九 埋念
「幸か不幸かわかりませんが、巫女さまの影響は大きいものでした。少し遠ざけても誰も忘れないし興味を持ち敬う。わたしも例外ではありません。巫女さまにお導きいただき、戦うべきだという機運も高まっていますよね」
シュエは平坦に話した。
「二日後には
カファ国全体の大城輔たちと、中央官庁の長である部輔たち、そして都にある大神殿の長である高巫が集まり、皇帝のもとで重要事項を話し合う、諸輔集議。そこで決まる。きっと、戦だ。
「結局のところ、巫女さまに引っ張られる形になってしまいそうですが、悪くはないと
「ロウゲツ国、結構腐ってるらしいですからね。なんか小細工してる感じもあるけど、ここでちょっくら攻め込んで潰す感じでしょうなあ」
ヘイエの穏やかな口調に皮肉が混じる。シュエは静かに微笑んでいた。
大きな、戦が始まる。
あの「巫女さま」が、本当に天命を受けているのかとか間者なのかとか言っていても、やはり仕方なかったのだ。どちらにしても影響力があることは確かだった。「巫女」がアンゲ砦の襲撃を予知したという話が勝手に広がったことで、その力は強まっていた。上層部は、国内の情勢とロウゲツ国の状況もかんがみて、今は「巫女」にのっかるべきであり、そうしても特に問題はないと判断したようだ。
アンゲ砦への急襲を挑発とみなす。勝手な行動を起こした者たちを処刑したので許せと言われたが、無視する。「巫女」を担いで士気を高め、ロウゲツ国に攻め込む。ロウゲツ国内部の荒れ方は、
「理解しました」
ザオは頭を下げた。
「ご高配痛み入ります」
シュエが笑みを浮かべたままうなずいた。
「こんなところで伝えることではないのですけれど、あなたがたなので。そのときが来たら。期待しています、ソン
とんとザオの肩を叩き、踵を返す。ふと思い出したように振り返って、ヘイエを見た。
「リョウ
「はいはいはい」
ヘイエがのんびりと多めの返事をする。シュエは門をくぐって去っていった。
ザオは一度大きく息を吸って吐き、ヘイエに身体を向けた。頭を掻いていた。
「違うよ」
ヘイエは困ったように言った。
「おれもさっき知ったよ」
「そうですか」
戦が近いこと、戦に「巫女」を使うと決まったことを、ヘイエはまるで前から知っていたみたいだった。
「ザオが知らなくておれは知ってるとか、そんなわけないだろ。
目を細めているザオを見て、ヘイエは申し訳なさそうに少し縮こまっている。
「そうですね」
ザオは湿っぽい視線をやめた。ヘイエがほっとしたように力を抜くのがわかって、思わず少し笑ってしまう。ヘイエともあろう人が、こんな半人前、にも満たないようなのに対して小さくなるなんておかしいのだ。
「ヘイエさんは、ファン飛長と付き合いが長いですからね」
「そうだよ腐れ縁。腐れ縁だけどさあ。さっきの飛長、なんか怖かったよなあ……? あの人ほんとにおっかないんだよ」
「伝えておきます」
「だめ許して、蛹長さま許して」
ザオは笑った。喉の奥からせり上がる苦みを飲み下して笑った。
***
隣で、槍を両手に三本ずつ持ったグワンが、ひくひくと肩を震わせている。同じように武具を抱えた仲間たちは、大変微妙な沈黙を垂れ流していた。盛大に顔をしかめ不快感をあらわにしてみるが、無視される。グワンは見てもいない。
「ほんっと馬鹿」
やがて、笑いすぎて高くなった声でグワンが断じた。
「巫女さまだぞ? 巫女さまに向かって戸を開けてくださいとか、それはないだろ」
「こっちから勝手に開けるわけにいかない」
反論すると、あたりまえだろと気持ちよく切り返された。みんなうなずいている。
