三十二話 死の淵の母
見覚えのある部屋に辿り着いたアレフは天井に向かって大きな声をあげた。
「これでもっと聞きたいことに答えてくれるんだろ?」
そのアレフの言葉にいつも通りの女性の声が響き渡る。
「ええ、今までよりは答えてあげられるわ」
アレフにとってはいつも通りの声だったが、カールにとってはそうではなかったようで、キョロキョロとあたりを見渡していた。
「な、なんだ……この声は?」
カールは以前この部屋には来たが、この声は聞いたことがないようであった。が、アレフはカールのそんな様子を尻目に自身の尋ねたいことを尋ね出す。
「これはなんだ? キングバジリスクを倒して手に入れたんだが……」
アレフはポケットから透明の液体が入った瓶を取り出した。意識を失って恐らくカールが握りしめていた瓶をポケットに入れてくれたのだろう。
「それは万能の霊薬エリクサー……怪我でも病気でも何でも直せる薬よ。キングバジリスクの解毒にも使えるわ。倒したらすぐ飲むと良いわよ。じゃないとあなた死ぬわ
……ってなんで持ってんの? 死んでないの? 今持ってるってことは飲んでないってことでしょ? おかしくない?」
キングバジリスクの体液は死ぬほどの猛毒ようだった。本来なら倒してすぐにエリクサーを飲まなければならなかったのだろう。だが、知らなかったアレフは飲むこと無く倒れたので、エリクサーは手元に残ったのである。
「ああ、俺はウンディーネに治して貰ったから……」
声の疑問にアレフはそう答えた。一拍置いた後に天からの声はボソリと呟く。
「ウンディーネ……ああ、そっちの使い魔ね……」
アレフは次いで質問を投げ掛けた。
「キングバジリスクは他にアイテム落とすのか? ミノタウロスみたいに……」
キングバジリスクの落とすアイテムについてである。召喚士の指輪のように何かレアなアイテム落とすか尋ねたのだ。それによってはキングバジリスクと連戦することもしなければならないかもしれない。
「いや、キングバジリスクはエリクサーのみ落とすわ。他のアイテムが仮に手に入ってもエリクサーが手に入らなければ死ぬからね」
「まあ、それ程の猛毒ならそうかもな……」
言われてみれば確かにそうだとアレフは思った。第一あまり戦いたくの無い相手だ。落とすのはエリクサーのみと言うのはアレフにとっては朗報だった。レアアイテムを求めての連戦をしなくて良いということだ。
押し黙るアレフに対して女性の声が響き渡る。
「ねぇ、一つこっちも聞きたいんだけど?」
「なんだ?」
疑問を呈したその声にアレフが返した。
「どうやって戻ってきたの? あなたの使い魔には鉱石系のゴーレムなんていない。あの魔法陣は鉱石系のゴーレムでもいないと起動出来ないはずじゃ……」
「いや、普通に俺が投げ飛ばしただけだが……」
単純に起こした事実をアレフは述べたのだが、何故かそこには静寂の時が流れた。
「ああ……そ、そう……投げ飛ばした、ね……鉱石系のゴーレムでも動かすのがやっとのあの岩を、投げ飛ばしたのね……」
「ん……まぁいいか……お前から聞きたいことないなら俺はもう帰るぞ。他にも聞きたいことはあるが、とりあえず父さんを早く連れて帰りたい。まだあるか?」
「え、ええ……もういいわ。し、しばらく時間をちょうだい……」
「よし……じゃあ父さん、こっち」
その声を聞いたアレフはカールを第一階層への魔法陣へと導いたのだった。
「ここか……やっと戻って来たんだな……」
十年ぶりの一階層にカールは感慨深い声を漏らした。ここを抜ければバレンシアに着く。バレンシアに着けばミューズとも十年ぶりの再開も出来る。もう戻ることなど無いと諦めていたカールにとって、息子に会えただけでもありえない程の奇跡だったのだ。まさか帰れるなど思ってもみなかった。
しかし、ただ一つだけ言えることがある。カールは戻ることを諦めても、生きることを諦めなかった。それが無ければこの奇跡は起こることなど無かった。
「そうだね……父さん……」
アレフもカールの思いを察し、それ以上の言葉を返すことは出来ない。ただ、アレフもカールも足取りは軽かった。ミューズも喜ぶに決まってる。カールが戻ればミューズの負担も減り、もしかしたら体調も良くなっていくかもしれない。
遺跡ダンジョンの探索はまだまだ行っていきたいが、やはり親子三人での生活はアレフにとって懐かしく、それでいて憧れでもあった。
その生活を取り戻せるともなれば足取りも軽くなるのも当然だろう。
