回顧宿望

三十六 閉内

 白だった。四方を囲んだ厚い布も、その向こうにいる人も馬も、まじりけのない白だった。

 砦を出てから、行列はしばらくゆっくりと進み、今は止まっていた。セリュは輿の中から出されることはなく、白い幕の内側でじっと座っている。かすかに水音が聞こえるので、近くに川があるようだ。

 人々は抑えた声で何か話しているし、馬はときどき鼻を鳴らしているけれど、にぎやかさとは程遠い。生き物がたくさん近くにいるのに、あたたかな気配を感じることはできない。幕が分厚すぎるせいなのだろうか。

 少しだけ浮かんできた不安を押さえつけて沈める。何も感じる必要はない。もう、終わったのだ。役目は終わった。これから向かう場所が、どんなところでもかまわない。


 ロウゲツ国コウ州の山奥にある神殿で暮らしていたセリュの前に、ある夜エナが現れて文を渡してくれた。それはかつての璧府大将ヘキフタイショウシャ・ジュンからだった。シャ・ジュンは、ムルシュ族が立ち上がったとき璧府大将として鎮圧しにやってきて、戦士たちを皆殺しにさせた。それでも、その首を蹴散らすセリュの様子を見たからか、それとも単に憐れに思ったからか、残った人たちを神殿に入れて命を助けた。

 仇であり、恩人であるその人が、ムルシュ族の戦いから三年後、突然セリュに文を送ってきたのだ。そこには、今自分はコウ州の将軍を務めている、計画のために力を貸してもらえないかと書いてあった。戦に協力してくれないかと。


 でもそれは、ロウゲツ国の勝利のための計画ではなかった。その逆だった。ロウゲツ国を、滅ぼすための計画だ。

 シャ・ジュンは、いつからかずっとそのことを考え、準備していたようだった。セリュに文を送るころは、もう実行直前だった。シャ・ジュンは、国内の状況を憂えて、一度国を立て直す必要があると考えていたようだ。

 ロウゲツ国の中は荒れていた。カファ国やシュヌエン国との戦がずっと続いていたし、三年前にはムルシュ族が先頭に立って大きな反乱を起こしたからだ。皇帝はこれ以上大規模に反抗されることがないよう、ただでさえ抑圧されている国内の諸部族をさらに抑えつけた。都に人質を寄越せと言った。戦を続けるために税を重くし、皇帝の墓を作り守るために厳しい労役を課した。ムルシュ族の反乱が苛烈に鎮圧されたこともあり、誰も反抗できなかった。それでも、反発は強まっていた。

 そんな国内の状態は、協力関係にあるエンヨウ帝国に悟られていた。帝国は、三つに分かれて独立してしまった半島への影響力を維持するため、ロウゲツ国を支援していた。ロウゲツ国も、勝手に独立した国のひとつではある。でも、何度か攻めても制圧できない厄介なカファ国を挟み撃ちにできる位置にあるから、味方にしておきたかったのだ。それでも、人の心が国から離れて荒んだロウゲツ国は、カファ国を挟撃するのに有効な協力相手とは考えられなくなっていった。

 そして二年前、エンヨウ帝国がカファ国に攻め込んでみたところ、敗走することになってしまった。何やら、ソンという名前のものすごい将軍がいたからだ。その敗戦と、北の遊牧国家の影響で、エンヨウ帝国はしばらく半島から手を引くことを決めた。もう当分カファ国を攻めるつもりもないので、荒れたロウゲツ国を支援する理由はすっかりなくなってしまったのだ。

 味方がいなくなり、戦を続けられる状態ではないのに、皇帝は戦をやめようとしなかった。諫言した臣下たちは投獄されたようだ。残ったのは、皇帝の意に沿う者たちだけだった。その人たちが、すでにあきらめの境地にいるのか、国の窮状をわかっていないのか、それとも死んでも皇帝についていくつもりなのかは、わからない。きっと人それぞれだろう。

 国境を任された将軍たちは、愛想を尽かし始めていた。そんな中、皇帝はそろそろカファ国と本格的に戦を再開しようと言い始めた。

 もう戦などしても敗れるだけだ。カファ国は、半島ではもっとも大きく軍団は強いし、シュヌエン国と結んでもいる。帝国に見捨てられた今は、ロウゲツ国は完全に孤立している。だからシャ・ジュンは決めた。皇帝に反旗を翻すことを決めた。


 ただ反乱を起こすのではない。

 セリュは、この人は惨いことが好きなのかと思ってしまった。信頼を置く国境の将軍が裏切るだけでも、皇帝や、国じゅうの衝撃は大きいだろうに、シャ・ジュンはさらなる激震を走らせようとしていた。

