十四 天口
うららかで、思わず伸びをしたくなるような日和だ。空は白をたっぷり含んだ、やわくて淡い青色をしている。そよ風が微笑むように吹いて、鳥が楽しげにさえずりながら飛び回っている。足元には、初々しい草花と瑞々しい土が、まだら模様に広がっている。
南の空に日が高く昇るころだった。ウンバン砦に詰めていた
ザオは少し離れたところから、整列した集団を眺めていた。
第一蛹は、馬に乗ったみこさまを囲んでいる。そして
不意に、ウェイゴンがすっと手を上げる。みこさまを囲んだ黒い集団が動き出す。鎧と馬具が鳴る。軍団の前の、小高い場所にいた指揮官たちが移動して場所をあけた。そこに、みこさまを中心にして、軍団と向かい合って並ぶ。
総勢八百名の軍勢と対峙すると、ぞわりと肌が粟立った。静かな大軍は、見下ろす位置にいるのに壁のようだった。しかしこれだけではない。もっと多くの兵士たちが、この戦に関わる。ここにいるのはそのほんの一部だ。眼前に広がる現実と、頭の中を浸食する記憶に、威圧される。すぐそばにいるみこさまが、ひとりの少女が背負ったものの大きさに、圧倒される。やりきれなくて奥歯をかみしめる。でももう、始まってしまった。
「みなの者、聞け」
ウェイゴンの声が響き渡る。
「今そなたらの目の前におわすのは、天なる神のお声を聞き、天命を授かった巫女さまである。巫女さまは、われらに神のお言葉を伝え、ともに戦ってくださる。黒の御旗を振り、われらを導いてくださる」
ウェイゴンのそばから、長い竿を持ったひとりが歩いてくる。みこさまの下にひざまずき、竿をさしかける。みこさまが、かぶっていた黒い布に手をかける。
そしてみこさまは静かに、布を取り去った。ひらりと、布が二枚に分かれる。みこさまは差し出された竿の先に、黒の布を一枚ずつ、結び付けた。そして竿を受け取った。
風が吹く。黒が翻る。広がる。それは黒い翅だった。兵士たちの前で、黒い蝶が舞っていた。
みこさまはするりと馬からおりる。第一蛹も地面におり、周囲の蛹士たちとともにひざまずく。黒の旗を手にしたみこさまが、兵士たちに向かって一歩、踏み出す。
金物がぶつかり合ってじゃらじゃらと鳴った。兵士たちがつぎつぎに地面に膝をついているのだ。旗の石突きが鋭く、地面に食い込んだ。
「神は仰せになりました」
みこさまが言葉を発した。
「カファ国を、再び偉大なる国にせねばならぬと。仇なす敵は、打ち破らねばならぬと」
その声は決して大きくない。聞こえているのはきっと前方のひと握りだけだ。うしろのほうからは悠然とはためく黒い翅だけが、はっきりと見えているのだろう。
「そのためにわたくしに、神のお言葉を戦士たちに伝えよと、そして導けとお命じになりました」
みこさまはさらに兵たちに近づく。
「それが、わたくしが神にお授けいただいた天命です。なんとしてでも果たさねばならぬ使命です。しかし」
足を踏み鳴らすように、旗を地面に突き立てる。
「わたくしは何もできません。神のお言葉を聞き伝えることしかできません。みなさんがいなければ、何も成すことはできない。神のご意志を形にすることはできないのです」
声に熱がこもっていく。切実に訴える。
「戦うのです。敵は神のご意志を邪魔立てする者らです。みなさんには、われらには神がついていてくださるのです。これは神の奉為の戦です。正しきは、われらにあります。勝つのはわれらです」
地面の下からふつふつと、何かが湧き上がってくる。激しく打ち付けられた竿が、深く地面に突き刺さった。
「神は仰せです」
ザオは顔を上げて、みこさまの姿を見た。眩しいようなまどろっこしい衣を着て、背丈よりもずっと長い竿を握りしめたその人は、空を見上げていた。あたりは恐ろしいほどに静まり返り、巫女の伝える神の言葉を待望している。
「退くな。進め」
みこさまが口にした直後、叫び声が上がった。それは伝染した。勝鬨のようだった。
黒い布は、命を吹き込まれたように舞っていて。風すらも操っているようなみこさまは、熱波を一身に受けて凛と立っていて。ザオはそれを見つめながら、震えが起こるのを止められなかった。
***
みこさまの激励を受けた軍団は、ロウゲツ国へ向けて出立した。ほかの砦からも兵が加わった。ロウゲツ国に向かう軍勢は、三千近い数になっている。黒翅隊は、みこさまとともに最前列にいた。みこさまの前にグワンとメイが、うしろにヘイエとザオが配置され、みこさまを囲んでいる。それを出陣前と同じように第一羽が囲み、さらにその輪を中心とする形で黒翅隊は進んでいた。みこさまのそばは、空気がなんとなく清浄に張り詰めていて、無駄口叩く人はいない。みんな黙々と進んでいる。
馬に乗ったみこさまは、旗を手にして背筋を伸ばしている。ずっとうしろにいるからわかるのだが、少しも姿勢が乱れることがない。すごいけど疲れるよなあと思いながら、ザオはその背中を眺めていた。
ロウゲツ国のほうでは、もうカファ国が兵を進めていることを知っているだろう。今向かっているのは空になった砦だが、そこに拠点を作るだけではなくすぐにそばの砦に攻め込むつもりだということも、わかっているかもしれない。対応に忙しいはずだ。
ロウゲツ国側は、アンゲ砦の襲撃のあと、戦の意思がないと示してきた。それをいったん受け入れたのに、こちらは侵攻する。不意打ちを食らわせることになるし、ロウゲツ国側は怒りを覚えるだろう。しかし非難される筋合いはない。こちらは神の意志に従って、動いていることになっているのだ。それもきっと、相手に伝わっている。
ふと下に目をやって、紫色の花が馬の蹄に踏まれるのを見た。そのあと草鞋を履いた足に幾度も上からすりつぶされた。これからもずっとたくさんの足に、形がなくなるほど、踏みつけられ続けるのだ。軍勢の下敷きになる紫は、みこさまに渡そうとした花を思い出させた。同じ花かもしれない。
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