二   四蛹

 ふたりで櫓のある場所よりも少し下の本営を目指す。本営は指揮官たちが駐在する建物があり、このウンバン砦の中心となる場所だ。伝令さんには、あとからゆっくり戻るようにと言ってきた。グワンが。山全体が要塞となっているので、移動は登山下山なのだ。坂道を下りながら、グワンが腕を組んでつぶやく。

「ファン飛長ヒチョウがお呼びって、なんだろうな」

「さあ……」

 ファン・シュエはグワンとザオの上官だ。本営にいることの多い上役で、直属の上官ではない。

「ザオおまえ、なんかした?」

 グワンがさらりとたずねてくる。ザオは無言で顔をしかめた。

「巻き込まれたかな……うちに連座はないはずなんだけどな……」

 ザオは何も言っていないのに、グワンは勝手に話を進めて勝手に嘆いている。からかわれていることがわかるので、ザオは無視を決め込むことにした。

「なんか、任務だろうな」

 グワンはやがてさっぱりとそう言った。そんなこと最初からわかっている。

「でもおれらだけって、だいぶ規模が小さいよな」

 確かにそんな気はする。

「やっぱり巫女さまと関係あるかもな、だいぶ騒がれてるし。だったら結構名誉じゃねえ?」

 知らん。

「おまえもさ、ちょっとは気になってるんじゃねえの? そういうの興味ないんだと思ってたけどさ。だってさっき、黒いちょうちょさん追いかけてただろ熱心に」

 そこまで気づいていたなんて、視野の広さも化け物級である。

 本営が置かれた曲輪にたどりつくと、瓦屋根のついた門の前で、番人に所用の確認をとられた。門をくぐると、どっしりと建つ平たい建物が見える。壁に取り付けられた窓はすべて木戸が閉ざされ、入り口だけがぽっかりとあいている。その近くに、お呼び出しの対象となった第一蛹ダイイチヨウの、残りのふたりがすでにいた。一緒に物見を終えた休憩中だったので、井戸にでも行っていたのだろう。

「あっ、来た来た」

 振り返ったメイが声を上げて駆け寄ってくる。長い髪が生き物みたいに揺れる。

「お疲れ。なんの呼び出しだと思う?」

 そう聞いてくるメイはなんだか楽しそうだ。いつもなぜか輝いている目が、さらに煌々としている。

「さあ……」

 気のない声でこたえたのはグワンだった。

「えっ? ねえやっぱり、噂の巫女さまに関係あったりするかな」

「さあな……」

 わくわくした様子で予想するメイに、グワンはそっけない返事をする。メイが眉を寄せた。ザオも眉を寄せた。メイがグワンを見上げていぶかしげに問う。

「何? あんたなんか悪いもんでも食べたの?」

「そうかもな……」

「はあっ?」

「はいごめんなさい」

 メイの目がつりあがると、グワンは早口に謝った。

「なんなの?」

「ザオの真似」

「なんでよ?」

「さっきまでさんざん無視されてたからあてこすろうとした」

 グワンがあっさりと白状すると、メイはふきだした。

「何それ。なんかそうかなとは思ったけど」

「似てただろ」

「おおむねはね。でもグワンはザオみたいなの全然似合わない」

 その言葉を聞いたグワンは、にわかに清々しいまでの笑顔を咲かせた。

「あっ、そっか。ありがとな!」

「へ? 何がよ?」

「おれはありのままがいいってことだろ」

「待て。何をどう解釈したらそうなる?」

 えっなんで違うのかよ、なんなのあんた馬鹿なの、とふたりは言い合いを続けている。ザオはやれやれと肩をすくめた。年の近いグワンとメイは、暇を見つけてはこうしてやり合う。そうは言ってもグワンとザオのほうが近くて、同じ十八なのだが。メイはひとつ下だ。ザオはふたりがじゃれ合いを始めると止めることもなく、加わることもなく、傍観者の役割を果たす。なんだか今は、だしにされているような気もした。まあいいか。

「おいおいおまえら」

 やわらかい声がふたりのあいだに放り込まれる。歩み寄ってきたのはヘイエだ。ヘイエの穏やかな声音は、どこにもつかえずにすっと届いてくる。ザオはいつもそう思っているし、きっとグワンとメイも同じだ。ヘイエはこの中の最年長で、年の離れた兄さんである。

「第一蛹全員そろったから、行くぞ」

 ヘイエが言った。はあい、とメイが素直に返事をして、グワンが笑みを浮かべてうなずいた。目配せしてくれるヘイエに目礼でこたえ、ザオは先頭に立った。

 ロウゲツ国を睨むため、国境の領トラジ大城タイジョウに置かれた機関、攻月台コウゲツダイ

 いくつもの砦を持ち、多数の兵を擁する攻月台を率いるのは、カファ国皇帝によって任命される攻月将軍コウゲツショウグンだ。その将軍に直属する特別部隊を、黒翅隊コクシタイという。黒翅隊を構成するのは、攻月台の兵士や指揮官の中から実力のみによって引き抜かれる精鋭たちだ。総勢三百名であり、最小単位であるヨウは四名編成になっている。

