あの花を咲かすのは、あなた

@d-van69

あの花を咲かすのは、あなた

 河川敷の端にひっそりとたたずむ古木。花も葉もなく、まるで枯れたようなその木の下でうずくまっていた時、声を掛けられた。

 僕は途方に暮れていた。大きくなったら可愛くなくなった。ただそんな理由で飼い主に捨てられたのだ。かれこれ一週間、水以外のものを口にしていない。

 吠える気力も逃げる体力もなく、のろのろと顔を上げると、お爺さんが僕を見ていた。

「どうした。腹、減ってるのか?」

 彼は食べかけのアンパンを差し出した。その匂いに体が勝手に動き出した。一口でそれを平らげた僕の頭を、お爺さんはよしよしと言って撫でまわした。感謝のしるしに千切れんばかりに尻尾を振り回して見せた。

「お前、独りか?なんなら、うち来るか?」

 人間なんて信用できないと思い知らされたはずなのに、もう一度だけ信じてみようと思った。それほどに、お爺さんの笑顔は穏やかで慈愛に満ちていた。

 それからと言うもの、お爺さんは常に僕をそばに置いた。少し姿が見えないだけでもすぐに名を呼ぶほどだ。

「ポチ、ポチや」

 その古めかしい呼び名はさすがに勘弁してほしかった。僕にはレオって名が……。いや、やめておこう。それは過去のことだ。よく考えてみればポチだっていい名前じゃないか。

 返事をすると、お爺さんは嬉しそうに頭を撫でてくれた。一人暮らしが長かった彼はずっと孤独でいたらしい。だから僕のことは新しい家族と思っているようだ。それは僕にとっても望ましいことだった。家族なら、きっと捨てられることもないはずだから。

 

 散歩の時は楽しくてつい我を忘れてしまう。調子に乗って走るうち、リードが重くなった。おやと思い立ち止まると、お爺さんはぜいぜいと息を切らしながら膝に手をついていた。

「どうかしましたか?」

 通りすがりの女の人がお爺さんに歩み寄り、体調を気遣うようにその顔を覗き込んだ。

「ありがとう。大丈夫です」

 お爺さんの笑顔に安堵したのか、女性は可愛いワンちゃんですねと言って僕を見る。

「ポチって言うんですよ」

「へぇ。いい名前ですね」

 そのやりとりを僕は愕然とした思いで見つめていた。なぜならその人は、僕の元飼い主だったから。驚いたことに僕がレオだと言うことに気付く様子もない。さらに目を疑ったのは、その人が新しい犬を連れていたことだ。小さな体にキラキラした服を着せられている。

「それじゃ、お気をつけて」

 言い残してその人は去っていく。リードにつながれた小犬がちょこまかと続く。すっかり主を信頼している様子だが、僕は同情しながらその後ろ姿を見送っていた。


 出会った頃は僕の方が若かったはずだけど、5年も経つとお爺さんに追いついてしまったようだ。今では散歩も同じ歩調で、走るなんてもってのほかだ。

 僕が体力の低下を悟っているのと同様に、お爺さんもそう感じているらしい。

「わしが死んだら、お前と出会ったあの木の下に散骨してもらいたいもんだ」

 時折そんなことを言うようになった。そのあとは決まって僕の頭を撫でまわしながら、

「お前に言ったところで、仕方のないことか」

 そんなことないですよ。そう言いたかった。僕ももし死んだら同じようにあの木の下に埋めてくださいね、と。でも僕の言葉は人には通じない。だからただ、お爺さんを見つめ返すだけにとどめておいた。

 

 その時は突然訪れた。

 朝、お爺さんは冷たくなっていた。どうすることもできず、外に出てただ闇雲に吠えた。それで近所の人が異変に気付いてくれた。

 身寄りが居なかったため、役所の人がお爺さんを連れて行った。数日後、箱に入った小さな壺だけが帰ってきた。そこにお爺さんが入っているようだ。

 その時、彼の言葉が脳裏に甦った。咄嗟にその箱を咥え、走り出した。追いかけてくる人たちを振り切り河原に出る。

 あの古木はまだあった。相変わらず花も咲かず、葉も茂らない、枯れたような木だ。

 その根元に箱を置こうとしたがうまくいかず、ひっくり返してしまった。その拍子に壺の蓋が開き、中身がこぼれだす。

 次の瞬間、暖かなつむじ風が吹いた。つぼに入っていた灰が上空へと巻き上げられ、中空を漂い、古木へと降り注いだ。

 するとどうだ。今まで愛想のなかった古木が、一瞬にして満面の笑みを浮かべたのだ。

「枯れ木に花を咲かせましょう」

 どこからともなく、お爺さんの声が聞こえたような気がした。


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