三十三 浄偽
みこさまの居所の正面にある建物へ入ろうとすると、入り口にいた番兵たちに行く手をふさがれた。「巫女」のことで隊長に話があると言うと通された。中に入るとすぐに大きな卓子があり、その周りを
「どうした、ソン
「はい」
ザオは上層部の人々に拱手してからウェイゴンに歩み寄った。
「みこさまが、隊長とお話がしたいと仰せです。お越し願えますでしょうか」
ウェイゴンが軽く目を見張った。何か思案するように眉間にしわを寄せる。
「隊長」
「巫女」たっての願いだ。すぐに来てくれると思った。「巫女」が完全無欠の勝利に導いてくれるわけではないことはわかったが、それでもまだすべての人が、「巫女」を信じなくなったわけではないだろう。ウェイゴンもまだ
「みこさまをこちらにお呼びしますか」
ザオが言うと、ウェイゴンは首を振った。
「その必要はない」
「では」
黒翅隊長どの、とウェイゴンを呼ぶ声がかかった。攻月台の中に十ある千人隊、
「第一蛹長どのと、第一蛹の
鬨長は落ち着いた声で言った。卓子を囲んだ上役たちもうなずいている。ザオは思わず身構えた。鬨長の声色は、冷静だが冷たくはなかった。しかしよいことを伝えられるのではない気がする。ウェイゴンは、鬨長と同じ判断をしたらしく、ザオに向かって言った。
「大神殿より、巫女さまを都に連れ帰る使者を送るとの連絡があった」
ザオはすぐに口を開いた。
「それはいかなることでしょうか」
「大神殿が暴れているのですよ」
こたえたのは鬨長だった。
「巫女さまが
大神殿はカファ国で最も権威のある神殿であり、都の中心にある。大神殿の高巫は
「戦にならないので、
戦を円滑に遂行するために、「天命を受けた巫女」の扱いも必要以上に丁重にするわけにはいかない。
「それで大神殿も渋々引き下がっていたらしいのですが、ときどき思い出したように上奏していたようです。そのようなときに、今回のことがあり」
「巫女」が現れてロウゲツ国に攻め込んでから初めて、攻月台が想定外の事態に襲われた。
「ここにいらっしゃる巫女さまは偽物だと言い出したそうです。本物なら、不測の事態が起こることもなく兵たちを導くはずであるのに、奇襲など食らいましたからな。自分たちが行っていれば見抜くことができたのに、何事であるかと暴れておるそうです。それを国輔閣下も抑えきれなくなり、今回こちらに使者を送り巫女さまを大神殿に連れ帰って、処遇を決めることになったと。今しがた来た知らせです」
「そういうことだ。兵たちの中にも、巫女さまに不信感を抱く者が現れている。初めからそうだった者もいる。しかしそうだな、心から崇め奉っている者もいる。中間くらいの者がもっとも多いのだろうが」
ウェイゴンが渋い顔のまま言った。崇め奉り寄りの中間がね、と鬨長が付け加えると、少しだけ表情を緩める。
「影響力のあるお方だ。巫女さまをめぐって攻月台が割れることも考えられぬではない。ここは大神殿に任せるのが得策だろうと、さきほどまで話していた」
確かに得策なのかもしれない。しかしそもそも、大神殿からの使者などやってきたら無下にするわけにはいかない。皇帝をもっとも近くで支える国輔も、大神殿を抑えきれなかったのだ。抑えることを放棄したのかもしれないが。とにかく使者を手ぶらで返すことはできない。ザオはふたりに礼をとった。
「ご教示感謝いたします」
「第一蛹長どのにはすぐにお伝えすることですからな。手間が省けました」
鬨長はそう言ってにこりとした。ザオは少し笑みを返した。
大神殿にとっては、「天命を受けた巫女」が再び現れたことは威光を強めるために使える事態だったのだ。そのため、自分たちが行って世話をするべきだと意見した。それが聞き届けられず不満を持っていたところ、「天命を受けた巫女」が伝えない奇襲があった。失態を犯したと考えたのだろう。「天命を受けた巫女」のもとへ行きたかったのは本物かを確かめるためだったかのように言い、自分たちの言葉に従わなかったせいで不測の事態が起こったと訴えた。
みこさまが誰であったとしても、攻月台にはもう、引き渡すしか道がない。みこさまが誰であったとしても、大神殿に行ったと言えば納得する人が多いだろう。権威ある大神殿のすることだから。
みこさまは、大神殿に連行されてしまうことになる。もちろんザオの手出しできることではない。都に着いたそのあと、どうなってしまうのだろうか。大神殿は戦場にいる「巫女」を偽物と言っているのだ。偽物として、何か処罰を与えられることになるのか。何をされるのか。惨いことをされるのか。命まで。
頭から血の気が引く感覚がした。目の前に見える風景の色が薄まって、何やらきらきらし始める。これはよくない兆候なので、深く息をして背中に隠した両手を握ったり開いたりした。視界は普段通りの色彩に戻った。
ザオがくらくらしていたって、どうにもできないことなのだ。みこさまがどうなろうと、もう本当に何もできない。
「黒翅隊長どの、ちょうど巫女さまがお呼びのようですし、巫女さまにもお知らせしてきては」
鬨長がウェイゴンに提案する。
「そういたします。行ってまいります」
ウェイゴンが低くこたえた。
***
ふたりで建物を出ると、ウェイゴンはすぐに立ち止まった。一緒に歩いていこうとしていたザオも足を止めた。ウェイゴンの表情は平らだったが、何か言おうとしていることがわかった。ザオはウェイゴンに近づいてたずねた。
「ほかにも何か知らせがあったのですか」
ウェイゴンは、口の端を片方だけ持ち上げた。
「あった。このあと
蠢からということは、ロウゲツ国側に関することらしい。ザオは腹に力を入れた。
「シャ将軍がなくなられた」
ザオははっとしてウェイゴンの目を見た。じっと見返され、嘘ではないと理解する。ウェイゴンは虚言など吐かないが、すぐには飲み込めなかった。
「同士討ちで、でしょうか」
やっと声を絞り出すと、ウェイゴンは首を振った。
「そのときにはすでに、なくなられていた。ギョクリンからやってきた
寒気がした。ロウゲツ国の都ギョクリンとそこにいる皇帝を守る璧府が、国境の領地を守る将軍を殺した。カファ国との戦のさなかであるのにもかかわらず、国防において重要なはずの存在をなき者にした。
「璧府はシャ将軍の部下を鎮圧した。そして統制下に置きわれらと戦おうとしているようだがうまくいっていない。しばらくまともに動けまい。ゆえに援軍が到着次第、進軍し攻撃する」
ウェイゴンの声が、くぐもって聞こえた。水の中から聞いているようだった。璧府がシャ・ジュンを殺したのがなぜか、見当がついたのだ。ウェイゴンが、にやりと笑う。
「たぶん思ってるとおりだぞ」
シャ・ジュンは、なんらかの形でロウゲツ国を裏切っていた。反逆者だった。
それが露見したために、璧府に処刑されたのだ。
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