二十六 拘命

 攻陽将軍コウヨウショウグン「ソン・リシェン」は多くの人に慕われていた。

 息子のザオから見ても、いつもどっしりかまえていて、よく笑い、やさしくて厳しい、尊敬できる人だった。ドンべ大城タイジョウの部下や兵士たちも、「ソン・リシェン」を敬愛していた。それがわかるから、ザオも誇らしかったのだ。本人は大変人望があることに気が付いていないようだったが、いつでも周りの人を尊重しているのがわかった。


 メミ大城がエンヨウ帝国に攻め込まれている。

 「ソン・リシェン」は出陣前、兵士たちに向かって言った。

 誇り高きカファ国の民の暮らす地を、再び帝国に奪わせてはならない。われわれが、帝国軍を退けるのだ。

 そう高らかに告げたあと、でっかい声で呼びかけた。

 『おいみんな、準備できたか!』

 雄叫びが上がった。

 『準備できたか!』

 さらに大きくなった。

 『準備できたかっ!』

 さらに大きくなって、びりびりと空気が震えた。

 『じゃあ行くぞ!』

 「ソン・リシェン」は急接近口調の使い手だった。山が動きそうな声が上がっていた。そのままメミ大城までほとんどずっと走っていた。

 そして驚くような速さでメミ大城にたどり着き、その勢いのまま、進軍を続けていた帝国軍に向かってなだれ込んだ。頭が熱くなっていてよく覚えていない。ザオはそれが初陣だった。

 援軍の信じられない早業に力づけられ、メミ大城輔タイジョウホ率いる軍団も、本拠地から出てきて一緒に帝国軍と戦った。エンヨウ帝国の兵士たちは、棘だらけの丸い果実のようなものがついた棒を振り回していた。それが当たると鎧がへこみ、骨が折れ、手足が動かなくなった。侵略により領土を拡大してきた軍団は手強い。それでもカファ国の兵士たちは必死に戦っていた。

 ザオは遠くにいたが、「ソン・リシェン」が掲げるひときわ大きなカファ国の赤い旗を目印にしていた。するとだしぬけにその旗が勢いよく遠ざかり始めた。

 あまりに遠くて、周りがあまりにめちゃくちゃで、ザオには何も見えなかった。にわかに、攻陽台コウヨウダイ側に退却を命じる銅鑼が聞こえ始めた。わけがわからないまま退いて、相手が追ってこないことを不審に思っていると、知らせがあった。

 ソン将軍が討たれた。

 旗が遠ざかっていったとき「ソン・リシェン」は、ほとんど数騎の部下だけを伴って、敵の大将のほうへ猛進していたのだ。脇目も振らない突撃だった。体当たりして砕け散るつもりのような。

 そして、玉砕した。

 相手の大将の喉元まで迫って、絶命した。

 帝国軍は、将軍を討たれて退いていく攻陽台軍を見て勝利を確信し、むやみに追ってこなかったのだ。

 将軍戦死の知らせを受けて、攻陽台に激震が走った。ザオは父が死んだことというより、攻陽将軍が死んだことに愕然としていた。別の人ではないのに、まったく別のことみたいだった。だからただひたすらに衝撃を受けた。


 「ソン・リシェン」の部下で、今は攻陽将軍を務めているシン・スレンが、ソン将軍の弔い合戦だと叫びまわって兵たちを奮い立たせた。

 そして、油断が生まれていた帝国軍にもう一度攻めかかった。ソン将軍の弔い合戦という言葉は、あっという間に人の心に火をつけていた。みんな死兵のようになっていた。そして帝国軍を飲み込み、混乱と恐怖に陥れて撤退させた。

 それからエンヨウ帝国は、攻めてきていない。攻陽将軍「ソン・リシェン」は、国を救った名将であったなどと言い出す始末だ。現実的にはエイエルデグの影響があったのだろうが、救国の大将軍に免じてしばらく半島には手を出さないという態度をとり始めた。

 帝国軍を退けたあと、メミ大城輔と、息子のグワンに会った。グワンとはひさしぶりの再会だった。初めて会った十二のころからすでに非常にさわやかだったグワンだが、そのときはなぜか、顔を強張らせていてろくに話ができなかった。


 戦の直後で、緊張が抜けていないせいだと思っていた。でもそうではなかったのだ。「ソン・リシェン」にかばわれたせいだった。息子のザオと顔を合わせるのが、つらかったのだ。



 この際だから全部説明しとくと言って、グワンは話を続けた。

 「帝国のやつらさ、わけわかんねえ丸いのがついた棒みたいなの、使ってただろ。あれ、棒と丸いのが鎖でつながってて、丸いところが飛んでくるやつもあったんだよ。遠距離攻撃できるやつ」

 淡々と話していた。

 「おれ、一応つぎのメミ大城輔だったからさ、ソン将軍のおそばまで行ってたんだけど。その丸いやつが急に飛んできて」

 色のない目をしている。どこを見ているのかわからない。こっちを見てくれと、関係のないことを思う。

 「ソン将軍がかばってくださった。首に当たったんだ。たぶん何回も。おれが当たればよかったんだけど。でも一回も当たってない」

 あまりにも滑らかに、おれが当たればよかったと、言った。

 「ソン将軍、退却しろっておっしゃった。ちょっと敵の親玉のところに突っ込んでびびらせるから、いったんさがれって。そいつと刺し違えられたらいいけど、仕損じるかもしれねえなって。笑ってて。笑ってた。馬にも乗ってられないくらいだったはずなのに笑ってたんだよ。そばの人がすぐ、わかったって言って。おれはわけわかんなかったけど、でもそのとおりにした」

 グワンは痛みをこらえるように口を引き結び、ゆっくり立ち上がった。ザオは地面に膝をついたまま、グワンの目があったあたりをそのまま見続けていた。

 「もうこっちは劣勢だったし。そのうえ将軍が死んだら敵もむやみに追ってこないだろうから、ひいてしょぼくれたふりして、敵もいったんひき始めたところでもう一回攻めるんだって、なんか誰かが言ってた。それはザオも知ってるか」

 上からグワンの平らな声が降ってくる。

 「ソン将軍、笑ってくれた。おれのこと見て」

 父は笑うだろうと、思った。それがザオの父だ。

 「失敗したごめん、もっと小粋にかばえることもあるんだぞって。立派だから将来が楽しみだって。じゃあまたなって、またとかないってわかってるのに」

 ザオは固まった首を無理やり動かしてグワンを見上げた。影になって顔が見えない。グワンはせっかく立ち上がったのにまた座り込み、深くうつむいた。表情をうかがうことはできなかった。

 「ザオの父上はおれが死なせた。黙ってて悪かった」

 「違う」

 「そうなんだよ」

 咄嗟に口から出た言葉を、かぶせるように打ち消される。

 「おれは、ソン将軍にかばってもらって生き延びていいようなやつじゃなかったし今もそうだ。だけどもうそうなったから、ソン将軍に助けていただいたのに恥じないようにしようと思ってる。ソン将軍みたいになるって決めてんの。おれの天命だよ」

 だから、おかしいくらい必死になっているのだ。

 だから、大城輔になるはずだったのに故郷から遠く離れた攻月台コウゲツダイなどにいるのだ。攻月台は、ロウゲツ国との戦が続いていて、今いちばん警戒すべき戦線にあるから。そこで、戦おうとしたのだ。ソン将軍に恥じないように。ソン将軍みたいになるために。

 違うと思った。何かがどうしようもないほどずれていた。取り返しのつかない方向に追い付けない速さで進んでいた。

 「おれが弱っちいから、今まで言えてなくてごめん。だけどさ、ザオはたぶんおれがこんなこと言ったら、違うとか気にすんなとか言うだろ。そんなの聞きたくねえって思っちゃってさ」

 聡くて、やさしすぎるのだ。

 「ザオはさ、ときどき遠くにいってるみたいな顔するじゃん。親父さんのこと思い出してるんだよな。攻陽台から黒翅隊コクシタイに来たのも、親父さんのことでいろいろ考えたからなんだろ? おれのせいで、おれのせいなんだけど、でもおまえ意外と頭回るし、やさしすぎるからさ、あんまりおれがいろいろ言ったら逆につらい思いさせるかもって。違うな、やっぱりおれが言えなかっただけだわ」

 「グワン」

 「喋んな。言えって言ったのおまえだぞ」

 黒翅隊で二度目に再会したときは、グワンはもうザオの前でかたい表情をすることはなくなっていた。いつも、涼しげな笑みを浮かべていて。こんなことを、考えていた。

 喋るなと言われなくても、ちゃんと言葉を発することなどできなかった。名前を呼ぶことくらいしか、できない。

 不意にグワンが顔を上げた。涼やかに光る目でザオをとらえて、口にした。

 「おれのこと殺していいよ」

 瞬間、ザオはグワンを殴り飛ばした。

 殴り飛ばせなかった。

 戯れに斬りかかっても動かなかったくせに、きれいに避けられてしまっていた。

 「だよな、ごめん」

 グワンはいつものように、清涼な笑顔を浮かべる。

 「今のは違うから。違わないけど違うからごめん。だけど、この先いろいろあってもさ」

 おまえのことは死なせねえからと、グワンは言った。

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