第37話:血眼パンツにいに

 毛布にくるんだ菜那ちゃんを抱っこして階段を下りた。それだけで彼女は大喜びだったけど、俺の方は子供を抱っこするのなんて初めての経験だったし、毛布のせいで足元が見えにくいしで、ヒヤヒヤした。


 両親の部屋に着くと、毛布に包まった菜那ちゃんを傍に置いて、再び子供服探し。


「ななちゃんもてつだう?」


「ううん。見てて。菜那ちゃんは監督」


 話しながらも手は動かし続ける。


「かんとく? かんとくってな~に?」


「人が働いてるのを見てる人だよ」


「ふーん」


 菜那ちゃんは生返事で、俺の顔を下から覗き込んでくる。それしちゃうと色々と隠しておくべき所が見えちゃうから、はしたないよって言っても理解できる歳じゃないよな。


「菜那ちゃん? なにしてるの?」


「みてるぅ。かんとくだから」


 な、なるほど。気にせずに作業を続ける。


「じー」


「……」


「かんとく、ひま!」


 思わず鼻から息が漏れる。まあ確かに暇だろう。気付けばごく自然に頭を撫でていた。またエヘヘ笑いが返ってくる。この笑顔のために頑張らんとな。


 と。次の収納ケースを覗き込むと……


「あ! ななちゃんのふく!」


「ああ、そうみたいだね」


 最初は下着かと思ったけど、よく見れば小さいフリルのついたスカートだった。蓋を開けて引っ張り出す。と、レギンスもついてきた。ん? ああ、これ一体になってるのか。

 続けて衣類を掘り起こしていると、靴と靴下も1足ずつ発見できたのは幸いだったが……


「おパンツは?」


「おパンツは……」


 うーん。全部掘り返したけど無いな。まあ母さんとしても思い出としてアウター類は残しても、下着までは置いておかなかったんだろう。


「ちょっとだけ我慢して、そのまま履いてくれるかな?」


「や!」


「……」


「おパンツないとすーすーしてやなの」


 まあ気持ちは分かるけどね。ただ無いものは無いので、どうしようもない。


「やぁ! や! おパンツ!」


 困った。地団駄を踏み始めてしまった。うーん。当然ながら俺に子育て経験はないから、こういう時、どうすれば良いのか分からない。


「じゃ、じゃあね。我慢してそれ着てくれたら、ジャスポで菜那ちゃんの好きなおパンツ買ってあげる。おやつも10個買ってあげる」


「10こ!? いく! ななちゃんジャスポいく!」


 何とかなったのか、これは。10個買うけど、1日で食べさせてあげるとは言ってないんだけどな。


「じゃあ、それ着てね。上は……」


 同じケースに入っていたトレーナーを渡す。


「それじゃない」


 菜那ちゃんが自分でケース内を漁り、肩の辺りにフリルのついた可愛らしいロングTシャツを引っ張り出した。


「ちょっと寒いかも知れないよ?」


「これがいいの!」


 さいですか。


「ひとりでお着替え出来る?」


「うん!」


 一応はエチケットかと思い、後ろを向いておく。まあ散々素っ裸も見てしまって、今更と言えば今更なんだけど。


 しばらくゴソゴソと衣擦れの音がして……ピタリとやんだ。

 振り向いてみる。すると、


「お、おお」


 とびきり可愛いチビッ子がいた。菜那ちゃんの子供の頃なワケだから、当たり前だけど顔立ちは整ってるんだ。更にその子が可愛いお洋服を着たら、まあそりゃそうなる。


「ななちゃん、かわいい?」


「うん。可愛いよ」


 エヘヘ笑いを浮かべて、その場でクルクル回る。スカートがフワリと円を描く。レギンスとの一体構造のおかげで、下半身全体が覆われてるから分からないけど、あの下はノーパンだ。一刻も早くパンツを買わないと。やっぱり我慢できずにスース―するのが嫌だと駄々をこね始める前に。


「じゃあ、おパンツとおやつを買いに行こうか」


「うん!」


 可愛いと褒められたのも嬉しかったのか、機嫌は上々。この好機、逃す手はない。俺は自分の着替えをさっさと済ませ、昨日のうちに買っておいた朝飯(菓子パン)を2人分、車に放り込む。その後、菜那ちゃんを抱え上げ、後部座席に乗せた。すぐさま発進。


 女児用パンツを早く手に入れたい一心だった。俺の人生において、これほど女児用パンツを求め焦がれたことはない。4歳の女の子にパンツを履かせていないという事実が、これほど男性保護者の心を不安定にさせるとは知らなかったんだ。


 だってさ。今、フワッと風でスカートが捲れてしまったら。女性なら気付く人も居るかも知れない。あの男、娘か妹か姪か知らないけど、あんな小さな子にパンツを履かせてないぞ、と。

 チラリとミラー越しに妹の姿を見る。俺の人生の行く末はこの小さなお姫様の機嫌次第で、いとも容易く監獄の鎖と繋がってしまうのだ。


「にいに、のどかわいた」


 仰せのままに、だ。運良く道端に自動販売機があった。車を一旦停車させて、運転席から下りる。お茶とオレンジジュースを買って、車内に戻った。本当は菓子パンとオレンジジュースのコンボは糖分が気になるから嫌なんだけど。と思ったら、


「ななちゃん、おちゃがいい」


「え?」

 

 オレンジジュース大好きの菜那ちゃん(17になった今でも好きだったりする)が予想外のリクエスト。まあ良いか。飲み物を交換して渡すと、俺の方はドリンクホルダーにアルミ缶を立てた。発進する。しばらくすると不機嫌そうな顔で自分のペットボトルを両手で持ってる菜那ちゃんの姿がミラー越しに映った。


「どうかした?」


「おちゃにがい」


「……」


 世のお父さんお母さんは凄いな。忍耐力が観音級に育ってるんじゃないか。というか俺の両親も、俺や菜那ちゃんのこういう時期を乗り越えて育ててくれたんだよなあ。感謝、感謝だ。


「オレンジジュースと替える?」


「うん」


 再び路肩に車を止めて、飲み物のトレード。缶の蓋を開けて渡してあげると、すぐさま嬉しそうに口をつけた。


「ぷはー」


 満面の笑顔だけど、口元にオレンジの髭がついてる。どれだけがっついたんだよ。

 ……まあ色々と面倒はかけられても、この愛らしさで全て帳消しにして乗り越えるんだろうな、親は。

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