 宿敵のカファ国を使うのだ。カファ国の軍団攻月台コウゲツダイに、わざとコウ州を攻めさせる。そして深くまで入って来てくれたところで、結託する。長年の敵と手を取って、都に攻め上る。

 重要な場所を任せるくらいに信じている将軍が、三十年余り争った、どうしても潰したい敵を伴って攻めてくる。皇帝も都の人たちも、なんのことだかわからないだろう。大混乱が生じ、絶望して屈辱を味わって、陥落することになるだろう。

 周囲の州の将軍たちと協力すればいいのに、どうしてわざわざ敵を使うのかと聞くと、そのほうが、衝撃が大きいからだと即答した。ほかの将軍たちとは緩くつながっており、もしもシャ・ジュンが失敗しても一緒に処罰されることはないが、あとからまた何か考えて皇帝に歯向かってくれるだろうという関係らしい。

 なぜか少し不満に思い、ではどうして、カファ国に自国の醜態をすべてさらして、こんな憐れな国だから一緒に滅ぼしてくれと頼まないのかとたずねた。するとシャ・ジュンは、カファ国はわりと無駄なことが嫌いなのだとこたえた。謀反に協力してくれと先に言えば、都を大軍で取り囲み、無血開城させようとか言ってくるはずだがそれは不本意なこと。無駄が嫌いなカファ国を戦の勢いに乗せて、気持ちを盛り上げておいてから、ともに都を火の海にでもしようと意気投合したいらしかった。とにかく都に、皇帝に、とてつもない衝撃を与えたいようだった。やはり、残酷を地で行く人なのだろうかと思った。


 シャ・ジュンは、シュヌエン国やミモリ王国にも独自の人脈を作っていたらしい。それを使って、ロウゲツ国がカファ国と戦うとか、エンヨウ帝国に見限られているとかいう情報を流していた。彼らが、カファ国に協力することを早めに決めるようにだ。


 そしてセリュが頼まれたことは、仕上げのひと振りというか、おまけというか、とにかくそれがなければ崩れてしまうようなことではない。カファ国の建国神話を利用して、士気を上げることだ。勢いをつけることだ。

 カファ国の大神殿は、ロウゲツ国の神殿とは違って政治的な発言力もある。強い権威を持っている。そしてカファ国の神殿は、カファ国が神の意志によって作られたと、天命を受けた巫女に導かれて作られたと言っている。人々はその話を大切に思っている。

 「天命を受けた巫女」が再び現れれば、攻月台は盛り上がり、戦の機運が高まるはず。そうすれば、国内に攻月台を誘い込む作戦もうまく運ぶ。なくてもいいけれど、あったらよりおもしろいという感じだ。だからシャ・ジュンは、「巫女」を必要としていた。


 セリュは神殿に暮らしていて、巫女になるため修行していたから、浮世離れしたところがあるだろうとシャ・ジュンは考えたらしい。

『それだけではありませんよ。それよりも、あなたが聡明で豪胆な方だからです。処刑直前の状況であんな過酷な判断をして、あれだけ冷静に演じ切っていました。みなあなたの演技で衝撃を受けて、しばらく口をきけない者もいたのですよ』

 エナに連れられて屋敷まで行き、顔を合わせたシャ・ジュンはそんなことを言っていた。確かにあれは、演技だったのかもしれない。亡骸を蹴散らすセリュが錯乱状態ではなかったことを、シャ・ジュンは知っていたこともわかった。遠くから眺めていたのに。


 でも、もちろん協力してくれなくともよいし、この小細工の試みは失敗するかもしれないと、シャ・ジュンは文に書いていた。なんでも、攻月台は意外と用心深いので、「天命を受けた巫女」と名乗って乗り込んでも、信じてもらえず斬られるかもしれないということだった。命までは取られなくても、閉じ込められることになるかもしれないと。


 でもセリュは、それならそれでいいと思った。成功すれば、一族を滅ぼさせた皇帝に、復讐というものができることになる。別にしたいわけではなかったけれど、死んでしまった人たちを慰められはしないかと考えた。でもそれは、きっと格好つけた理由だ。


 セリュの存在に価値はないし、何もできないから、何者かにしてもらえるのならすがりたかった。何かを、できるかもしれない存在になりたかった。「天命を受けた巫女」というものになれるなら、そんな役割を与えてもらえるなら、すぐ斬られるかもしれなくてもやりたかった。

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