第4話 謎の新人女優

 オーディション会場の中は、静かな緊張感で包まれていた。待合室には、様々な顔つきの応募者たちが緊張しながら待機していたが、審査員席の方が、ざわついていた。


「pandaって、何て名前だよ。最近の新人は、変な芸名ばっかりだな」ある審査員が、皮肉を込めて言った。


 隣の審査員も、笑いながら付け加えた。「ほんとだ。どこの事務所が、こんな変わった芸名の新人を推すんだろう?」


 しかし、松下純一監督だけは違った。彼は何も言わずに、ただ黙って応募者の入室を待っていた。


 やがて、ドアが開き、pandaと名乗るタツコが入室してきた。彼女の大人びた佇まいと、瞳に宿る深い情熱に、会場の空気が一変した。


「pandaさん、よろしくお願いします」松下が、礼儀正しく挨拶した。


 タツコは微笑みながらうなずき、自己紹介を始めた。「初めまして、pandaと申します。この度は、オーディションの機会をいただき、ありがとうございます」


 彼女の落ち着いた話し方と、自信に満ちた態度に、審査員たちも驚きを隠せなかった。悪口を言っていた審査員たちも、彼女の存在感に圧倒されてしまった。


 松下監督は、深くうなずきながら言った。「では、pandaさん。お待たせしました。オーディションを開始させていただきます」


 タツコは深呼吸をして、自分の持っている実力を最大限に発揮することを心に決めた。



 タツコは、審査員たちの顔を一つ一つ確認しながら、彼らが何を期待しているのか、何に重点を置いているのかを読み取ろうとした。彼女の経験豊富な目は、彼らの細かい表情や仕草から、多くを読み取った。


 指定されたシーンは、別れを受け入れるヒロインの繊細な心情を描いたものだった。タツコは、その場面に身を投じ、深い感情を披露した。涙を流しながら、情熱的な眼差しで、そのシーンを演じる彼女の演技には、生きてきた長い年月の中で積み重ねてきた経験が感じられた。


 演技が終わると、会場には静寂が広がった。その後、松下監督が拍手を始め、他の審査員たちも次々と拍手を送った。


「ありがとうございました、pandaさん」松下監督が、礼儀正しく言った。


 タツコは微笑みを浮かべて、退室した。


 タツコが部屋を出た瞬間、審査員席では大騒ぎが始まった。


「すごかった!」


「彼女、誰?こんなに素晴らしい演技をする新人がいたなんて!」


「まるで、ベテランのような風格がある」


 松下監督も、目を輝かせて言った。「彼女は、別格ですね。これまで見てきた新人の中でも、彼女ほどのポテンシャルを持った者はいません」


 審査員たちの中には、先ほど彼女の名前を揶揄していた者もいたが、その声は、どこかへ消えていた。彼女の演技には、その場にいる全ての人々を魅了する力があった。



 真希が社用車の中で、タツコの帰りを待っていた。タツコの姿が見えると、すぐに車から出て迎えた。「タツコさん、おかえりなさい!」真希が、満面の笑顔で迎えた。


 タツコは、ほっとした表情で笑い返した。「ありがとう、真希。」


 真希が気になっているのが伝わってきて、タツコは先に言った。「うまくいったわ。反応は上々だった」


「素晴らしい! タツコさん、どんなお気持ちですか?」真希は、タツコの気持ちを探るような目で見つめた。


 タツコは、しばらく黙って考え、深く息をついた。「実はね、オーディション会場に入った瞬間、久しぶりの緊張を感じたわ。でも、始まると、自分が経験してきたこと、見てきたこと、感じてきたことが役に活きてきて……」


 真希は、目を細めてタツコを見つめた。「お芝居って、それまでの人生で経験した感情を再生することですもんね?」


 タツコは、うなずいた。「そうね。もちろん、若返ったこの体も大きなアドバンテージだけど、私の経験、知識、そのすべてが今の私を形成している。本当によかった」


「その経験と知識。そしてタツコさんの人としての魅力。まさに無敵です!」


「ありがとう、真希。一緒に頑張ろうね?」



 映画のシーンは、白と黒のモノクロ画面で流れていた。昔の作品だけあって、画質や音は今のものに比べると劣っていた。それでも、その中で輝く若き日のタツコの姿は、今も変わらぬ魅力を放っていた。


 シーンは、海辺でのラブシーン。タツコは白いワンピースを身にまとい、彼女の相手役と砂浜を歩いていた。柔らかな照明が二人を照らし、潮風が彼女の髪をなびかせていた。


 松下はそのシーンに見入っていた。彼はタツコの表情や動き、そして彼女の声のトーンに心を奪われていた。彼女が演じるキャラクターは、純粋で情熱的な女性で、松下は、その役柄とタツコ自身の間にリンクを感じていた。


 映画が終わり、クレジットが流れると、松下は、しばらく画面を見つめていた。彼の心の中には、今のpandaと過去のタツコ、二つの異なる時代の彼女が重なって見えていた。


「もし……もし彼女が本当に……」と、松下はつぶやいた。彼はpandaのオーディションでの姿と、この映画の中のタツコを比べてみた。彼の心の中で、ある疑念が芽生えている。しかし、それを口にする勇気はなかった。


 松下は深呼吸をし、パソコンを閉じた。彼は暗い部屋で、しばらく考え込んだ後、ベッドに横になった。明日も忙しい一日が待っている。しかし、その夜、松下はpandaとタツコのことで頭がいっぱいで、なかなか眠れなかった。

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