 蛹を五つ束ねて、羽を五つ束ねてと呼ぶ。今、百名の隊士を率いる第一飛長ファン・シュエに呼び出されたのは黒翅隊第一蛹である。ユン・グワン、アン・メイ、リョウ・ヘイエは、第一蛹長ダイイチヨウチョウであるザオのいちばん近い仲間たちだ。

「行こう」

 うしろの三人に声をかけると、好き勝手な返事が三つ返ってくる。




***




 建物に入ってすぐ、くすんだ色の石の床には、軍議用の大きな卓子が置かれている。この建物の内部に壁はなく、柱が何本も並び、奥には段差があって上は板の間だ。しかし板の間まではよく見えなかった。目の前、卓子を挟んだザオの向かい側に、大柄な人が立っていたのだ。鎧の上に、黒い上衣を羽織っている。その姿をみとめ、ザオは即座に礼をとった。うしろの三人も、同時に同じ動きをしたのがわかった。

 真正面にいたその人は、黒翅隊の隊長である。いつもいきなり現れる人ではあるし、この建物にいることはなんら不思議ではないが、出迎えられる形になるとは思わなかったから少し動揺してしまった。いきなり隊長とは何事。それでファン飛長はいずこ。

「第一蛹、ファン飛長のご指令のため参上仕りました」

 ザオはちょっとした混乱を押さえ、右の拳を左手で包んだ姿勢のまま言った。黒翅隊隊長チャン・ウェイゴンは軽く目を伏せながらうなずいた。

「うん。ご苦労」

 ずいぶんと低い声は少ししわがれているが、まだ三十代の若い隊長だ。鷹のような鋭さを持つ目がザオをとらえる。遠慮なく視線を返す。ウェイゴンは口を開いた。

「ソン蛹長」

 いつものようにザオと呼ばないあたり、気楽な話が始まるのではなさそうだ。第一蛹を集合させたのはウェイゴンではないはずだが、本当に用があるのは隊長だったのかもしれない。特に動じる必要はない。

「はい、隊長」

 ザオがこたえると、ウェイゴンは静かに切り出した。

「噂については知っているか」

 うしろで、メイが身じろぎする気配がした。彼女の周りの空気が華やぐのがわかる。メイは興味を持っているらしい。しかしそれはメイだけではない。この砦には黒翅隊と、攻月台所属のほかの兵士たちが詰めており、たいていの者が関心を引かれている。その噂に。

 戦の場にいれば、嘘か本当かわからない情報が流れてくることはよくある。しかしそれに踊らされることは命の、ひいては国の危機にも繋がるのだ。まあ、あえて踊らされてやるという場合も、踊らされるしかないという場合も、なくはないが。

 ザオはウェイゴンをまっすぐに見て問うた。

「天命を授かったという女人の話でしょうか」

 ウェイゴンは、ただうなずいた。

「そうだ。攻月将軍閣下の陣に、己は天命を受けた巫女だと、突然現れた娘の話だ」

「存じております」

「娘は、神の言葉をわれわれに伝え、このカファ国を勝利に導くことが己の天命だと言った」

「そのように聞きました」

「天なる神より授かった使命だと」

「はい」

「己は黒の御旗のもとで、カファ国の同志たちを率いねばならぬと」

 ウェイゴンは遠くを見るように、目を細める。

「昔、天命を受けて建国の大王を助けたという、あの巫女のようにな」

 ザオは小さくうなずいて見せた。

「娘を信じる者は多い」

 そうだろう。その影すら見ていなくても、信じている人はいる。

「建国時代の巫女の再来ともてはやしているようだ。それどころかもはや、神そのもののように扱う者もいるらしい。導きを受け戦うべきだと主張する者も」

 一部の兵士たちを虜にしてしまっているのだ。そしてこの砦の人たちが盛り上がっているのは、この続きのせいであるところが大きい。ザオは再び口を開いた。

「そちらの女人は、攻月将軍閣下の陣より護衛を伴い、このウンバン砦に移ってくるらしいと多くの者が申しております。黒翅隊の御旗のもと我らを導くためだとか。もしやまことなのでしょうか」

「まことだ。その娘はすでにここにいる」

 ウェイゴンがあっさりとこたえ、ザオは一瞬息を詰めた。でもすぐに、さようですかと何気なく口にする。うしろのグワンとヘイエにも動じた様子はなかったが、メイの気配が躍っていた。隊長がいなければ飛び上がっているだろう。目の前のウェイゴンは、何を思っているのか読み取れない目をしていた。

「娘はさきほど到着したばかりだ。今日が移動によい日らしく急に決まった。それと……、護衛の者たちが、むやみに巫女の姿をさらしてはならぬと言い張ってな。人目には触れさせぬように運んできた。ファン飛長と奥の部屋にいる」

 石の床から一段上がった板の間の奥には、部屋がある。ザオは入ったことがなくどんなつくりなのか知らないが、その中に、もう巫女と呼ばれる人がいるらしい。ファン飛長は、しばらくその人の世話係でも仰せつかっていたようだ。

「天命を直接授かり、とにかく歩いてきたと。それ以前のことはわからないが神の言葉だけは覚えていると言っている。黒翅隊の旗のもとカファ国の兵を導いて敵を打ち破り、カファ国を再び偉大なる国とするのが、使命なのだそうだ」

 ウェイゴンは淡々と話した。

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