第40話:不在着信にいに

「な、菜那ちゃん。そのクロノスの祝福ってヤツ、タップできない? 指でトンって」


 俺の指示に従って、小さな指が中空を叩く。


「くろのすのしゅくふく。れべる1。じかんそうさのうりょく。れべる1では、にんいのじかんにさかぼ、さかぼのる」


「さかのぼる、だね。遡る」


「さかのぼることができる。はんさようとして、こんとろーるふのーのじかんいじょうがおこる」


 やっぱり。菜那ちゃんが子供の体に戻ったのは反作用か。


「あれ? なんかうかんできたよ?」


 中空を指さす菜那ちゃん。なにか浮かぶ? どういうことだ。と思って彼女の小さな指がさす場所を見て、俺は絶句した。文字が浮かんでいる。ARじゃない。俺にも見える文字。


『反作用は2日おき。命に別条のある時間異常は起きない』


 黒い煙のように。読むと消えた。ちょっと待ってくれ、と声を出しそうになって、


『大穴の向こうのダンジョン4階層踏破時に、時の欠片を授ける。今現れている反作用を抑える効力を持つ』


 新たに浮かんだ文字に瞠目する。内容を脳に刻む。ハタと気付いてスマホを取り出して、カメラに収めようと……その前に消えてしまった。ならば、と。すぐにメモ帳を立ち上げ、一心不乱に書く。忘れないうちに。


「にいに?」


「うん、ちょっと待って」


 メモを書き終えると、ふうと息をついて、菜那ちゃんを見下ろした。


「……ななちゃん、だいじょうぶなの?」


「あ、ああ。もちろん」


 雰囲気から自分の体のことを気にしているのを悟られたらしい。大丈夫と繰り返しながら、しゃがみこんで手を握ってあげた。

 実際、命に別状はないという文字は浮かんでいたが。信憑性の程は、正直わからない。というか、アレを書いたのは誰だ? 周囲には何の気配もないけど……クロノスなんだろうか。


 だとすれば、どこまで信用して良いのか。やろうと思えば俺たちを瞬殺できるような相手が、こういう回りくどいアプローチをしてくる。意図が全く読めない。

 愉快犯だとしたら性質たちが悪いよな。目を付けられてるってことだから、嬲り殺しにされそうだ。或いは別の狙いがあるのか。まあいずれにせよ。


「菜那ちゃんは何があっても、にいにが守るからね」


「うん!」


 それで安心してくれるのは、兄冥利に尽きるけど。実際のところ、相手がアレでは虚勢の域を出ない。まあでも1つだけ言えるのは、何があっても一緒なのは間違いない。この子が殺される時は俺も先に死んでいるハズだから。












 地上に戻ると、すぐにスマホが鳴った。なんだ、こんな時に。こっちは頭がパンクしそうなんだぞ。そんな八つ当たり気味な苛立ちと共に画面を見やると、


『敬天女学院』


 の文字。一転して冷や汗がドッと噴き出した。そうだ。完全に忘れてた。菜那ちゃんが欠席する旨、連絡しておかないといけなかったのに。そんなところに気を回せるような状態ではなかった。


「にいに、でんわなってるよ」


「わ、分かってるんだけど」


 どうしよう。なんと言い訳するべきか。朝起きたら、妹が4歳に退行していて素っ裸で自分の布団に入っていた時の対外マニュアルとか……あるワケないよな。あったら最初に開いてる。


 ツーコール、スリーコール。仕方ない。意を決して電話に出た。


「もしもし」


「あ、もしもし。新田拓実さまの携帯でお間違いないでしょうか?」


「は、はい。そうです」


「ワタクシ、敬天女学院高校の和泉いずみと申します」


「あ、どうも。新田菜那の兄の拓実です。妹の件ですよね?」


「はい。何度かお電話差し上げたのですが、繋がりませんで」


「あー、すいません。急に具合が悪くなっちゃって。病院に連れて行ってたんです。自分も気が動転していて、今の今まで気付けませんで。申し訳ありません」


「ああ、やはり緊急事態でしたか。菜那さん、真面目な生徒なので、何もなしに無断欠席はしないだろうって」


 そこでようやく和泉さんが電話口で微かに笑んだ。


「それで、ご容体は?」


「ええ。軽い貧血だったみたいです。今、病院から戻ったところでして」


 こう言っておけば、向こうも院内でマナーモードにでもしてたのかなと解釈してくれるだろう。


「しまった。診断書とか頂くの忘れてました」


「ああ、結構ですよ。1日くらい。ズル休みするような子ではないというのは副担任の私もよく存じてますので」


 良かった。ブラフだったけど、なんとか通せたみたい。私立なのが融通利いたかな。もちろん菜那ちゃん本人の日頃の行いあってのことだろうけど。


「午後からでも来られそうですか?」


 い!?


「ああ、いえ。今日はお休みさせてあげようかなと。普段から頑張り屋さんな子なので」


「ふふ。妹さん想いでいらっしゃるんですね」


「あ、あはは」


 なんと答えたものか。つい数日前まであまり会話もなかった兄妹なんだけどな。


「とにかく承知いたしました。本日は病欠という事で処理させて頂きます」


「はい。ありがとうございます。何度もお電話すいませんでした」


「いえいえ。お気になさらず。今後ともよろしくお願いいたします」


「はい、こちらこそお願いいたします。失礼します」


 電話を切る。

 ふううと長い息を吐き出す。の、乗り切った。スマホの不在着信を見てみる。3回、敬天からの着信があったみたいだ。見事に買い物をしていた時間帯だな。店内アナウンスや、菜那ちゃんの話し声なんかで掻き消されてしまったんだろう。ていうか最早、スマホに意識が行ってなかったのか。実際、車内で調べ物していた時にすら、着信アリのポップに気付かなかったワケだし。

 異常事態の割に冷静でいるつもりだったけど、全然だったな。


「にいに。せんせー?」


「あ、ああ。うん。今日は菜那ちゃんはお休みですって伝えたよ」


「おやすみ! やったー! にいに、あそぼ! あそぼ!」


 勘弁してくれ。なんなんだ、その体力は。

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