三 守視
天命を受けた巫女の伝説は、カファ国の民にとって心のよりどころだ。
大陸から東の海に向かって突き出す半島は今、大陸と接したカファ国、その北東のシュヌエン国、南東のロウゲツ国の三つに分かれている。それぞれが独自に皇帝を立て、半島内で争いを続けている状態だ。半島の統一を狙うロウゲツ国は、同じ夢を持つカファ国の宿敵である。ロウゲツ国を孤立させるため、カファ国はシュヌエン国と結んでいる。それに対抗しようと、ロウゲツ国は大陸の大国に協力を求めた。皇帝が統べる、エンヨウ帝国だ。
もともと半島の三国は、エンヨウ帝国の支配から抜け出して作られた国々だ。帝国の一地方だった半島は、東と西のふたつに分けられ、それぞれに帝国中央から統治者が派遣されていた。しかし彼らは徐々に土着し強い力を持ち、独自の皇帝を立て始めた。そうしてできたのが、カファ国、ロウゲツ国、シュヌエン国だ。それが百年ほど前のことになる。
エンヨウ皇帝は、勝手に新しい皇帝など擁立するなと怒り、境を接するカファ国に攻めてきた。しかしカファ国は帝国の軍を破り、国内を整えていった。そしておよそ三十年前から、さらに領土を広げるべく東進を開始した。ロウゲツ国は西進し、両国はぶつかり合った。そして今に至る。
カファ国が東に勢力を拡大し、半島を統一したいのは、三百年前の栄華を取り戻したいからだ。三百年前、半島がエンヨウ帝国の統治下に入れられる前の時代。そのときは、半島全体が、カファ国という国だった。
建国した人物は、文武に優れているだけではなく、人の心をとらえて離さない不思議な魅力を持っていたらしい。多くの部族が割拠する半島に生まれた彼は、半島を統一する大王となる。実力があったことにとどまらず、彼には天命を受けた巫女がついていたからだ。巫女は若き日の大王のもとに、突然現れた。
神が言葉を授けるゆえに、それを伝えてのちに大王となる男を、その兵たちを、民たちを導け。そして敵を打ち払い、偉大なる国を興せ。
それが、神がわたしに授けた使命。あなたは一帯を統べる大国の、偉大なる王となるために生まれたのだと、わたしはあなたを支えるために生まれたのだと、大王に伝えた。名前を聞いても、どこから来たかと聞いても、巫女はわからないと言う。でも神の言葉だけははっきりと記憶していると、何度もそう言った。
大王は巫女を信じ、兵を上げた。巫女の言葉を受けて、大王は竿に二枚の黒い布を結び付けて自軍の軍旗とした。二枚の黒がたなびく様子はまるで、黒い翅の蝶が飛ぶようだった。大王のこの軍団が、
大王は連戦連勝した。巫女が神の言葉を聞き、敵の戦術をすべて見抜いていたからだ。黒い旗を振る巫女に導かれ、巫女が伝える神の言葉に従い、大王軍は勝利を重ねた。
そして、蝶になった。巫女は、大王の戦いが終わる前に、黒い蝶になって飛び去った。それでも黒の旗をなびかせ戦った大王は、ついに半島を統一した。帝国の侵略を受け征服されるまで、その統治は続いた。天命を受けた巫女の助けによって、国が作られたのだった。
人々は、天界の神を信じる。天上には神がおわし、ひとりひとりの人間に天命を与えるのだという。人は天命を悟るため、悟った者は成し遂げるため、常に努めなければならない。それが、半島や大陸に古くからある教えだ。
神によって天命を悟り、直に神の言葉を聞いて人々を導いた巫女は、カファ国の人々にとって敬愛と憧憬の対象だ。巫女の物語は長い帝国支配のあいだも、大切に守り伝えられ続けてきた。カファ国が再び建てられると、神を祀る神殿は巫女の物語で人々の心を掴み、権力を持った。神殿は、カファ国は天命を受けた巫女の導きと、神の意志によって作られたのだと人々に言っている。
そして今だ。帝国の支配を脱し、かつてのカファ国王族の末裔を皇帝として新しく建国された今のカファ国に、もう一度大国となる夢を見るカファ国に、「天命を受けた巫女」が再び現れた。人が酔ったとしても、仕方のないことだった。
