十八 蘇舞
里から
「このあたりの人たち、ロウゲツ国に征服されて、最近は抑えつけが厳しくなってたらしいです」
ヨンジェは難しい顔をして、頬の傷を触りながら言った。
「三年前から、一族の中から都に人質を出さなきゃいけなくなって税も重くなったって。話には聞いてたけど、おれたちに入ってこられて喜ぶほどだったとかびっくりです」
ザオはそうだなとうなずいた。
「三年前って、あれか、確かでかい反乱があったんだよな」
グワンが少し上を見て記憶を手繰るように言った。ヨンジェがうなずく。
「ですね、ムルシュ族の」
ザオも覚えていた。三年前、ロウゲツ国では大きな反乱があった。中心となったのは、ムルシュ族という部族だった。もうずいぶん昔にロウゲツ国の支配下に入っていたが、中央から派遣される統治者が変わって、それと反りが合わずに反乱を起こしたのだと聞いていた。反乱は鎮圧され、戦士たちは皆殺しにされている。それを耳にしたとき、衝撃を受けたのを思い出した。そのムルシュ族の反乱のあとから、このあたりの人々は、カファ国の皇帝に歯向かうことのないように抑圧を強められていたのだ。
「たぶん相当、ロウゲツ国の支配が嫌だったんだと思います。そこにおれたち……巫女さまが来たから、もう解放感がすごいんですよ」
里の人と話したヨンジェは力説した。そうだろなあとグワンがこたえていた。カファ国は、支配下に入れた部族にその領域を支配させる。中央から監察官は派遣されるが、基本的には自治ができるのだ。
里の人たちに解放感を与えたらしいみこさまは、陣中でいちばん大きな天幕の中にいる。天幕の入り口は閉じられず、大きく開かれていた。御座所のみこさまに外で行われる舞を見せるためだ。
みこさまのそばにはヘイエとメイが控えており、グワンとザオは入り口の前を守っていた。ヨンジェは、近くを通ったためにグワンに捕まったのだ。ザオも、いろいろと話を聞きたかった。
「戦にはできるだけ協力するけど、踊りも見てほしいんだって熱心でした。このあたりの訛り、ちょっとかわいくて親しみ湧きます」
「へえそうなの」
長い帝国支配の名残で、半島の三国はエンヨウ帝国と同じ言葉を使う。でも地域によって、方言や、帝国支配以前に使っていた言葉の名残がある。
「はい。真似したくなるんですよ」
「やってよ」
「えっ? ……無理ですよ、ここでは」
「なんでだよ」
肩をつつくグワンに、ヨンジェがやけにはっきりと言った。
「やっぱり巫女さまの御前じゃないですか」
虚をつかれたように、グワンが口を閉ざす。ヨンジェは直立と言えるよい姿勢で、グワンをしっかりと見ている。
「あんまりふざけたことできません。ソン
ヨンジェはよどみなく言って、グワンが何事か返す前にザオとグワンに礼をとった。最後に天幕に向かって恭しく頭を下げ、走り去っていった。黙って見送った。方言を真似するのは別に、ふざけたことではないと思うのだが。
「なんだろ」
しばらくして、グワンがつぶやいた。
「あいつたまに、ああいうとこあるんだよな」
「ああいうとこ」
ザオは繰り返した。便利な言葉だと思う。うすら寒い風に吹かれたような気持ちになる。
「そ、ああいうとこ。でも確かにそうだよな、気が緩んでた」
グワンは涼しげに笑って、仕事しろ、とおどけたように睨んできた。ザオは軽く肩をすくめて見せた。
***
釣鐘型の楽器が細い棒で叩かれると、少し気の抜けたような高い音が出る。拍子をとるように鳴る音に、ふくよかな音色が重なった。太い縦笛を吹く人がいるのだ。カファ国では見たことがない楽器で、どこかのどかな音も、奏でられる旋律も、初めて聞くものだった。