ミンドゥ砦で火事があったつぎの日の昼下がりだった。火は無事に鎮められ、ほかの砦で混乱が起こることもなかった。今は、輸送されてきた武器の数を確かめて、蔵に納めている。蔵の前には刀や槍や弓矢を持ち、運び込む順番を待つ兵士たちの列ができていた。そのあいだに、グワンに今日の首尾を聞かれたのでこたえたら、グワンには笑われ、耳を澄ませていた周りには黙りこくられた。
「なんでそんなに近づこうとするんだよ。相手は巫女さまなんだぞ」
グワンは清涼な笑顔を浮かべている。不意に、ぐらり、と腹の底が熱く揺れた。
「知ってる」
ザオは小さくつぶやいた。
「巫女さま」だからなんなのか、言え。
生の心に従えば、そう迫っていた気がする。でも、そうはしない。できない。そんなことをすればこの場が凍ることは、いくらなんでも予想できる。別に凍らせることは望まない、寒いのは得意ではない。それにこれは、仕方のないことなのだ。身体の内で揺らいだ熱も、すぐに行方知れずになっていた。
先刻、ザオはみこさまに、いつも閉ざされている障子戸を開けてくれないかと頼んだ。渡したいものがあったからだ。
みこさまの部屋の前は、いつも変わらず清らかな空気に包まれている。しかし窓がないので、外の様子がわからない。あそこにいると、静穏なのにどこかそわそわした気分にさせられるのは、たぶんそのせいでもある。
今は草木も動物たちも、ほっと力を抜いて動き出す季節だ。この世がなんだか、瑞々しい時だ。でも、ずっと部屋にいることになっているみこさまは、それを感じることができない。監禁の一端というか、かなりの部分を担っている自分がそんなことを気にするのもおかしいが、何かをしたかった。そう考えて今朝、ぼけっと本営に向かって歩いていたら、いつもは見えないものを見つけた。
踏み固められた道の端に、小さい花がたくさん咲いていたのだ。凛と可憐で素朴な、紫色の花だった。名前など知らないが、なんだかいいなと思って。その花を摘んで、みこさまのところへ参上した。
しかし、渡そうとしても、障子戸はいつも閉まっている。それからたぶん、みこさまがいるのは、障子戸の向こうの黒い幕の、そのまた向こうだ。
こちらから勝手に開けるわけにはいかないことは、さすがに理解していた。だから戸の前にかしこまり、少しだけ開けてくれと頼んだ。みこさまは、返事をしなかった。
静寂の中に取り残されていると、季節を感じてほしくて花を届けるなどという、柄にもないことをしていると気づいて羞恥が襲ってきた。同時に、内側から激しく責め立てられた。広く裁量が認められているからといって、軽率すぎるだろう。だいたいこんなことを誰が望んだのだ、おまえだけだろう。
それで結局、花を渡すことはできなかった。行き場を失ってしおれた花は、土に埋めて供養した。ひどく情けない。
「あのな、だめなもんはだめなんだぜ」
グワンが諭してくる。
そうだ。だめなものはだめだ。天命を受けた巫女だから。戦の道具だから。だめだ。それに何より、こんなのには。
「まあ、ソン・ザオよ。何がしてえのか知らんけどさ」
グワンが言った。
「力技だけじゃ勝てねえだろ、おまえ成績悪かったっけ」
ザオは眉をひそめた。
「メイに頼めよ。渡したいもん、預けりゃいいじゃん」
グワンの言葉に、ザオは顔を上げた。みんなはひええ、とかなんとか悲鳴を上げている。
「グワンまで何言い出すの」
「ほんとに花、巫女さまに差し上げるんですかっ?」
「何が小便したかわかんねえのに……」
「それ思ってた」
グワンは涼しい顔をして肩をすくめ、ザオに向かって顎をしゃくった。
「だってこいつ、突っ込みだしたら止まんねえもん」
「おや、楽しそうですね?」
突如として、シュエのやさしげな声が突き刺さってきた。みんな一斉に口を閉ざして、そっぽを向いた。
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