第19話 必死の逃走劇

 目的は決まった。

 唯一の安全地帯である地下室に行くこと。

 地下室の扉は玄関ホールの大階段裏にある。 

 ということは、また玄関ホールに戻らないといけない。


「あの化け物は書斎の方に戻っていったよ」


 ミスティちゃんの情報から、今来た道を戻ったらまたあの狼の魔物と鉢合わせの可能性が高いことがわかった。


「今僕たちは館一階を東回りで温室まで来た。地下の入り口がある玄関ホールに戻るためには西周りに戻らないといけない」


 飛鳥姉さんが持っていた館の地図を確認する。

 温室が北。玄関ホールが南。

 温室から玄関ホールは直接つながっていない。

 

「西側の娯楽室とBARの前を通って、また戻らないといけないわね。またL字型の廊下を通らないといけないのだけれど」


 困ったように飛鳥姉さんが言った。 


「問題は反対側から回ってきたあの怪物と鉢合わせすることね」

「怖い。なんだか嫌な臭いが強くなってる気がする」


 ミスティちゃんが怯えていた。

 さっきまで冷静だったのに。逆に伊藤さんが冷静さを取り戻して、対策を考えてくれている。


「そうね。もし反対側から鉢合わせしたら、BARと娯楽室の中を通って回り道したらいいわ。そうすれば、回避できる」


 方針は決まった。

 さすがは伊藤さん。冷静さを取り戻したらすごく頼りになる。


 ※※※※


 先頭が僕。2番目はミスティちゃん。三番目は伊藤さん。そして最後の殿は飛鳥姉さん。

 本当は一番魔物が襲ってくる可能性の高い殿は僕が引き受けると言ったんだけど、飛鳥姉さんが殿を譲らなかった。

 なんでも「もし後ろから来たら私のデザートイーグル《相棒》を使うチャンスなの。こればっかりは譲れないわぁ。うふふ」と笑っていたから殿を譲らざるを得なかった。

 なんだか僕の中のやさしいお姉さん像が崩れていく……。


「よしここまではなんとか来れた」


 ここからはさっき話していたBARと娯楽室が併設された部屋の前にあるL字廊下だ。ここを通り抜けられたら、玄関ホールにたどり着ける。

 慎重に一歩ずつ進む。

 前から来たらすぐに引き返せるように。

 

「あ、あ、ああ……。だめだめだめだめ」


 突然、ミスティちゃんが取り乱し始めた。


「どうしたの?」


 さっき狼の魔物に追いかけられていた時でさえ、冷静だった。なのに、この取り乱しようはなんだ?

 今にも倒れそうな青白い顔をしている。


「来る。惨劇の臭いが! 禍々しく醜悪で恐ろしい臭いが近づいてくる!」

「大丈夫です! 僕がついてますから!」


 何にそんな怯えているのかがわからない。

 緊張状態が続いて限界が来たのかもしれない。

 ミスティちゃんの手を握って、微笑みかける。

 そうすると少しだけ、ミスティちゃんの手の震えが収まった。


「ありが――」


 手を引いて、L字の廊下を曲がった時だった。

 目の前の玄関ホールに繋がる扉が弾き飛ぶ。あまりの勢いに壁が崩壊した。

 崩れた土煙から巨大な四足歩行の影がゆらりと現れる。

 ドスン、ドスンと一歩がまるで地震のようだ。 


「————」


 誰も声を出せなかった。

 

「GRUUUUUUUUUAAAAAAAAAA]


 その咆哮だけで館が軋む。まるで世界の終わりかと錯覚するほどの絶望。


「逃げろぉぉぉぉぉ!」


 一目散に僕たちは引き返した。

 当初の計画通り、僕たちは娯楽室とBARへと入った。

 この部屋は直接玄関ホールに繋がっている。

 これで作戦通り逃げ切れる!


「え?」


 ドン!

 という衝撃と共に壁が破壊された。

 大量の酒瓶が足元に転がってくる。瓦礫や煤でBAR兼娯楽室は見る影もない。

 狼の魔物は壁を突き破って僕たちの先回りをしてきたのだった。


「嘘、でしょ?」

「これはまずいわねぇ」


 この巨大な魔物にとって部屋など、まして人間が作り出した壁など意味をなさなかった。常識外の存在に常識が通じるなんてのは甘い考えだった。

 僕は今更ながら学習した。


「まずい。進行方向を塞がれた」

 

 こうなれば仕方がない。


「僕が囮になります!」


 だが、それよりも早く飛鳥姉さんがハンドガンを撃った。的確に目を撃ちぬく。さすがのコントロールだ。だけど、効いてない。

 当然、魔物の狙いは飛鳥姉さんとなる。


「まいったわねぇ。まさか怯みもしないなんて」

 

 そこからは圧巻の一言だった。

 飛鳥姉さんは魔物の爪撃そうげきを躱しながら銃撃戦を繰り広げ始めたのである。鮮やかで、洗練されたステップ。


「あはは! 楽しい!」


 まるで日常で僕らと他愛のない会話で笑っている。そんな笑顔に僕らは戦慄した。だけど、このままじゃ飛鳥姉さんは死んでしまう。


「伊藤さん、ミスティちゃんをお願いします」


 青白い顔をしながら過呼吸を起こしているミスティちゃんを伊藤さんに預ける。

 

「こっちだ、魔物!」


 足元に転がっていた酒瓶を魔物の顔に投げた。

 運よく目に当たって酒瓶が砕ける。

 すると銃でも怯まなかった狼の魔物が苦しみもがき始めた。


「お姉ちゃんを! 私の友達を傷つけるなぁ!」

 

 そばにいたミスティちゃんも震える手で同じように魔物へと酒瓶をなげつける。

 両目にアルコールを浴びてもだえ苦しんでいる。

 今が絶好のチャンスだ。


「飛鳥姉さん! 今が逃げるチャンスです!」


 僕らは必死に走って玄関ホールにたどり着く。

 そして大階段の脇道の先にある階段を駆け下りる。その先にある重厚な鉄の扉を潜り抜けた。

 最後に僕が地下室に入って、扉を閉める。

 その直後だった。

 ドォン! ガァン! キィィィィ!

 扉に巨体が当たる音や爪でひっかく音がする。

 間一髪だった。


「た、助かった……」


 僕は思わずその場にへたり込んでしまった。

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