七   憑光

 メイの背中を見送ってから、建物の奥に進み木戸を開ける。廊下にグワンが陣取っていた。グワンはザオに気づくと、よく通る声を少し小さくして言った。

 「お疲れ」

 ザオはうなずいた。涼しげな笑みを浮かべたグワンは歩み寄ってきたかと思うと、ザオの背中をばしばし叩き始めた。

 「しけた顔すんなよ蛹長ヨウチョウ。今まで異常なしだ。あとはよろしく」

 しけた顔などしていない。それに鎧を着た人の背中を叩いたら、手が痛いと思うのだが。自己犠牲によりザオに気合いを入れたらしいグワンは、急にひらりと身を翻して離れていく。みこさまの部屋の前にひざまずき、つぎの者が参りましたので下がります、と挨拶した。ザオに手を振って出て行こうとする。ふと振り返り、軽く顔をしかめた。

 「また質問攻め」

 おどけたようにそう言ってから、木戸をぴたりと閉めた。

 本営から、普段過ごす兵営に戻ると、「巫女」の護衛をする第一蛹ダイイチヨウはひたすら質問を浴びせかけられる。巫女さまはどんな様子だ、どんな姿だ、美人なのか、そんなこと聞くな罰当たり、神さまの声を聞いて叫び出したって本当か、いつ会えるんだ。

 メイは本営に留まっているから質問攻撃には遭わない。攻められたグワンとヘイエは、うまくこたえていた。そうだなあわりと普通の女人だよ、おれは美しいと思ったけど罰当たりかな、叫んだとか聞いたけどおれは見てねえんだ、そのうちこっちにお慣れになったら出てきてくださるだろ。

 昨日はみこさまがやってきた初日だったから、騒ぐのも仕方ないところがあった。しかし今朝になっても、まだみんな落ち着いていないようだった。どこから伝わったのか、「巫女」がロウゲツ国のアンゲ砦襲撃を予知したという話が広がっていたのだ。戦に備えながらも、質問攻めは続く。

 ザオも、聞かれたら何かしらうまいことこたえようと思ってはいる。しかし、みんなザオから何か聞き出そうなどとは考えていないということに気づき始めた。普段から、すぐ数えられるくらいの文字数しか喋らないせいだろう。よって返答はふたりに任せていた。グワンは、戻ればまたあれこれ聞かれるはずだ。頑張れ。

 グワンの気配が遠ざかり、しんと澄んだ空気に包まれる。ここは、ウンバン砦の中で黒翅隊コクシタイ隊長をはじめとする指揮官たちが集まる建物の中だ。木戸を隔てた向こう側では、血なまぐさい話が繰り広げられている。しかし木戸のこちら側は、そんなものとは隔絶された聖域のように感じられてしまう。木戸の向こうの声や物音はちゃんと聞こえるが、遠く感じられて、どこか現実味がない。この空間は、静けさに守られているように思える。みこさまが、いるせいなのだろうか。

 ぼんやりしていれば身体がとけて染み出していきそうな静寂は、不快ではないが心をさわさわと波立たせる。ザオはいろいろと考えて気を紛らわせることにした。

 メイは、みこさまを「嫌な間者ではない」と言った。メイには優れた観察眼がある。人の表情や行動から、本質を見抜くことに長けていた。本人は、人の顔色うかがうの得意なんだよね、と笑っていた。ザオが黒翅隊に入ったばかりのときだ。ひどく寂しそうな笑顔だった。

 黒翅隊は常に人材の引き抜きをしており、新入りは三つある百人部隊、のうちひとつに入れられる。飛は、内部で五つに分かれてそれらがと呼ばれ、さらに羽の中で四名編成のヨウも組まれるが、通常、蛹単位で任務を受けることはほとんどない。

 しかし第一蛹が所属している第一羽ダイイチウは、黒翅隊の中でも特殊な任務にあてられる部隊となっており、その中の蛹は蛹単位での行動も珍しくはなかった。戦のときの自陣内の見回りから、使者のふりをしての敵地での偵察、要人の警護までいろいろやる。第一羽は黒翅隊の顔のようなもので、黒翅隊として皇帝に謁見するときは最前列に立たされる。ザオはまだ、皇帝に挨拶したことはないが。そんな第一羽に入る者たちは、三年ごとに選び直されることになっていた。

 ザオは、二年前に入隊したばかりのときは第一飛ダイイッピに入れられて、そこにメイもいた。会ったばかりのメイはひどく明朗だった。ときどき陰るのに取り繕う。今でもそうだ。明るい荷物に引きずられて暗さを隠そうとする。

 入隊して一年後、第一羽の選び直しがあってザオは第一蛹長になった。メイと、ヘイエと一緒になった。グワンもいた。みんなうしろを見られて引きずられていた。

 うしろに気をとられずに、みんなのことをまっすぐ見たかった。自分は、そうしたかったのだ。だから、誰がどんな様子を見せても態度を変えない。そこにあるものを見ようとしたい。そんなこと、誰にも頼まれていないのだが。