「奥にいる娘が本当に神の言葉を聞いたのかなどは、些末なことだ」
ウェイゴンがつぶやいた。
「娘が現れたのは二日前だが、すでに
漆黒の上衣を肩から外しながら、ウェイゴンは小さくため息をつく。
「大神殿の
「使いはお送りしたが、急なことゆえまだなんとも。取り急ぎはこちらで対応することになる」
「かの女人の処遇はいかに」
ウェイゴンは上衣を丁寧にたたんでいた。
「うん。もはや無下には扱えぬ状況だ。士気にもかかわる」
「では」
「わたしは神を信じる」
ウェイゴンは言った。そして、笑みを浮かべる。にこり、とかではなく、にやりという感じだが。ウェイゴンは続けた。
「わたしには直に天命を告げてはくださらぬが、確かに与えてくださっていると考えている。それからまあ、神だのなんだのが出てきたら、カファの人間ってちょろかったりするしな。おれもわりとちょろい」
たまにこうして、急に口調がくだける。ザオは思わず小さく笑った。それに気が付いたのか、ウェイゴンは不敵な笑みを深める。ザオは顔を引き締めて聞いた。
「どうなさるおつもりで」
「守れ」
ウェイゴンが言った。短く淡白な命令だった。
「かの娘、天命を受けた巫女を守れ」
ザオはウェイゴンの鋭く光る目を見た。この人はひとりの人間として神を信じたうえで、黒翅隊隊長としての判断をしたのだとわかった。それは巫女をこちらに送り込んできた攻月将軍も同じだろうと、ザオは思う。
ロウゲツ国との緊張状態が続く中、伝説の巫女の再来と言われ兵たちの心を掴んだ人物の出現は、かなり大きい。いい意味でも、悪い意味でもだ。
うまく使えば士気の維持に資する存在だが、兵士たちを扇動して勝手な行動を起こさせる恐れがあるし、それを目的とした間者という線もある。というよりそれが濃厚か。でももしそうなら、攻月将軍の陣で活動を続けたほうがよさそうだ。せっかく一部を手なずけたのにわざわざ移動して、黒翅隊のもとに行きたいと言う理由がわからない。今は何もはっきりしないが、間者であるにしろそうではないにしろ、野放しが危険なことは確かだ。
しかし冷遇すれば、巫女を信じる人たちの反感を買ってしまう。それに、神の名をかたる者を、間者かもしれないからとさっさと処断するようなことは、できない。つまりウェイゴンの言うとおり、軍と言っても神の名を出されると「ちょろい」ところがあるのだ。
だから、巫女の望みどおりに黒翅隊のもとに送って、みんなをひとまず満足させた。それ以上、巫女が人々を掴んでしまわないように移動させた。きっと黒翅隊の側で、いいように取り計らうことを期待してもいたのだろう。
それを受けてウェイゴンは、
それに、巫女の噂が国内に広がるということは、隣国に広がるということでもある。神憑りの娘を擁する攻月台を恐れる者も出てくるだろう。そうして好機が巡ってくれば、巫女を使って兵士たちの心を奮い立たせ、戦えばいい。不用意に巫女とほかの者を慣れ合わせないようにすることは、巫女の聖性を保つことにもつながる。神に近い存在が煽れば、間違いなく士気は上がるだろう。実際今も、そういうことが小規模なりとも起こっているようだし。
仮に巫女が隣国からの間者であったとしても、それをすべての者が知っているわけではないと考えていい。巫女への畏怖が広がることはほぼ確実だ。間者なら自国を攻める兵を煽り立てることを拒否するかもしれないが、それは正体を炙り出しただけだ。逃がさなければ、損になることではない。脅してこちらに引き込むこともできる。
ザオにも神を尊ぶ気持ちはある。しかし、それだけで動くことはできないし、そうしたいとも思わない。天命を受けた巫女というのは、うまくすれば利用価値のある、道具、なのだ。その本当の姿が、なんであったとしても。
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