三十七 終尽
シャ・ジュンから文が来たことは、神殿の
セリュは天命を果たすことはできない。そばにいる大切な人たちのことを、守ることができない。この仕事は天命ではない。でも、何も言わなかった。
高巫に、妹たちには伝えたのかと聞かれた。言っていないし、言おうなんてちっとも考えていなかった。セリュはいようがいまいが同じなので、高巫に説明して快く送り出してもらうだけでいいと思っていたのだ。少し考えて、もしあれはどこにいると聞かれたら、ずっとここにいるということにしてほしいと頼んだ。高巫は何か言いたそうだったけれど、受け入れてくれた。
エナが迎えに来てくれた。何度も、本当にいいのかとセリュにたずねた。そのたびに、もちろんです、うれしいのですとこたえた。エナはなぜか、かなしそうな目をしていた。斬られるかもしれないのに飛び込んでいくなんてと、憐れんでくれていたのだと思う。
それからシャ・ジュンに会って、小細工の詳細を確認してから、エナと旅に出た。コウ州から北へ進んだ。ロウゲツ国とカファ国の境からカファ国へ突っ込んでいくのは、いちばん近道だけれど危険だからだ。睨み合いをしていて、住んでいる人も通る人もほとんどいない。
一方でシュヌエン国とカファ国の国境には、両国が同盟を結ぶときに、お互い自分のものにはしないと取り決めた場所がある。その曖昧な地域は、どこにも支配されない人たちが緩やかに暮らしている。ロウゲツ国からも簡単に入ることができるので、そこから回り込んでカファ国に行くことになった。
エナは口数が少ないけれど、あたたかい人だとわかる。シャ・ジュンのもとで、十四のときから間諜として働いていて六年になると言った。強くて頼りになるお姉さんだった。
攻月将軍の陣に着けば、昔に黒い旗を掲げて戦った巫女と同じようにするため、
攻月将軍の陣に着いてから三日目は、「巫女」として初めての本格的な仕事だった。その夜には、シャ・ジュンの配下が国境のアンゲ砦を攻撃することになっていた。そしてそれを、「巫女」が予知することになっていた。
これはシャ・ジュンが指示したのだが、下の勝手な行為だったということにして、兵たちを引き上げさせ砦を空にしてしまった。
七日目は、ウンバン砦で火事を起こすことが決まっていた。火をつけたのはエナだ。砦に、攻月台兵のように忍び込んでいた。「巫女」は、「神の言葉」を聞いて出火を事前に伝える。この火事は、「巫女」の信頼を高めるためだけにする演出だったから、セリュがさっさと斬られていれば行われなかった。火事にあわてずに済んだかもしれない人たちには少し、申し訳ない。
そうしていると、カファ国はロウゲツ国との戦に臨むことを決定してくれた。「巫女」を、士気を上げるために使ってくれるらしいこともわかった。それなら全力で「巫女」になり、「天命」をまっとうするまでだった。
シャ・ジュンは近しい部下にだけ、作戦のことを話していた。多くの人たちには、攻月台を内側におびき寄せてから「一気に叩くため」に、攻めさせておいていい加減なところで降伏したり、逃げ出したりするようにと指示していた。中に入ってきてもらって「協力して国を滅ぼすため」とは言っていなかった。最初に落とした砦の数々は、方便を聞かされた人たちが守る場所だった。「神の言葉」を伝えて勢いをつけ、攻月台につぎつぎ落としてもらった。
砦がほとんどなくなれば、野戦だ。
このとき使う囮作戦も、知らされていた。それを「神の言葉」として攻月台に伝えてシャ・ジュンの軍勢を負かした。そしてこの野戦は、別にやらなくともよいことだった。籠城して城で迎え撃てばいい。でもシャ・ジュンによると、皇帝のために必死に戦っている雰囲気を出すことが肝要らしかった。
もちろんこの野戦で、シャ・ジュンの軍団には多くの犠牲が出る。何も知らされていない人たちにとっては、指揮官による裏切りだ。命がけで戦う人たちに対して、あまりに惨い行為だ。シャ・ジュンは雰囲気を出すなどと言ったうえ、自分たちが負けるように仕向けていたから。でも、セリュはそれに加担した。もしセリュがすぐに斬られても、ここでは間諜を使って自軍の作戦を漏らす予定にしていた。
