旧時囚徒
二十四 層底
みこさまの天幕に近いかがり火の下で、ヘイエと一緒に少し遅い食事をとった。先刻の鮮やかな勝利とみこさまの慰労のためか、みんなまだ落ち着く様子はなかった。ふわふわと浮ついた、半ば夢の中のような空気が漂っている。
しばらくは周囲を警戒しながらも、ここで後詰めの到着を待つ。シャ将軍の軍団は当分動けない状態にしたし、近くの北の領はシュヌエン国に攻め込まれていて、すぐにシャ将軍に援軍を差し向けるのは難しいだろう。コウ州のすぐ東にあり都を有する皇帝領には、都と皇帝を守る
十年ほどの膠着状態が続いていたのに、動き出すと早いものだ。簡単にはいかないだろうが、シャ・ジュンの城を落とすことはおそらくかなう。勝つはずだった戦に負けて戦意が下がっているところ、援軍が望めない状態で大軍に包囲されるのだ。まだ少し時間がかかるが、南側の海からはミモリ王国が攻めることにもなっている。
城より先に侵入すれば、都はすぐ目の前だ。都を燃やし皇帝を捕らえるなどすれば、ロウゲツ国は滅んだようなものだろう。
みこさまが来てから、全部がうまくいっている。みこさまが伝える神の言葉には、無茶なものはない。一応、真偽を確かめたり、従うことが理にかなうと考えたりできる範囲のものだ。だから
そうやってみこさまは、日に日に巫女になっていく。ひとりの人間が、黒く塗りつぶされていくように、見えてしまう。
「なあザオ」
「はいっ」
突然呼ばれあわてて返事をすると、声をかけてきたヘイエは笑った。
「たまにかわいい返事するよな」
かわいい返事などしたことはない。そういうことが得意なのはヨンジェだ。ザオが口を曲げていると、ヘイエは何事もなかったように聞いてきた。
「グワン見てないか?」
「ああ……」
みこさまが陣中を練り歩く前に、護衛を交代した。そういえば、それから姿を見ていない。
「ん、まあどっかにいるだろ」
ヘイエはのんびりとそう言って、胡坐をかいた膝の上に頬杖を突いた。
「メイ泣いてたな」
うっかり聞き流しそうなほど自然に、ヘイエは言った。ザオは思わず振り返った。みこさまの天幕の前で、メイが立っているのが見える。
みこさまに夕餉を持っていったメイが、また一生懸命に謝っていたのは、外まで聞こえていた。そのあとなかなか出てこなかった。何を言っているのかはわからなかったが、泣いているようだった。でも出てきたときには、憑き物が落ちたような様子だった。
朗らかな天才少女を背負ったメイがときどき見せる陰りの、存在は知っていた。いつでも見せていいと態度で示していたつもりだった。でも、メイの悲痛な声をかすかに聞いてわかった。「巫女」という特別な存在に対してでなければ、さらけ出せないものがあったのだ。
「ファン
ザオは、炎の色が揺らぐ地面に目を落とした。
シュエは取り合ってくれなかったが、メイはしつこく付きまとい修行を付けてくれと頼んだ。そうしているとシュエは折れて、メイの両親と大城輔に話を通してくれた。シュエの父はトラジ大城輔だったのだ。メイの縁談の相手は、シュエの弟だった。
シュエは見事に縁談をなかったことにしてくれたが、黒翅隊の任務で忙しく弟子をとってはいられなかった。そこで、かつてシュエを剛腕戦士に育て、すでに隠居していたシュエの先生にメイを預けてくれた。野生的に遊んでいたこともあり、その先生のもとで才能が開花した。
そうやって黒翅隊に入ったとメイは話してくれていた。いてもいいと思える場所がなかった気がするけれど、今は黒翅隊があるんだと、言っていた。
「まあたぶんこんなもんなんだろうな、しょうがない」
ヘイエがゆったりと言う。炎の赤い色が、ヘイエの顔をぼかしていた。
「でもやけにすっきりしてたからな、よくわからんけど巫女どののおかげで、当分だいじょうぶなんだろ」
「そうですね」
ザオはうつむきながら少し笑ってこたえた。そのとき、急に目の前に誰かが突っ込んできた。驚いて背中がのけぞる。ヘイエとザオの前に滑りこみひざまずいたのは、ヨンジェだった。
「どうした?」
ヘイエが穏やかにたずねる。するとヨンジェはやけに神妙な顔でこたえた。
「はいっ、天幕の中に、信じられない大きさの蛇が出たんです。みんな怯えてます。リョウ
「おいおい」
ヘイエが苦笑しながら立ち上がる。
「蛇さんはお友達だろ」
「いや、でっかいんですよ!」
「平気平気、一緒に寝ろ」
「無理です!」
「悪さしないって」
「悪さしないとかいう問題じゃないんです! 討伐できるのはヘイエさんだけです!」
「なんだよその討伐って、おおげさだなあ。こんなときだけ田舎者に頼るなよ」
「なんですか心外です、いつも頼りにしてるんですが!」
「あ、負けた。蛇さんどこ?」
ヨンジェがヘイエを引っ張っていく。ザオはふたりの背中を見送った。向こうのほうで、みんなヘイエを呼んでいるようだ。あとについて行って、信じられない大きさの蛇とやらを見てみようかと思ったが、ふと、ヘイエに聞かれたことを思い出す。グワンがどこに行ったのか、捜してみることにした。立ち上がって、ふたりとは反対の方向へ向かった。
***
天幕のあいだを回り、中に首を突っ込んで挨拶するなどしたが、グワンは見当たらなかった。途中で、背丈ほどある長い蛇を両手で掴んだヘイエが、それを放つふりをして周囲を戦々恐々とさせているのが見えた。しかしグワンはその中にはいなかった。いったいどこをほっつき歩いているのか。放っておいてもいいのだが、なんとなく連れ戻したい気がした。
ひさしぶりの実戦が続いていて、グワンは何やら、毎日楽しそうだ。今日の野戦でも生き生きしていた。怯えた兵士たちが守る砦を攻めるよりも、戦らしいからだろうか。
天幕が並んだ場所から少し離れた小高い丘は、見張り場所になっている。のそのそとそちらのほうへ向かった。
「あれっ、黒翅隊の人」
銀の鎧を着た見張り番に声をかけられた。
「どうされたんですか」
ここの見張りを割り当てられていないのにやってきたので、驚かせてしまったようだ。
「お疲れさまです。ちょっと人を捜してて」
ザオが言うと、見張り番たちは一瞬黙って、そしてつぎつぎ返事をくれた。
「あっ、黒翅隊の人のこと?」
「さっき来ましたよ。槍持ってました」
「動きたいから場所貸してくれって」
「あっち行きましたよ」
示されたのは茂みだった。そんなところに何か、おもしろいものでもあるのだろうか。
「ありがとうございます」
ザオはお礼を言って、高い草の中に入った。思いのほか鋭い草の先が、顔や手をちくちくと刺した。草を抜けると、木に囲まれた開けた場所があった。その真ん中で、グワンが倒れていた。
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