四 問名
ザオは三人を振り返った。きっとみんな、ザオと同じようなことを考えているはずだ。メイに関しては、それと同時に個人的な好奇心がかなり漏れ出している感じはするが、まあだいじょうぶだろう。なんだかんだやるときはやるやつだ。
グワンとメイと、ヘイエと素早く順番に目を合わせ、ザオはウェイゴンに向き直った。敬意を込めて、拱手をする。
「承知仕りました。
顔を見ると、ウェイゴンはなんだかおもしろいものを見つけたような表情をしていた。
「急な命令なのにだいじょうぶか? 四人さん、全部わかって受けてんだろうな」
急にからかうように言い出す。ザオは肩をすくめて見せた。ヘイエがのんびりと言った。
「巫女どのが現れたのが二日前で、二日のあいだに影響力を持ったのですから急なのは仕方ないでしょう。あと隊長の謎は、その急接近口調だけですよ。そのほかのところは、われらはだいたい隊長と同じ意志を持って動いています」
「言うな」
ウェイゴンがヘイエを見やってにっと口の端をつりあげた。そして雑な指令を賜った。
「いろいろと、頼むぞ」
「お任せください」
ザオはこたえた。第一蛹は、このような特殊な任務に放り込まれることが多い。
たたんだ上衣を卓子の上に置いたウェイゴンは、ついてこいと目で言った。卓子の前を離れていくので、一度三人を振り返ってから、そのあとに随う。
ウェイゴンが向かったのは奥の、部屋のあるほうだった。革靴を脱いで板の間に上がっていく。ザオも草鞋を脱いでウェイゴンに続いた。奥へ入るのは初めてだった。どうやらこれから巫女に引き合わせられるらしい。
ウェイゴンがぴたりと閉ざされた木戸を開けると、古びた木の廊下がまっすぐに続いていた。両側に、障子戸が並んでいる。こんなことになっているとは知らなかった。戸にも床にも天井にも、装飾はひとつもない。華美さとは無縁で、寡黙に実用一本勝負をかけているという感じのつくりだ。
「こうなってるんだあ」
メイが素直に感想を漏らす。ウェイゴンが振り返った。
「これからはここが巫女さまの居所になるな」
「そうなんですね」
メイは目を輝かせてあたりを見回していた。
「この中のどこかにいらっしゃるのですか」
グワンがたずねると、ウェイゴンはうなずいた。
「いちばん奥の部屋だ」
五人して廊下をきしきしと鳴らしながら歩いていく。突き当りにたどり着くと、ウェイゴンが障子戸に向かって声をかけた。
「ファン
はい、と中から張りのある返事が聞こえて、すっと戸が開いた。顔をのぞかせたのは第一飛長のファン・シュエだ。第一蛹は上官に礼をとる。シュエは流れるような動作で返してくれた。彼女はいつものように傷だらけの鎧をまとった姿ではなく、落ち着いた赤の衣を着ていた。普段丸くまとめてある髪も、今は背中に流している。やはり巫女のそばにいることを命じられていたようだった。
「入れ」
ウェイゴンに言われ、シュエにもそっと促される。部屋に一歩足を踏み入れ、ザオは思わず動きを止めた。
梁から、黒い布が吊り下げられていたのだ。たっぷりと長い布は、裾が床に届いて余りある。向こう側を、うかがい知ることができない。部屋が黒に分断されたさまはどことなく異様で、じわりと畏怖が込み上げるのを止められなかった。
誰も何も言わない。
その静けさに、身体の内側に触れられるような薄気味悪さを覚える。この沈黙を醸し出す黒の天蓋を、引きちぎってやりたくなる。おかしい。ザオは一度強く目を閉じて、畏れと衝動をやり過ごそうとした。
「巫女さま」
シュエが幕の向こう側に呼びかける。
「これよりあなたさまをお守り申し上げる者たちを、連れてまいりました」
流麗で慇懃な言いぶりだった。ここでは、あくまでも天命を受けた巫女として扱うのだ。神から直に天命を授かった巫女として。害するわけにはいかないが放っておけば都合が悪いので、移動させて奥に閉じ込めておく。都合よく利用するために保存しておくのだ。この幕の奥に存在しているのは、巫女であり大事な道具だ。接するときに、敬意を、忘れてはならないのだ。見た目にはわからないように、細く時間をかけて深呼吸する。落ち着け。
「ご挨拶申し上げます」
シュエが告げて、目配せする。ザオはシュエにうなずいて見せた。その場にひざまずく。そのとき、黒が揺れた。シュエが声を上げる。
「巫女さま」
黒が、割れる。左右に分かたれる。そして、姿を見せる。
白。まじりけのない、白。眩しい。思わず目を眇める。それでも見上げてしまう。あ、と声がこぼれかける。鍵穴に鍵を差し込むようにぴたりと、目が合ったのだ。瞬間、止まる。漏れかけた声もまばたきも、呼吸も止まる。
何か鮮烈な力を、一方的に注ぎ込まれている。凄絶な力で、逆らうすべなく引き寄せられている。ぼんやりと思う。
なるほど、きれいだ。あとなんか、すごい。これは信じても仕方ない。
真っ白な衣をまとって立つ華奢な姿はなんというか、ものすごくさまになっていた。背負う空気に静かな圧がある。そして、美しい。これはたぶん、多くの人があこがれる美とは違う。でも、凛然としたたたずまいと、強烈な力を宿して黒々とした瞳が、あまりに印象的でほかにはない美しさを醸していた。神の声を、いかにも聞いていそうである。
だいじょうぶだ。これはちゃんと巫女で、ちゃんと道具だ。
ザオはなおも動けないまま投げやりに思った。
なんか蝶みたいだな。
黒い、翅の。
ふと。
シュエが進み出てくる。
「巫女さま、中に」
ザオはようやく力を抜いた。巫女を見上げていただけなのに、なんだか疲れている。上げっぱなしだった顔をうつむかせると、首が変な音を立てた。勘弁してほしい。
シュエが巫女を促して幕の向こうへ戻そうとしている。衣擦れの音がして、黒い布と白い裾が視界の隅で揺れる。ザオは顔を上げた。誰も声を出していないのに、呼ばれたような気がして。
閉じかけた幕のあいだに、巫女の顔が見えた。静謐なその横顔が、ふと緩む。いたずらが成功したときのような。大仕事を終えて、気が抜けたときのような。ほんのりと、そんな表情が浮かぶ。そこにいたのは、ザオよりも年下にしか見えない、ひとりの少女だった。
直後、黒が少女の気配を遮断する。
幻のようだった、見間違いかもしれない、でも。
目の奥が熱くなる。
だめだ。
ザオは少女のほうへ膝を進めていた。
「みこさま」
まだ名前も知らない人だ。便宜上、そう呼ぶしかない。でもたぶん、この呼び方はこれで最後だ。ザオは邪魔くさい布の向こうを、まっすぐに見つめて声を張った。
「ソン・ザオと申します」
向こう側にいるひとりの少女に、問いかける。
「あなたのお名前は」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます