二十五 憧追

 こんなところで転がって、なんのつもりなのか。仰向けになって、動かずにいる。黙って、目を閉じている。ザオは腰の刀に手をかけた。地面を蹴り一気に距離を詰める。つぎの瞬間はっとして、大きく横に薙ごうとした手を、止めた。グワンは斬りかかろうとしたザオに、少しも反応しなかった。

 刀を鞘に納めて、立ったまま見下ろす。目を開けたグワンは薄く笑っていた。そばには槍が転がっている。こいつまたやったのだなと、わかった。

「なんで急に襲ってくるんだよ」

 かすれた声でグワンは言った。

「何やってんの、おまえ意味わかんねえ」

 それはこっちのせりふだ。

「目が据わってますけど。殺す気?」

 グワンはへらりと、力の抜けた笑い方をする。

「殺すのはいいけどさ、動きがおおげさすぎるぞ? やるならもっと」

「馬鹿か」

 ザオはグワンをさえぎった。グワンが緩く微笑んだまま口をつぐむ。

「何してる」

 そう言ったが、何をしていたかはわかっていた。

「……え? なんか今日の戦、あんまり手ごたえなくてさ。ここいいだろ、ちょうどいい広さだし人に迷惑かけねえし。見張り台作るの手伝ったときにさ、見つけて」

「黙れ」

「黙れっておまえな、ご質問にこたえたんですけどこっちは。なんだよ怒ってんのか? 怒んなよ、やりたくてやってんだよ」

 だからたちが悪い。好き好んでぶっ倒れるほど槍を振り回すやつがいるか。しかもひとりで。

「わあ……こいつなんかすげえ怒ってるよ……」

 グワンは、面倒なのが来たよとばかりにつぶやくと、引きずるように腕を動かした。

「今はちゃんと喋ってるだろ。意識飛んでねえじゃん」

 重たそうに手を差し伸べてくる。

「起こして。立てねえの」

 ザオはその手を払った。なんの抵抗もなく、ぱたりと地面の上に戻った。

「なんかひどくねえ?」

「死にたいのか」

 ザオはたずねた。いつもさっぱりした様子で何かに執着することなどないのに、気絶するほど鍛錬する。そんなに必死になってどうしたいのかがわからなかった。故郷を守りたいなら遠い攻月台コウゲツダイではなく、西の攻陽台コウヨウダイに入ればよかったし、国を守りたいのでもそこまでする必要があるのかと疑問に思っていた。はっきりとはわからなかった。でも何か、死に急いでいるように見えた。

 今回の戦が始まって、出られることになって、戦いが続いてうれしそうなのを見ていたら、それはやはり違うのかもしれないと思った。死に急いでいるわけではなく、戦に悦楽を見出しているのかもしれない。命のやり取りの緊張感に酔いしれているのかもしれない。でも、それも違う気がした。わからなかった。今は、戦場に来てまでわざわざ、立てなくなるほどひとりで立ちまわっていたのだ。意味がわからない。本当にわからない。見えない。

 グワンは目を見張って、何もこたえようとしない。ザオは両手を握りしめた。

「こんなことしてるのは、死ぬためか。言え」

「なんで?」

 グワンが笑った。

「やっぱりおれのこと殺したいのか?」

 どうしてさっきから何度も、殺す殺すと言うのだ。

「質問で返すな」

「何をお望みですかソン蛹長ヨウチョウ

「ふざけるな」

「ふざけてねえよ」

 そう言ったグワンは顔を歪めて、緩慢な動きで起き上がった。

「あ、立てねえことねえわ」

 気楽そうな言い方に苛立って、グワンの襟を掴む。

「何がしたいのか言え」

 わかりたいから、見たいからといって迫るのはずるい手のような気がした。今までグワンにそうしてこなかった。でも今は、身体の中で羽虫が湧いて飛び回っているように気味が悪くてぞわぞわして、問いを重ねていないと叫び出しそうだった。

