第7話

 雨が、降っていた。

 銀の糸のように細く、静かに降るその雨を、寺の濡れ縁で二人、見上げていた。寂啓と植親の、二人で。

「何の、因果であろうかなぁ」

植親の目から、はらりと涙が一筋、零れて落ちる。それ以上は落ちない、一粒だけ。それが、植親が自分に許した涙の数。

 屋形では、泣けない。だからこうして、寺で泣く。それは、植親の昔からの癖であった。寂啓にはある種、見慣れた光景ではあるが、見慣れていても、心の痛みがなくなるわけでは無い。逆に、それはより一層強く感じる。

 そうして、植親が涙を落とすような哀しみはいつも、誰の力を以ってしてもどうにもならないことが多いからだ。どうにもならない、どうにもできない。その虚しさと無力感が心を苛む。それが親しい相手であれば尚更に。

 双子が二つを数える年になる頃、父母は双子の異常に気付いた。薬師に見せると、はっきりはわからないが、白鳳丸は目を、鳳凰丸は耳が利かないと言われた。赤子はそもそも口が利けない。年の頃二つであればそれなりに言葉を発するが、大人ほど的確に物を言えるわけでは無い。それはつまり、自分の状況を伝えられないということだ。それゆえに、はっきりとは言いかねるというが、ほぼ確かであろうと思われた。

 当然、それが生来のものか、あるいは病によるものかは分からない。それでも、双子はそれまで大きな病気はしていない。病によるということは考えづらかった。

 そして、その疑いは乳母達にも向いた。つまり、人為的な要因がある可能性だ。

 だが、植親は二人を信頼していた。家中に疑いの声が上がっても、彼女等を責めなかった。

 そして、寂啓も当然、二人を庇護した。寂啓は知っている。乳母達は双子の異常を早くから感知していたことも、自分が北の方の心中を慮って口止めしたことも。寂啓はそれらをすべて話した。

 そうして、二人の尽力もあり、彼女達の疑いは早々に晴れた。そして、いらぬ重荷を背負わせたと、丁寧な詫びとともに、褒美を上乗せされたのだった。

 しかし、二人ははそれを受取ろうとしなかった。

「私たちも、哀しいのです。どうしてあんな可愛らしい赤子にそのような運命が課せられたのか……」

そう言って二人はまるで自分の子供を思うようにはらはらと涙をこぼし、上乗せ分の褒賞を祈祷や治療のために使ってほしいと言い出した。

 それを見て、最早彼女らを疑うものなどあるはずもない。しかし、そんな周りの思いもむなしく、如何な医師に見せても、如何に加持祈祷を繰り返しても、彼らの目と耳が治るものではなかった。

 そのこともまた、それが双子が持って生まれたものであり、誰の所為でもないということを示していた。

「……何故、と、問うても致し方ないのやもしれませぬな」

寂啓は雨を見つめながら言った。

 雨は暗い空から降る。

 はらはらと、涙のように。

 そう思うのは、人だからだ。

 哀しみをそこに見るのも、人だからだ。

 雨にはそのような意識はあるまいが。

 人の世を見る誰かの目線にも、そのような意識もあるまいが。

「そうだな。誰も悪くはないのだろう。生まれつきのものであるならば、それはあの子らが生まれる前の世から持ってきた業なのやもしれぬ」

人は輪廻転生を繰り返すという。死の次には新しい生があり、その生が終われば市が訪れ、その先にまた別の生がある。その中で、時に生まれる前の世界で昇華しきれなかった業を次の生に持ち越すことがあると言われている。

「今の子ら自身の、ということも、ありましょうなぁ」

「うむ。それもあるやもしれぬな。だが、それを背負うには余りに幼かろう」

業、というのとは、また少し違う。輪廻を繰り返す中で、その生において何を学ぶかは違うのだという。それならば、あるいは、目が見えぬこと、耳が聞こえぬことを子ら自身が選んできているのかもしれない。

 どの道、証明できる手立てなど、ありはしない。そして、それを言ったとて、何も変わらない。

 雨の音がする。

 その音を、鳳凰丸は聞くことはない。

 銀色に降る雨の色を、白鳳丸は見ることもない。

 それでも、感じること、はできるのかもしれない。雨がそこにあることを。その気配を、匂いを、空気そのものを。それは、目が見えて、耳が聞こえるものよりは、よほど強く感じられるのではと思う。

 それはそれで、彼らの能力と言えるのかもしれない。

 目と耳と。その感覚を当たり前に持って生まれて来るものと、違う感覚で世界を捉える。それがむしろ、寂啓らには必要なのではないだろうか。

「植親様」

「んん?」

「あの双子をどうなさるおつもりですかな」

そういわれて植親は目を丸くした。

 そこで初めて、目の前で起きたことの因果に気を取られて、これからのことに思いが至っていなかったことに気付く。

「要らぬ、とでも、申されますか」

「否、」

植親は反射的にそう言って、すぐに口を噤んだ。

 そうなのだ。

 当然のことだが、目が見えない者、耳が聞こえない者は武士としては戦場に立てない。戦えない者は、戦場にいる意味はない。そして、武家にそのようなものは要らないのだ。

 しかし、本当に意味がないのだろうか。戦場に立てないことが、そのまま武家に生まれた意味をも無いものにしてしまうのだろうか。

 それが分からないまま、双子の人生を決めるような決断を、今してしまって良いのだろうか。

 まだ、二人は赤子だ。何ら自分たちで決めることもできない。それどころか、自分らの身に起こっていることすら理解していないだろう。そして、これからどう育っていくかもわからない。あるいは、目も耳も、機能するようになるかもしれない。その可能性も無くはない。子供はどんな子供であれ可能性の塊なのだ。そんな子供を、大人の事情だけでどうこうするか決めていいはずがなかった。

「否。否、だ。これは、儂の考えにすぎぬがな、あの子らを自らの子として受けると決めたのは、我らの業であると思うのだよ。障りを持って生まれたのがあの子らの業なら、その子らを育てる業は我らが背負うべきものだと。それ故、これからも共に生きて、共にその意味を探していこうと思うのだ」

馬鹿な考えかもしれぬが、と、言って、苦笑する。しかし、そこにも、我が子に対する底抜けの愛があるからだ。揺るぎない、子らへの想いがあるからだ。

 そんな植親を、寂啓は眩しそうに見つめた。僧である寂啓はずっと独り身で、この先も妻も子も持つ気は無い。つまり、妻子に対する情は、知らぬままで生きて死ぬことになる。そのことに異論はないが、時折それがひどく寂しく感じる。ある種、それを癒してくれるのが、植親であり、植親が感じている家族への情、そのものであるといえた。植親が感じる情を追体験することによって、自らもその想いを仮に感じることが出来る。寂啓はそう思っていた。そして、それもまた豊かなことであると思った。

「そう申されると思うておりました」

「うん」

そう答えて植親は雨粒が岩にあたってはじけるのを見つめていた。そして、目を閉じ、何かを身の中に含みいれるように大きく息をした。

「うん」

息を吐きながら、もう一度、そう言って、空を仰ぐ。

 そうしてゆっくりと目を開けた。

 仄かに笑みを形作るその、少し滲んだ視界で、雨雲がゆっくりと割け、光が差し込むのを見ていた。

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