 メイは、攻月台コウゲツダイが置かれたトラジ大城タイジョウの生まれだと聞いた。大城は、カファ国の中のいちばん大きな行政区分であり軍事区分だ。その地の有力な部族の長が、カファ国皇帝に統治を任されて治める。彼らは大城輔タイジョウホと呼ばれる。大城の中にはより小さな区分の小城ショウジョウユウがあり、小城は大城の臣下が小城輔ショウジョウホとしてまとめている。メイは、トラジ大城の中の小城を任された、小城輔の娘だ。

 小城輔である父には、メイの母親のほかにも多くの妻がおり、子供もたくさんいる。メイは、父からも母からもあまりかえりみられることがなかったらしい。メイは十三のときに、攻月台に入ることを決めた。攻月台の一般兵になるのは徴兵された民衆だ。しかし指揮官になるには試験を受ける必要がある。メイは、その試験を受けて優秀だったために直接黒翅隊に投入された。十五で精鋭部隊に入った少女は、なめた顔をする人たちをさまざまな意味でぶっ飛ばし、朗らかに居場所を築き上げてきた。明るく男前な、天才少女。メイは、うしろを見られていた。

 ヘイエはトラジ大城の中の、小さな邑出身だ。畑を耕して暮らしていたヘイエは十五のときから、戦いに徴発されていた。戦で父とふたりの弟をなくして、そんな空虚な戦場で活躍して、黒翅隊に引き抜かれた。強いだけではなく穏やかな人柄なので、隊の中でも尊敬され慕われている。攻月台の一般兵たちにも、たたき上げ代表としてあこがれられているようだ。まるで、夢をかなえた人のようで。ヘイエは、うしろを見られていた。

 グワンは、黒翅隊で初めて会ったのではない。十二のときも、十六のときも会っていて、去年に同じ第一蛹になって顔を合わせたときは、二度目の再会だった。グワンは、エンヨウ帝国との境に位置するメミ大城を治める大城輔の長男だ。今は故郷から遠く離れた攻月台にいる。真剣を使う多勢に木刀一本でびくともしないのは、天性のものがあることは否定できない。でも、気絶するほど鍛錬するからでもある。なまじ優男で卒倒したってやたらさわやかだから、わかりにくいのだ。グワンは、うしろを見られていた。

 きっと誰でも、そうだ。

 それにしても。

 やっぱり静かだ。

 みこさまは、まだここへ来てから丸一日も経っていないはずではあるが、こんなに静かでいったい何をやっているのかと、ふと気になる。はっきり言って、暇だろう。正直なところ、ザオも少し手持ち無沙汰だ。

 ザオは廊下を進み、みこさまの部屋に近づいていった。障子戸の前に膝をつく。ここまでやってから、自分は何をしているのかと思った。これからどうしようかとしばし静止していると、こうして黙って耳を澄ませているのは、人としてどうなのだという考えに至る。盗聴じみている。中にいるのが、監視の対象だとしても。

 「みこさま」

 ザオはとりあえず声を発した。よく響いた。普段、自分のぼそぼそした声が響くことなどないので、やや面食らう。

 「第一蛹長ソン・ザオです」

 護衛が交代したから、とりあえず改めて名乗っておく。続きの言葉は。お元気ですか、お加減いかかですか、今何をしておいでですか。なんだか妙な口上しか思いつかない。そんなふうに考えていた。

 「ソン蛹長」

 ザオは弾かれるように顔を上げた。中から聞こえたのは、みこさまの声だった。

 「はい」

 呼ばれたことに、驚いた。沈黙でもなく壮絶な絶叫でもないみこさまの声が、自分に向けられたことに、心が震えるのを感じた。温度を感じさせない透徹とした声だったが、なんだか腹の中がふわふわし始める。

 しかし、それ以降みこさまは何も言おうとしない。呼ばれたのだと、何か言われるのだと思ったのに。拍子抜けして、ちょっとおかしくなる。笑いをこらえながら、ザオはたずねた。

 「みこさまは、何をしておいでですか」

 力が抜けたから、少しくだけた調子になった。みこさまはこたえない。

 「お元気でしょうか」

 みこさまはこたえない。

 「もしやお暇ではありませんか。わたしはわりと暇なのですが」

 みこさまはこたえない。

 「うん、お暇ではありませんね。わたしも暇ではありません。さきほどは冗談を申しました」

 少しの間のあとだった。

 「ソン蛹長」

 ザオはつい、一瞬返事を忘れた。また呼ばれた。

 「はい、みこさま」

 しかし、それよりあとが続くことはなかった。今度も、呼ばれたのではなかったようだ。口調は平らで、感情を読み取れない。でもなんとなく、おまえもう喋るなと言われている気がする。ザオはとりあえず引き下がることにした。

 「失礼いたしました。少し黙ります」

 みこさまは、こたえなかった。

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