「言ってくれ。頼むから何がしたいのか教えてくれ」

 膝をついて、座ったままのグワンと目を合わせる。グワンは、疲れたように笑った。

「しょうがねえなあこいつ」

 ひとり言のようにつぶやいて、突然ひたりと見据えてくる。視線を受け止めて待つ。グワンは言った。

「ソン将軍のこと、おれのせいだよ」

 かすれた声で弱々しく文句を言っていたくせに、やけにはっきりした言い方だった。グワンは続けた。

「ザオの父上がなくなったのはおれのせいだ」

 背後で、草がさらさらと揺れる音が聞こえた。しつこく、グワンは重ねる。

「親父さんはおれが死なせた」

 ザオは首を振った。それは違うからだ。

「それは夢だと思う。ソン将軍はエンヨウ帝国の将校に討たれただろ。どう考えてもおまえじゃ」

「おれだよ」

 グワンに手を掴まれさえぎられた。痛いほど力が込められて、すぐに離れた。

「最後は帝国のやつだったかもしれないけど、おれだ。おれがいなかったら、ソン将軍はまだ生きておられたよ」

 さきの攻陽将軍コウヨウショウグンソン・リシェンが、父がまだ、生きていたら。ザオはきっと攻月台にはいなかった。

「ソン将軍はな、こんな雑魚のこと、かばってくださったんだよ。ソン将軍が最後に敵に突っ込んだの、そのときのけがが大きかったからだ。もう長くもたないから、最期にそうされたんだよ」

 グワンはやけに静かな口調で言って、少しだけ笑みを浮かべた。

「おれはソン将軍に助けていただいてもよかったやつになりたい。それでいつかは、ソン将軍みたいになりたいんだ」


 二年前、グワンとザオが十六のとき、突然大陸のエンヨウ帝国がカファ国の西方に侵攻してきた。カファ国をはじめとする半島の国々が、独自に皇帝を立てて帝国支配を脱してから、八十年ほどが経っていた。

 カファ国が独立した最初こそ、支配を回復しようと攻めてきていたエンヨウ帝国だったが、カファ国の返り討ちに遭いしばらく半島から遠ざかっていた。ちょうど八十年前くらいには、エンヨウ帝国の北方に、遊牧民族の国であるエイエルデグが侵入してきており、帝国はエイエルデグへの対応も迫られていた。そのため半島にばかりかまっていることもできなくなったのだ。

 そんな状態が八十年余り続いていたのに、二年前、帝国は急に思い出したように攻めてきた。半島を早く取り戻すべきだという、新しい皇帝の方針のせいらしかった。


 カファ国の西のほうの地域には、帝国の侵攻に対応するための機関、攻陽台が置かれている。最も帝国に近く真っ先に攻められるドンべ大城タイジョウには砦や城壁が築かれ、攻陽台を束ねる攻陽将軍の陣がある。ザオの父ソン・リシェンは、二年前ちょうど攻陽将軍の任期中で、そこにいた。

 攻陽将軍や攻月将軍コウゲツショウグンというのは、たいてい普段は都に暮らす一族の者が、皇帝に任命されて管轄地域に向かう。現地で統治を行っている部族の長、大城輔タイジョウホが大城内の軍事や行政を担うのに対して、将軍は対外戦のため兵を集めたり動かしたりする権限を持っていた。

 ソン家は古くから武官として皇帝のそばに仕えている一族だ。父は攻陽将軍に任じられドンべ大城に赴任していた。最初に父がドンべ大城に行ったのはザオが四歳のときだ。それから四年の任期を三期続けて務めていた。

 そのあいだに、ザオはグワンと、都で一度会っていた。グワンは西地方のメミ大城の生まれだが、十二のころに都に上ってきて慧怜館ケイレイカンに通っていた。頭の出来がいいからだ。慧怜館は官僚を養成する学舎であり、攻陽台や攻月台の指揮官となるために必要なことも学べる。ザオもソン家の子弟として慧怜館で勉強していた。だからグワンとは学友だった。でも話したことはあまりなくて、ザオは、なんか賢いのがいるんだよなあ、くらいに思っていた。

 グワンは教師に強く勧められて、本当は十五にならないと受けられない試験を十四のときに受けた。首席で通って、軍団の指揮官になる資格を得た。グワンは有名人になった。でもグワンはメミ大城輔の息子で、いずれ大城輔を継ぐことになっているから軍の指揮官にはならない。使わない資格のために受験した十四歳が首席で合格したと、お節介な旋風が巻き起こった。しかしグワンは、そのときからやたらとさわやかな様子だったため、妬まれて面倒が起こることもなかった。颯爽とメミ大城に帰っていった。

 国境を守る父にあこがれて、ザオも試験を受けた。グワンのようにはいかないが合格はして、攻陽台に入りドンべ大城に暮らすようになった。十五のときだ。


 そしてつぎの年に、エンヨウ帝国が攻めてきた。あまりに突然だった。攻陽将軍の陣が置かれたドンべ大城ではなく、少し奥まった隣のメミ大城が先に攻め込まれた。帝国に、メミ大城が食われかけていた。

 攻陽将軍ソン・リシェンはすぐさま兵を率いてメミ大城へ向かうことを決めた。ザオは攻陽台の五十人部隊を率いる覇長ハチョウの見習いとして、その戦に加わることになった。

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