十七 交離
人里近くの野原に敷いた陣中で、みこさまの前に行列ができていた。
みこさまが、戦う人々に感謝といたわりの気持ちを伝えさせてほしいと言い出したので、食事を配ってもらうことになったのだ。そうせよという、神の言葉が前からあったようだった。ただ、ひとりひとりに渡していると時間がかかり過ぎるので、代表者に取りに来てもらう形だ。それで一応みんなに、みこさまから手渡されたものが行き渡る。
みこさまは、言葉はないが、慈しむような笑みを浮かべて丁寧に包みを預けている。みんな感激したように拝領しており、手を合わせる人もいる。黙って微笑んでいるみこさまに対して、何かを言う人はいないようだ。恐れ多いのだろう。ごく普通に受け取る人もたまにいるが、周りから咎めるような視線を受けて居心地が悪そうだ。
ウンバン砦を出てから、四日が経っていた。
突然大軍を動かしたカファ国に恐れをなしたのか、周辺の砦もつぎつぎに落ちた。必死の抵抗をする砦もあったが、最後には「巫女」をいただいたカファ国が勝利を収めた。降伏するところもあった。
カファ国とロウゲツ国の国境近くは、戦が続いてきたせいでほとんど人が住んでいない場所になっている。しかし進んでいるうちに、人里にさしかかった。攻月台は、黒い鎧に身を固めた黒翅隊と、黒蝶の旗を捧げ持った「巫女」を先頭にして、里を進んだ。
三十年争ってきた敵国の軍が、黒の異形に率いられて里を通過していくさまは、きっとひどく恐ろしかっただろう。何が起こっているのか、わからなかったかもしれない。攻月台は、誰の手出しも受けなかった。手出しするはずの砦はすでに攻月台の手の内だし、人々を恐れさせることにも成功したからだ。里の住人の中には、みこさまを拝む人もいた。みこさまはずっと、ぶれることなく前を見ていた。
そして攻月台は、コウ州の中心へ近づいていた。進む先の砦を全部陥落させた攻月台を前に、コウ州の将軍も防戦一方となる。しかし、中心地にあるのは石の壁に守られた大きな城だ。勢いのあるカファ国軍と言っても、そこに籠城されると少し厄介ではある。厄介だが、落とせないものではない。シュヌエン国から連絡があり、援軍を差し向けることと、北側からもロウゲツ国に攻め込むことを知らせてきた。相手は不利な戦いを強いられることになる。
最後のひとりに包みを渡したみこさまが、お手伝いをしていたメイを振り返った。メイはぺこりと頭を下げた。
「巫女さま、これでみなますます力が湧きます。ありがとうございます」
メイの言葉に、みこさまは黙ったまま小さく首を振った。するとメイが、軽く口をとがらせて言う。
「いいえ、そんなことはありません。みな喜んでいます。ほらご覧ください」
みこさまが配った包みを手にした人たちが見える。包みを眺めて、困ったように笑い合っていた。
「もったいなくて食べられないありさまです」
メイはなぜか得意そうに言った。みこさまが首を傾げると、メイはにこりと笑った。
「だいじょうぶです。もったいないと言いながら、ちゃんといただくので」
ザオはふわりと浮き上がるような気持ちになった。メイの様子は、何も言わないみこさまの思いを理解しているかのようだ。だからつい、口を挟んだ。
「みこさまのお考えがわかるんだな」
途端、メイが目を見開いた。何度かまばたきする。そして突然勢いよく地面に膝をつき、みこさまに頭を下げた。
「申し訳ありません。ご無礼をいたしました」
ザオは面食らった。
「巫女さまのお考えが、わたくしなどにわかるはずがありません。勝手なことを申しましたことお許しくださいませ」
メイはどうやら一生懸命に謝罪している。何がそんなにいけないのか。メイは常にみこさまのそばにいるし、ずっと一緒に馬に乗って戦に加わっているから、気持ちが通じるところがあるのだろうと思ったのだ。メイは人の気持ちを見るのが得意だし。ふたりがそんな関係になったのだと、うれしかったのだが。目が合ったグワンは、ひょいと肩をすくめた。ヘイエは、仕方ないなというような顔をしている。
「申し訳ございません」
メイはさらに低頭した。みこさまを見て、ザオははっとした。みこさまは、メイをじっと見つめていた。さっきのやわらかな微笑みはもう、消えている。感情の読み取れない強いまなざしを、冷たいほど静かにメイに向けていた。違う。こんなふうにしたかったのではない。こうなるとは思わなかった。何か言わなければと思うのに何を言えばいいかわからなくて、手が無意味に宙をひっかく。
「巫女どの」
不意にヘイエが、メイのそばにひざまずいた。
「僭越ながらわれらにも、お授け願えますでしょうか」
ヘイエは、穏やかな声でそう言った。ザオは少しだけ力を抜いた。
みこさまがゆっくりとまばたきをして、小さくうなずく。包みをひとつ手に取って、ヘイエに差し出した。ヘイエはそれを恭しく受け取った。そのあとみこさまは、グワンを見た。グワンはみこさまの前に膝をつき、流麗な動作で包みを拝受する。
つぎにみこさまの目がザオに向けられた。射貫くようなまなざしは、痛いのに目をそらせない力がある。釘付けにされるようだ。ザオは口を引き結んで見つめ返した。じっと目を合わせたまま突き出された包みを、ひざまずいて受け取る。交わった視線がほどけて離れる瞬間、離すのが惜しいと、思った。
そしてみこさまは、もうひとつ包みを手に取った。メイは顔を上げようとしない。みこさまは、そんなメイの後頭部に、ちょこんと包みを載せた。
「え……」
メイが声を漏らし、ヘイエがふきだす。グワンは目を丸くしている。みこさまは表情を動かさずにメイを見ている。
「あの……」
「よかったなメイ、いただけたぞ」
ヘイエがメイの肩を叩いた。
「え……はい……」
ありがとうございます、とメイが言う。声が泣きそうに揺れていた。みこさまは何も返さなかったが、包みを抱きしめているメイは本当に安心しているようだ。ザオは半ば呆然として、その様子を見ていた。するとうしろから、鎧の鳴る音が近づいてきた。
みこさまの前に現れ、拝跪したのはウェイゴンだった。いつも羽織っている黒の上衣を、外して手に持っている。
「巫女さま」
ウェイゴンは地面を見ながら言った。
「兵たちへのご厚情、恐悦至極に存じます」
ザオを含め第一蛹も、ひざまずいたままでいた。少し間を置いてから、ウェイゴンは再び口を開いた。
「恐れながら、巫女さまにはさらなるご高配を賜りたく」
みこさまは静かに聞いている。
「ただいま、付近の里の者らが陣に訪ねてきております。みな恐れ多くも巫女さまのお姿を拝したと、歓喜しておりました」
ザオは思わずグワンを見た。目が合うと、グワンは少し眉を寄せた。近くの里の人は、ロウゲツ国の民だ。今回攻月台の侵攻を受けた人たちだ。里を通るとき、歓喜しているようにはとても見えなかった。兵糧など徴発されることを見越して、みずから声をかけに来たのだろうか。ウェイゴンは、ごくあたりまえのように続けた。
「つきましては巫女さまに、ぜひお見せしたいものがあると申しております。ご覧いただけますでしょうか」
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