第4話

それは、十年前の、暑い夏の日のことであった。

「住職!寂啓殿!」

寺の前の長い石段を駆けあがってくる人影があった。

 山門を掃除していた寂啓はぎょっとしてそれを見た。夏の暑い盛りである。木漏れ日程度の日差ししかないとはいえ、暑いことには変わりはない。その中をこの石段を駆け上がるなぞ、自殺行為に等しい。

「植親様、危のうござります、駆けてはなりませぬ!」

そう声をかけるも、植親は止まらない。一息に石段を駆け上がり、寂啓の傍まで来てやっと止まった。荒い息の下で何かを懸命に伝えようとしているが、何を言っているのか分からない。

「とにかく中へ。お話はそれからお聞きいたしまする」

そう言って寂啓は寺の中へと植親を導いた。


「ふー、」

水を飲み、一息つくと、植親はぱっと顔を輝かせた。

「生まれたぞ。男子だ。それも二人。兄青龍丸の良き支えとなるだろう」

そう言っていかにも喜ぶ植親だったが、寂啓はその顔に一縷の陰りを見た。

「それはそれはおめでたいことにござりますな。して、お方様は」

寂啓がそう言うと、植親は茶碗に伸ばした手を引っ込めた。

「……少々、難産でな。やはり、二人同時は堪えたか……臥せっておるよ」

「それはいけない。早うお戻りを。殿のお顔を見せて差し上げることが何よりにござりましょう。当方でもお方様が一日も早くお元気になられますよう、祈祷致します故」

「まこと、それを頼みに来たのであった。先に言われてしまったな」

植親はそう言って立ち上がった。

「何か、滋養の付くものを食べさせよう。何より心が落ち着くように、気を配ろう。三人も男子を生んでくれて、まこと、良き妻を得た」

「それはお方様にお伝えくだされ」

「そうであった、そうであった」

そう言って植親は不安を吹き飛ばそうとするように笑った。その様子を寂啓は静かに見ていた。

 その視線を感じてか、植親は振り向いた。そして、もう一度座ると、寂啓の手を取った。

「何卒、よしなに」

「祈ることしかできませぬが、精魂込めて御祈祷申し上げまする」

年の頃は寂啓の方が十ほど上ではあるが、二人は何故か気が合い、若い頃から親交が深かった。穏やかな気質である二人は、書物のことで語り合い、囲碁に興じる仲であった。

 そうして、お互いを最良の友として認めていた。

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