シャ・ジュンは攻月台に「敗れ」、一度城に帰る。攻月台は、思ったとおりにシュヌエン国の援軍を得ることになっていた。北側の州はシュヌエン国に攻められて助けには来られず、
でも、そうはならなかった。
攻月台は奇襲を受けた。
そんな予定はなかった。
ありえないと思った。何が起こっているのか飲み込めず、ただ逃がされるだけだった。大事な旗を持っていくのも忘れて、こんなのは偽物だと思われても仕方がなかった。
何も教えてはもらえなかったけれど、きっと璧府だろう。シャ・ジュンの策がなんらかの形で露見したのだ。
もしも作戦が漏れてしまったら、璧府に粛清されることになると言いながら、シャ・ジュンは平然としていた。璧府は、皇帝の命令を受けて動く。皇帝は、自分が裏切ったことを知れば、必ずすぐに璧府を動員して殺すと、シャ・ジュンは当然のことのように予測した。戦のどの段階だったとしても、真っ先に首をとるよう命じるはずだと。戦をしようとしているのに将軍をひとり消してどうするのだとか、絶対に考えないと断じていた。
でも、自分は殺すだろうが、兵たちまで殲滅することはないと言っていた。指揮官が反逆者だったからといって、国境領の兵士たちをムルシュ族のように皆殺しにできるほど、ロウゲツ国に余裕はない。頭だけを挿げ替えて、国を守ってもらわなければならない。だから自分が死ねば、
きっとそのとおりになったのだ。
でも、もう作戦はずいぶん進んでいた。奇襲を受けても、攻月台はよく戦った。シュヌエン国からの援軍とともにシャ・ジュンの城を攻める手筈だと知っている。話が聞こえたから。
シャ・ジュンはもう、いないのかもしれない。璧府によってなき者にされているのかもしれない。シャ・ジュンと攻月台が力を合わせて都を落とすということは、もうないのだろう。それでもきっと、攻月台とシュヌエン国が、シャ・ジュンの城を落としてそのまま都へ攻め上るはずだ。ロウゲツ国は腐っている。コウ州の将軍にも裏切られ周到に手を回されていた。その策が途中で失敗しても、もう滅びのときは避けられないところまで迫っている。
奇襲を受けて、一度あとにした砦に戻ってきてから、黒翅隊の
頬に傷のある彼は、身をよじって悲痛な声で叫んでいた。一度目が合って、じっと見据えてきた人だと覚えていた。セリュを罵りながら、とても苦しそうだった。ここに自分などいるせいだという気がした。彼は最初から、セリュの嘘を見抜いていたのだろう。黙っていただけで。そんな人は、たくさんいたのかもしれない。
「巫女」が責められないようにするためか、そのあとから居所も戸のついた守りやすそうな場所になった。取り囲まれて罵倒されて刺されればいいのにと思った。
奇襲のあとから、グワンがそばに来なくなったことも気づいていた。黒翅隊がしんがりを務めると言っていたから、きっと残って、なくなったのだ。
本当にすべてを見抜くことができたらよかったのに、それなら死なずに済んだのになどと、倒錯したことを思ってしまう。裏切りに、戦に加担する時点で、人の命など塵ほどにも思っていないのではないのか。自分で決めて来たのに、何をしているのだろうと思ってしまうのがひどく情けなかった。見るに堪えない存在だ。どうしてこんなのと一生付き合わなければならないのだろう。本当に意味がわからない。
そして、カファ国の大神殿から迎えが来た。
シャ・ジュンの策が漏れたなら、璧府が攻月台に、シャ・ジュンに協力した「巫女」の引き渡しを要求してきてもおかしくなかったはずだ。でも先に来たのは大神殿だった。
カファ国の大神殿が、「巫女」を迎えに来た理由ははっきりと聞いていない。でも、奇襲を見抜けなかったことで責めを負うことになるのだろうと思う。
シャ・ジュンが、
でも、今はもう、役目は終わっている。できることはもう何もない。どこにでも、連れて行ってくれればいい。どうにでもしてくれればいい。
「失礼します」
不意に、白い幕の向こうから声がした。やわらかな女人の声だ。返事の前に、幕がそっと上げられた。
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