第31話:美食兄さん

 柔らかい肉の塊をナイフで割った。ジュワッと溢れ出した肉汁には小さく脂が浮いている。切り分けた肉をその肉汁に浸し直して、垂れないように注意しながら口に運ぶ。

 口の中で溶けるように崩れる塊。また肉汁が溢れ、口内を満たした。噛むと言うより、柔らかい肉の感触を舌でほぐして楽しむような。


 美味い。本当に美味い。実はこれ、店で一番高いメニューで、俺自身、食べるのは二度目だった。一度目は入社したての頃、社長に連れてきてもらった時。俺もいつか経営者レベルとまではいかずとも、普通にこれを食べられるくらいには稼ぎたいと思ったものだ。そういう思い出の品でもある。


 だけど社長とこの肉を食うことはもうないのだろう。瞬く間に俺たちの生業は奪われてしまったから。

 そして代わりに今、妹と向かい合わせで食べている。こんな店で一緒に仲良く食事することなど二度とないだろうと思っていた妹と。人生は分からないものだな。


「こんなに美味しいお肉、初めて食べました」


 菜那ちゃんが感嘆まじりに言う。そして咀嚼そしゃくする度、唇が笑みの形に変わり、クシャリと目も細めた。


「ファットボアーの肉なんだって」


「そうなんですね」


 所謂モンスター肉なんだけど、随分と市民権を得ている。もちろんダンジョンが発生して僅か4年。まだまだ(お年寄りを中心に)モンスター肉への忌避感は強いけど、一度食べた人は虜になってしまう美味さがある。ラットなどを使った実験結果、また(自由意志で)食した人間の経過観察などを検証しても、健康被害は特に見受けられなかったという複数の機関の発表も追い風となっている。


「洋食レストラン・ОーYABUの渾身のメニューだからね」


 店主の大藪おおやぶさんがニカッと笑う。カウンター5席、テーブル3席の狭い店内、他の客が居ないのもあって、話は筒抜けだった。まあそもそも、俺が準常連くらいの頻度で通ってたから、割とよく話す間柄になってるんだけど。


「いやあ、だいぶ通ってるけど、二度目っすよ」


「ははは。若手社員さんにはキツイ価格だからねえ」


「……」


 菜那ちゃんは愛想笑いを浮かべて、俺たちの話を黙って聞いてる。


「でもまあ、こんなキレイなカノジョさん連れて来るんなら、奮発もするよな!」

 

 おいおい、おっさん。

 たしなめようとしたところで、


「キレイだなんて、そんな」


 菜那ちゃんが頬に手を当てて、照れながら言う。いや、カノジョの方を否定しようよ。


「いやいや。驚いたんだよ。彼、今まで女の子なんて連れて来たことなかったからさ。いつも職場の人と来てくれてて」


「まあ、そうなんですか! 女の子はゼロ!」


 なんで嬉しそうなんだよ。兄貴がモテないのが、そんなに楽しいの?


「……ふふふ」


 またナイフを入れて、一口切り出すと、美味しそうに食べる菜那ちゃん。さっきより一層、笑顔が輝いてる。まあよく分からんが、上機嫌なようで何よりだ。


 結局、20分後の退店まで、ずっと店主の生暖かい視線に晒され、微妙に落ち着かない昼食をとることになった。












 14時45分。再びオワコンダンジョン併設のギルドに戻って来た。おかえりなさい、と迎えられるのも微妙な心地だ。イチ利用者の事情を完全に覚えてる=当然のようにこの間、誰も来なかったんだろうという予測が立つ。


「なにを食べていらしたんですか?」


 佐藤さんが懐っこい丸顔で聞いてくる。


「ファットボアーのハンバーグです」


「ええ!? ブルジョア! 2万円くらいしませんか?」


「まあ……臨時収入もありましたし」


 会計の時に菜那ちゃんにも目を丸くされたんだよな。ただ昨日の激闘を生き延びた兄妹2人に対するご褒美みたいなモンでして。ざっと3万8000円のお会計となったのだ。


「もしかして太田のОーYABU?」


 堀川さんも首を突っ込んできた。


「知ってるんですか?」


「うん。美味しいよね、あそこ。店主の奥様、開業医してるらしくて、なら大藪はマズかろうってんで、夫婦別姓らしいよ」


「ええ? そうなんですか? どこのお医者さんですか?」


「ほら、自動車工場の脇を抜けて……」


 いつの間にやら堀川さんと佐藤さんの気の置けないトークが始まってしまった。しかしナチュラルに他人様のご家庭の話を共有するよね。女性って怖いわ。


 そこから太田市トークが始まって、数分。

 ある程度のところで、


「ちなみになんですけど、いつも昼食はどうされてるんですか?」


 俺は職員たちの昼食事情が気になったので訊ねてみた。


「え? ああ。基本お弁当ですね。それこそ太田まで降りて行くのは面倒だし、さりとてこの近辺に食事処なんて無いですし」


「やっぱり無いんですね」


 昨日、ギルドからの帰り道、メッチャ腹減ってるのに何もなくて、結局、街で食ったんだよな。


「あ、でもでも。麓にお安い弁当屋さんもあるから、買って入れば無問題!」


「そうです、そうです。なんなら昼まで潜って、太田に下りて食べるも良し!」


 必死だな。立地の悪さ(まあ致命的なレベルなんだけど)ゆえにオワコンと呼ばれてるワケだし、俺も他の探索者同様、他のダンジョンに移ってしまうのではと危惧してるんだろう。


「大丈夫ですよ、俺たち2人とも自炊してますし、最悪、何か作って持って入りますから」


「新田さん……!」


 拝むな、拝むな。

 全く。なんとも憎めないギルドだ。オワコンなのに。

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