と街までの魔法陣に向かい歩いていると、焦った様子の見知った人物がこちらに向かい駆けてきた。
「あれ? トーマスおじさん……?」
アレフはその見知った人物の名を呼ぶ。隣の家に住むトーマスだった。
「アレフか! ルディアの言う通りではあったが……やっと戻ったか! 間に合った……いや、間に合わなかったのか……ってお前はもしかしてカールか?」
アレフの横に立っているカールを一目見て驚きの声をトーマスはあげた。
「ああ……戻ったぞ……」
静かに答えるカールにトーマスはガシッと抱きつき感慨深く呟いた。
「お前……生きてたのか……」
しばらく抱きついていたトーマスは、はっと気付いたようにその手を離し、ガシッとアレフの肩を掴んだ。
「と、こんなことしてる場合じゃない。まさかカールも居るとは思わなかったが急いで帰るぞ!」
焦った様子のトーマスに対してアレフが尋ねる。
「トーマスおじさん、何でそんなに焦ってるの?」
その問いに対して、トーマスは低く静かな声でアレフに答えた。
「よく聞けアレフ……カールもだ。ミューズの体調が至極悪い……医者の話だと、ここ数日がヤマらしい。もしかしたら今にでも……」
トーマスはミューズの余命を聞いてはいたが、アレフに話していないことも知っていた。だが、こうなると話は別だ。隠しておくことをトーマスは出来なかった。ミューズがアレフのことを思って言わなかったことは汲みたい。が、それを汲みすぎて死に目にすら合わせないというのは心が裂ける。必死になって探していたのである。
トーマスが聞いていた話だと余命はもう少しあったのだが、病に侵された身体で無理をしていたのだろう。ここに来て急に体調が悪化したようだった。
だからトーマスにとっても驚いて焦っていたのだ。
「え、母さんが……」
トーマスの言葉にアレフは絶句して立ち尽くしてしまう。が、次の瞬間、カールの声ではっと我に返る。
「アレフしっかりしろ! 急ぐぞ!」
そう言ってすぐに駆けだしたカールを追いかけ、アレフも走り出したのだった。
バタン!
大きな音を立てて扉を開け放ったアレフはミューズの元へ駆け寄る。酷い汗をかいて、血の気の失せた顔色でミューズはベッドに横たわっていた。
「母さん! 母さん!」
アレフの呼び掛けに少しの意識を取り戻したかのようにミューズの右手が軽く動いた。
と、そこへ途中でアレフが抜き去ったカールとトーマスが肩で激しく息をしながら部屋に入ってくる。
「はあ……はあ……お前……は、はやすぎだろ……それに、息も切らしてない……」
呼吸が乱れきったカールがそう呟きながらミューズの枕元にそっと立った。
「すまんな……ミューズ……今、帰ったぞ……」
そっと優しくカールはミューズの頬に両手を当てる。今度は微かに目が空いたように感じた。しかし、それは気の所為でもあるかのように、ほんの少しだけであった。
ただ息をしているだけ……もう意識は無いであろうことはその場にいる全員が察していた。
その息ですらも絶え絶えであり、今にも永遠に止まってしまいそうなほど弱々しい、それ程でしかなかった。
が、そんな意識も無いであろうミューズの口から声が盛れる。
「アレフ……ごめんね……」
そう呟いたように聞こえ、ミューズの目から涙がほろりとこぼれ落ちたのだ。
その瞬間、その場に居た全員が泣き崩れる。
自分の死期を悟ったミューズが、先立つことをアレフに謝ったのだ。唯一の心残りはアレフを一人にしてしまうこと。自分の死の瞬間まで、アレフのことを気にかけたのだった。
「ごめん、母さん……俺が遺跡ダンジョンにこだわってばかりで……もっと稼いで良い薬買ってあげられれば……」
嘆くアレフは床に両膝をついた。その時、コトリと音がした。アレフの懐から何か硬いモノが零れ落ちた音だった。アレフは無意識に、その音の主に視線を送る。それは小瓶であった。
「こ、小瓶?」
アレフは一瞬、
その事実を思い出したアレフはおもむろに小瓶を拾い上げ、急いでミューズの口の中に注ぎ込む。
と、みるみるうちに血の気を取り戻した顔色になっていったミューズは、ふと目を開けて呟いた。
「あ、れ……苦しくないわ? アレフ? それに……あなた……?」
その言葉を聞くと同時にアレフとミューズは抱き合い、その二人をカールがぎゅっと抱きしめるのであった。
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