第25話 家出
俺と萌香は全てを話した。
イラストレーターになるという夢を追いかけるために家出をしたこと。実家にいてはその夢を叶えるのが難しいこと。アルバイトを始めたこと。なんとか生活はできているということ。俺の母親にこのことを打ち明けたことなどなど————。萌香の気持ちや今までにあった出来事を、事細かに全て話した。
一通り話し終わると、萌香は長机に身を乗り出した。
「圭太くんには本当によくしてもらって、感謝してもしきれないくらいなの! だからお父さんもお母さんも、圭太くんのことだけは責めないで! 責めるなら私を責めて!」
萌香の言葉に、しばらくお父さんもお母さんも何も言えないでいた。
「僕にも間違いなく落ち度はありました。もっと他に方法はあったと反省しています。本当に申し訳……」
「もういい」
お父さんは俺の言葉を遮るような形で言ってきた。お父さんの表情を見る限り、怒っているようには見えない。
「君が今まで萌香に対してよくしてくれていたことは、話を聞いてよくわかった。さっきまでのことは申し訳なかった。お詫びする」
「いえいえそんな……」
そこには机に手をついて頭を下げるお父さんの姿があった。
やがて顔を上げたお父さんは、なおも続ける。
「……君はもう、部屋を出て行きなさい。これからのことは萌香としっかり話させてもらう。これ以上、君に迷惑をかけるわけにはいかない」
急にそんなことを言われた。
もちろん俺の中に萌香を一人にするという選択肢はない。もし萌香を一人にしてしまったらどうなるかなんてことは、なんとなく目に見えている。間違いなくお父さんに言いくるめられてしまうだろう。
だから俺の答えは一つだった。
「いえ、出て行くわけには行きません。これは僕と萌香、二人の問題です。ご両親に納得していただくまで、僕はここを離れません」
我ながらに大層なことを言っている自覚はある。でもこの状況では、これくらいの覚悟があって当然だ。
「正気なのか?」
「はい」
お父さんは俺の言葉に目を丸くしていた。
「納得とは、具体的に何を納得させる気なんだ」
俺は一呼吸置いてから言う。
「萌香が夢を追いかけることを許してください」
俺がきっぱり言うと、お父さんは目に若干睨みを効かせてきた。
「もしそれを許さないと言ったら、どうするつもりなんだ」
そんなの、決まっている。
「萌香と一緒に家を出ます」
俺はお父さんの目を一筋に見つめながら言った。
お父さんも、俺の目を一筋に見つめている。
「もちろん、萌香がいいと言えばですが」
「私は圭太くんと家を出る覚悟があります」
すぐさま萌香が言った。
俺たちのあまりの勢いに、お父さんは黙り込み、お母さんは呆気に取られていた。また一方で、二人は何かを悟っているようにも見えた。
……しばらくして、お母さんが口を開く。
「二人がお互い心から信頼し合っているのはよくわかったわ。……でも萌香には高校があるし、圭太さんだって大学があるのでしょう? 親としてはそんな無謀なこと、簡単に許すことはできないわ」
心配そうに言うお母さんに対して、萌香が語りかける。
「ごめんねお母さん。これは私の意思なの。ここに居続けたら、私がどんどん私でなくなっちゃう。そんなのは絶対に嫌。だから許してほしい」
萌香が言うと、それ以上お母さんは何も言わなかった。いや、言えなかった。
————それから長い沈黙が流れた。
俺も萌香も、お父さんの次の言葉を待っていた。
お父さんは腕を組み、険しい顔をしながら俺と萌香のちょうど間に視線を送っている。
……結局お父さんが口を開いたのは、沈黙が流れ始めて一分弱が経過した頃だった。
「もう勝手にしなさい。これ以上、何も言うことはない」
言われた時は、その言葉の意味を上手く自分の中に落とし込むことができなかった。しかしお父さんのその真剣な眼差しを見て、ようやくその言葉の意味を実感する。
そんなお父さんの言葉に、真っ先に反応を示したのはお母さんだった。
「お父さん……! いくらなんでも……それは……」
それでもお父さんの表情は何一つ変わらない。
「萌香の意志ならば、仕方がない」
「そんな……」