みこさまがいる天幕の前で、里の人による舞台が始まっていた。見物のためについてきたらしい里の人と、みこさまに配られた包みを持った兵たちも、周りを囲んで見ている。
楽器を演奏する人は、みこさまの正面から少しずれたところに立っていた。みこさまからいちばんよく見える場所には、五人が下を向いて地面に座っている。何が始まるのかなんだかわくわくしながら、ザオはごくまじめな顔を保って天幕の前に立っていた。
音楽が軌道に乗り始めると、これといった合図もなしに五人が一斉に動き出す。大蛇が鎌首をもたげたような動きだ。それだけで観衆が声を上げた。
五人は立ち上がり、輪になってぐるぐると回り始める。どんどん早くなる。のんきだった音楽が激しくなっていく。回っているだけなのにその様子には凄みがあった。固唾をのんで見守る。でも目が回るよと思った瞬間、五人が同時に地面に倒れ伏した。音楽が止まる。あたりは、静まり返った。
ふと、そろり、とひとりの手が動く。楽器がふたたび、鳴り始める。五人が、倒れたまま動き出す。ゆっくりと、ゆっくりと、重たい動作で起き上がる。地の底から這い上がってくるように。蘇ってくるように。輪になった隊形のまま立ち上がった五人は、しばらく地面に目を落としてじっと立っていた。
突如、かん、と高い音が響く。鐘の形の楽器が大きく鳴らされたのだ。その瞬間、五人は散らばった。縦笛が陽気な音色を奏で始める。五人は、ひらひらと踊り出した。緊張が緩んで、観衆が手を叩き始める。ほっとしたように空気がさざめく。
ひとりが宙返りをした。歓声が上がる。手を使ったり、使わなかったりして、五人がそれぞれ何度も回転する。そのたびに拍手が起こった。華麗に飛び回った五人は、最後に同時に宙返りした。着地した途端に鐘ががんがん叩かれて、誘われるように喝采が起こった。
***
里の人たちが満足したように帰っていったあと、みこさまが天幕から出てきた。メイとヘイエが追ってくる。天幕の前に立つみこさまはやはり、人を簡単には寄せ付けない清らかな姿だ。変わらずこんな様子で、舞を見ていたのだろうか。
みこさまは静かに足を踏み出し、天幕から離れていく。四人でそれを追った。ついてこられてみこさまは鬱陶しいかもしれないが、これが
みこさまはくっついている第一蛹のことなど意に介した様子はなく、食事をしている攻月台の兵士たちのほうへ向かっていく。先刻の舞を話題にしているようで和やかな雰囲気だ。みこさまが配った包みはちゃんと開かれ、中身が腹におさめられていくところだった。
みこさまはゆっくりと進んでいく。そばにいるウェイゴンや飛長たちも、止めようとはしなかった。何人かが、第一蛹に囲まれたみこさまに気づくのがわかった。おい見ろよというふうに、そばの人を叩いたりつついたりして、みこさまの姿をみとめる人が増えていく。みこさまは集団から少し離れた場所で立ち止まった。
みこさまは、微笑んでいた。みんなが飯を食っていることに満足したのだろうか。そう思ったが、みこさまはもっと、ずっと遠くを見ているかのようだった。やさしげだが底の知れない微笑みを見ていると、その視線の先に神がいるのかもしれないと、感じてしまう。
でも、彼女が見ているのは、攻月台の兵士たちでもなく神でもないような気もした。わからない。微笑をたたえるみこさまをじっと見てしまう。みこさまはふと笑みを深め、攻月台の軍団に頭を下げた。あたりにざわめきが広がって、みんなその場でみこさまに額突いた。
みこさまはふわりと踵を返す。天幕に戻るようだ。ザオは、なんとなく胸の内に靄が広がっていくような感覚を覚えながら、その背中を追った。そのとき、みこさまの身体がぐらりと揺れた。
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