第47話 セピアが解ける

 式場はもう賑わっていた。人の多さと華やかさにカイは早くも辟易しそうだった。

「カイー!」

 顔も覚えていないような連中の中から、聞き覚えのあるどころか聞き慣れた声が飛んでくる。

「まさかカイまで来るなんてビックリだわ」

 朱鷺耶ときやの顔を見て、カイのげんなり度はさらに増した。二人で飲む分には良い相手なのだが、こういう場においては……。

「よぉお前ら、今日は珍客まで来てるぜ」

「え、赤間じゃん、いつぶりだよ!」

「相変わらずイケメンだなあお前は」

 こうやって群れの中に放り込まれるハメになる。

「今どこで何やってんだ? お前同窓会にも全然顔出さないからよ、みんなどうしてんだろ、って気にしてんだよ?」

(どこで何やってんのか聞かれるのがウザいから行かないんだろうが)

 とはもちろん言えるわけもなく、カイはしれっと「IT関係でちょっとな」と答えた。相手の目を見ず、会場の景色を伺うように視線を動かせば、自然とそれ以上の追求は少なくなる――

「こいつ結構良い会社行ってんだぜ?」

「マジかよ、やっぱ赤間は人生なだらかにやってんなあ」

 のだが、朱鷺耶はそんな彼の目論見をいとも容易く打ち砕く。決して悪いやつではない。ないが、集団の中においてはピエロのような役割を担いながら、全てを一つの輪に組み込もうとする。きっとそれも誰かにとっては有難いことで、カイにとっては辛いことなのだろう。

「でもカイだって大変なとこはあるんだよな。な? 今は恋人いないんだよな? あ、でもこんなこと女子連中に聞こえたら――」

「出来た」

 朱鷺耶の目を丸くする様を見たくて、というのが真っ先に思いついた口実だったけれど、自分に言い聞かせたかったのかもしれない。自分の未来が少しずつ変わっていること、それが明るい文脈で語られるべきだということを。

「俺、もう彼女いる」

 極めつけにもう一度。彼はまだ、それを微笑だとしか形容出来ないけれど、彼を宿した六つの目は、彼の毛先や指先に薄い幸せの色を見て取った。


 やはり結婚式自体は息苦しく、その意味や必要性を感じ取ることは出来なかった。けれど耐えてそこにいることにはきっと意味があると思えた。

 スピーチ役に抜擢されていた朱鷺耶の笑いアリ涙アリのよく出来た話に会場が反応を示す度、彼はやさしく笑った。きっとこの先も彼は同じように笑ったり、泣いたりは出来ないのだろうけれど、そうやって生きている多数の命の近くくらいにはいようと決めた。そんな彼の傍に、カンナはどこだろうといてくれるだろう。だからこそ、彼がどこにいるかで、カンナの居場所も変わると思えば、堕ちていくだけの人生はやめにしようと思った。

 だからだろうか。それまで見えなかったものが、見えるようになったのは。

 お色直しがあった頃、彼はふいにその人を見つけてしまった。どうして、新婦ではなくその方を向いていたのかは彼にも分からない。

 彼女はきちんと新婦に目をやって、彼の知らない――知っていたはずの笑顔を浮かべていた。

 美羽――彼が愛して、愛し得なかった人。彼女の横顔を見て、彼は自身の心が思ったよりずっと穏やかなことに気付いた。卒業してから目にしたのはこれが初めてのはずなのに、最初に思ったことはといえば――

(似てない……あいつと)

 化粧のせいもあっただろうし、今日のために格好が非日常的なのも関係はしていたかもしれない。それでもカンナを彼女と見紛うのはとても難しい気がした。

(俺がずっと見ていたのは――)

 無数の光景が、一瞬にして彼の脳を駆け巡る。それなりに覚えている少女から、さっぱりなのも含めて、全員。どこが美羽に似ていて、どこが似ていないかを散々比べて、間違い探しを繰り返した。美羽の容姿を忘れるなんて有り得ないはずだった。そのために苦しみ続けるほど、鮮明に記憶しているはずだった。

(美羽の面影だったんだな)

 だが間違い探しを繰り返す過程で、少しずつ彼女は姿を変えていったのだろう。美羽を絶対と捉えるほどに、彼女はカイにとってのミューズに変貌していった。

 そして現れたカンナが、彼の思う〝美羽〟と偶然にも一致していた。彼女は美羽に似ていたのではなく、存在するはずのない幻影に似ていたのだった。

 彼は美羽が過去になっていくのを感じ取った。愛していた人。彼の心に刺さっていた鉄片は、心を飾る小さなアクセサリーに形を変えた。その形は、彼には決して見えない。

(やっぱり綺麗だ)

 その姿を直視することが出来た刹那、あの夜朱鷺耶が投げかけてきた疑問を思い出す。

(〝別れない方が良かった〟か? ああ、そうだな。別れない方が良かっただろうな)

 後悔と呼ぶにはあまりにやさしい、懐古。

 その時には戻れない。過去は過去として、思い出す都度、それに対しての感情は変わっていく。

 彼はあの日の二人を思い出す。

〝別れよう〟

 口にしたのはカイから。けれど後一秒待てば、きっと美羽から口にしていただろう。

〝それが良いね〟

 その表情はもう、どちらだとも言えない。納得していたのか、していなかったのか。どちらにも思えるような表情だったのかさえ、あやふやだ。

(それがあの時の俺に出せた、たった一つの答えだったな)

 それがその先、何をもたらすのだとしても。今の彼に出せる答えは、許し、ただ一つ。

 彼の脳裏に貼り付いていた色付きの写真は、セピア色になって、はらはらと解けていった。

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