うなだれるお母さんをよそに、お父さんは萌香の目を見て言う。
「お前の人生だ。好きにしろ」
その言葉には、確かにお父さんの強い意志が感じられた。
それに対して萌香は一度だけ頷き、すぐさま席を立つ。
「圭太くん、行きましょう」
萌香にそう言われ、俺は頷く他なかった。
「……わかった」
それから俺も席を立ち、二人してすぐ側に置いてあった荷物を持って部屋の出口へと向う。
「萌香……!」
部屋を出て行こうとする萌香の元に、お母さんが駆け寄って来た。
「本当に行っちゃうの……?」
お母さんはさぞかし心配そうな表情をしていた。いくら萌香の意志とは言え、そんな顔を見せられてはさすがに不憫に思えてしまう。
「……うん。私が決めたことだから」
萌香の意志は固かった。
お母さんの表情も一気に諦めているようなものに変わる。
「そう……。いつでも帰って来ていいんだからね……」
「……ありがとう、お母さん」
そんな二人のやり取りは、俺がぎりぎり聞き取れるかどうかというくらい、お互いとても小さな声で交わしていた。
そして萌香は、依然としてそっぽを向いたまま座っているのお父さんの方を見て、言い放つ。
「家出します」
力強い眼差しをもってそう言い放った萌香の目には、遠目からではわからないくらいの微かな涙が滲んでいた。
実家から駅へ向かう途中、萌香は今までにないくらい、声を出して泣いていた。
どうやら実家を出るまではなんとか涙を堪えていたようで、実家を出た瞬間にぼろぼろと大粒の涙を流し始めたわけだった。
俺はそんな萌香の背中をさすりながら言葉をかける。
「萌香は立派だよ。これだけ強い意志があれば、どんなことだって乗り越えられる」
これは俺が心の底から感じていることだった。
萌香は依然として嗚咽を漏らしながらも、なんとか言葉を紡ぐ。
「私はっ……本当にっ……親不孝な子どもです……」
俯きながら泣いているので、涙がアスファルトにぼたぼたと落ちている。
「たしかに今はそう思うかもしれないけど、未来は変えられる」
俺が言うと、萌香はゆっくりと顔を上げた。
それから萌香は泣くのをやめた。
顔に滴った涙を手で拭い、奥に見える駅をまっすぐに見つめる。
「私、頑張ります」
そう言う萌香の顔は、まさに決意に満ちていた。
「またここへ帰って来よう」
俺が言うと、萌香は一瞬不思議そうにこっちを見たが、すぐに笑顔になった。
「そうですね! いつかイラストレーターになって、お父さんとお母さんに報告しに来ます! 絶対に!」
「その調子だ」
すると萌香は俺のことを覗き込むような形で見上げてきた。その目元が赤いのは、思いっきり泣いたからだろう。
「いつかまたここへ来る時、圭太くんも一緒に来てくれますか?」
そんなの、決まっている。
「もちろん。また一緒にここへ来よう」
俺は赤くなった萌香の目を見て、きっぱりと言った。
「約束ですよ?」
「ああ、約束だ」
萌香が小指を差し出してきたので、俺はその小指に自分の小指を絡めた。そして固く指切りを交わす。
指切りし終わった頃には、萌香の足取りはすっかり軽くなっていた。
やがて駅に着くと、萌香はホームまでの階段を先に駆けて登って行った。
先にホームまで登り切った萌香は、まだ階段を登っている最中の俺の方を振り返る。
「これからもよろしくお願いしますね、圭太くん」
蝉がしょわしょわと大合唱をしている中で、萌香の声は、そんな蝉の鳴き声をも無視してしっかりと俺の耳へ届いた。
「こちらこそ、よろしくな」
俺が足を止めてそう言うと、萌香は屈託のない笑顔で応えてくれた。
まだまだこれからも、俺たちの同棲生活は続いていきそうだ。
完
【告知】
本作完結と同時に、新作『気付いたらクラスメイトの文学少女と図書準備室に秘密基地を築いていた』の連載を開始しました! 図書委員の男女が図書準備室でこっそり過ごす甘々ラブコメです! 糖分を欲している方はぜひ下記のURL、もしくはプロフィールから!
ゴミ箱で拾った美少女JKと同棲することになった 蘭 @lan711
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