみませんっ! そ、そうっす」

「幸は相変わらず元気がよかね。また顔ば出しに来なっせ。白ちゃんも。美味しかつば用意しとくけんね」

「白ちゃんは今日も色白で可愛かねぇ。少し背が伸びたごたね。また遊びに来てねぇ」

「白ちゃんじゃない! なあちゃんは菜白だよ!」

「ばあちゃんは分かって言っとるとよ。白ちゃんってあだ名も可愛かろ?」

「むぅ。菜白なのにぃ……」


 菜白が人懐っこい笑顔を向けたのは、実祖父母ではない。菜白の家の向かい側に住む、磯山(いそやま)の老夫婦は、母親側の祖父母の古くからの友人だ。家が遠い実祖父母に代わって三姉弟妹をいつも気遣ってくれている。


 膨れっ面をしながらも、満更でもないといった風な菜白の表情。夫婦は頬を緩めて、幸人がぶつかりそうになった事を気に留める様子もなく、元気な兄妹を眩しそうに見つめていた。


 磯山夫婦に気付いた母親が、2人へと会釈すると、夫婦は笑顔で手を振って、仲良く手を繋いで反対側から丘をゆっくりと下って行った。


「菜白。リュック忘れてるぞ」

「あ! 本当だ!」


 幸人に指摘され、お気に入りのリュックを手繰り寄せた菜白は、作り掛けの花冠をリュックへと突っ込み、水筒を肩から掛けて兄と共に弁当を広げる家族の元へと駆け下りて行く。この花くすぐったい。


「ちょっと幸。また菜白とケンカしてたわけ?」

「幸。お前はもう少し、兄としての自覚を……」

「あ――っ! 腹減った! 菜白も腹減ってたよな?」


 菜白とは年の離れた高校生のお姉ちゃん。和実(かずみ)は、高身長で可愛らしいショートカットだ。意思の強そうな瞳は、菜白同様にくるんとしており、ユニセックスな雰囲気を持つ。


 無精髭を生やし、疲れたように腫れぼったい奥二重を瞬かせながら、兄を注意しようとしたパパの拓己(たくみ)は高身長で、上の二人の高身長は間違いなく父親からの遺伝だろう。


 パパとお姉ちゃん、双方からのお小言の気配に大げさに空腹を表現して腹を撫で、菜白を隣に引き寄せて席に着く幸人。ママは微笑んで重箱を広げた。傍らに置かれたビニール袋の口から、兄妹のお気に入りのクッキーのパッケージが見えている。


 唐揚げやポテトフライ、ちょっぴり焦げた玉子焼きにポテトサラダ。サラダの上に光る真っ赤なプチトマト。姉弟妹の好物をこれでもかと詰め込んだ重箱のおかずの端っこは、いつも通り詰め込み過ぎて所々崩れている。


「うっわあ! 旨そう! いただきまっ……」

「だめっ! ちゃんと消毒してからね? お腹を壊しちゃったらどうするの? 外にはバイ菌が一杯なんだから!」


 早速唐揚げへと手を伸ばそうとした幸人を制して、ママは携帯の手指消毒ボトルを取り出した。皆は何を言うでもなく、ママの差し出す消毒液のボトルへと順番に手を差し出していく。


 いつも穏やかなママは、家族の命を守る事に関してとても過敏だ。家族の健やかな未来を常々願っているんだろうと思う。


 さっきから喋ってるオレは『誰だ』って? 家族の賑やかな声と運動会のお弁当のような美味しそうな匂い。オレはたまらず菜白のリュックから顔を出した。


「なぁ~~ご!」

「なあちゃん。またなごちゃんを連れて来ちゃったの?」

「運動会の時大変だったじゃん……」

「2人とも無事だったから良かったが、結局リレーに間に合わなかっただろう? あの後なごむを外に出さない約束をしたはずだよ。菜白?」


 不服を前面に出して口を尖らせる菜白はぷいっと顔を逸らしてリュックごとオレを抱きしめた。菜白の態度にパパの表情が険しくなる。しょうがないなあ。このままじゃ楽しいピクニックが台無しになっちゃうよ。オレが一肌脱いであげるか。


 オレは真っ黒な毛づやの背中を丸めて伸びをする。リュックの口からパパを見上げて首を傾げてみせた。おねだりする時は目をちょっと潤ませるのもポイントだ。いつもよりも少しだけ高い声で。


「なぁ~~んご♡」

「ふふっ。なごちゃんももっと日向ぼっこしたいみたいだね」


 ママの言葉に、パパはぐっと何かを飲み込んでオレを抱き上げて膝に抱えた。ほらね。上手く行ったでしょ?


「じゃあ。改めて。みんな揃って?」

「いただきます!」


 ママの問い掛けに皆が手を合わせて声を揃える。暖かい光がとても気持ちいい。オレがパパの膝で丸まろうとした瞬間。


「あ! クッキーなあちゃんのっ! にぃに食べちゃダメ!」

「もう食ったもんねっ!」

「うわぁ――んっ!」

 

 菜白が水筒を飲んでいる間に幸人が小袋のクッキーをあっという間に食べてしまった。菜白が秒で泣けるのはどうしてなんだろう。高い大声にオレは耳を伏せて様子を見る。この大きな音はいつもちょっと苦手。


「もうっ! またケンカしてっ! まだ数分も経ってないよ!」

「幸……大人げな」

「ほら、菜白。こっちのをあげるから」

「やだやだ! あれが良かったんだも~~んっ! なあちゃんのクッキーなのにぃぃ~~!」


 頭が痛いと言わんばかりにママが額を押さえて、お姉ちゃんが呆れたような視線を向ける。パパは菜白にチョコを差し出しながら幸人を睨みつけていた。幸人は気まずそうにお茶を口一杯に含んでごくりと飲み込む。


「ごめんって。今度同じの買ってくるから。な?」

「約束?」

「おう」


 ジト目で幸人を見つめて確認した菜白は頬の空気を抜いた。本当に泣いてたのかなあ。


「夕方から天気が悪いらしいな」

「えー。通学だるい」

「少しあっちが曇ってるかも。降られる前にさっさと食べちゃお」

「チョコ食うかな?」

「駄目っ! 猫にチョコは毒なんだから絶対あげんな」


 皆は頷いてママのお弁当に舌鼓を打つ。お姉ちゃんが止めてくれたお陰でチョコはオレの口には入らない。オレは菜白に貰った猫用クッキーを頬張る。


「お父さん。食べ終わったら本買いに行きたい」

「分かった。じゃあ、みんなで花里タウンへ行こうか」

「やったあ!」


 オレは穏やかな時間にくあぁと口を開けて欠伸をひとつ。

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