第46話 恋人

「それじゃあ、また時間が出来たら来るから」

 カイが車の窓越しに両親に言うと、カンナも合わせるようにぺこり、と頭を下げた。納得まではとても出来ないのだろう、二人はしぶしぶ見送る、といった様子だった。紹介が終わってからは少しだけ世間話めいたものをしたが、とりたてて誰かに語るようなほどのものではなかった。

 結婚式前に来たのは、この微妙な空気が少しでも早く終わるための工夫だったのだろうとカンナは理解した。

 車が発進すると、彼女はずっと言いたかった質問をようやく口にするに至った。

「本気、なんだろうけど、あんなふうに言ってたんだし、分かるんだけど、それでも、本当なの? 私と……」

「質問の形がそれで良かった」

 え? とカンナは聞き返した。実家で再び整えられた彼の容姿はドキッとさせるほど美しくて、普段より僅かに低いトーンの物言いが色香をより引き立てて感じさせた。

「なんであんなこと言ったのとか、私はそんなつもりないのにとか言われたらどうしようか、って思ってたからな、俺。海で永久就職とか言ったの、完全な冗談じゃなくて本当良かったよ」

 正面を向く彼の顔からは、さっきまでずっと張り詰めていた緊張が消え去っていた。彼にとって両親とは気を許せる相手ではないのだろう。カンナは自身と似通う部分を見出して、また少し彼に惹かれつつ、先ほど覚えた劣等感を露わにすることを決めた。彼の前では、少しずつでも仮面を脱ぎたい、そんな気持ちが湧き始めていた。

「でも、私、カイが言ってくれたような人じゃない。あんなふうに持ち上げてもらったって、そうはなれないよ」

「あんなの半分嘘で、半分本当だから。そんな深く気にする必要はないんだよ。人に紹介するのに、悪いところは言わないだろ。けど、俺嘘吐くの苦手だから、良いところもそうだと思ってることしか言ってないけどな」

「私が、知的で、ちゃんと物事考えてるって?」

「バカは文学記念館行ったりしないし、そんなふうに色々思い悩んだりしねえの」

 もっと色々と並べ立てて、彼の選択を攻めたかった。変に評価して、いつか勝手に幻滅されたらたまらないと心が叫ぶ。恋愛結婚より見合い婚の方が長続きするなんてネットの記事を目にしたことを思い出した。人生を共に歩んでいくパートナーには、一時の気持ちの昂ぶりなんて相応しくないと、彼女はずっと思ってきた。

 だが、彼女は彼に恋をしていた。彼女の両親がどうだったとか、世間一般がどうだとかは、結局のところ、考えられなかった。

「ねえ、カイ」

 彼女は右手で左手を包みながら彼の名を呼んだ。

 彼はきっと、カンナの気持ちの全部が見えているんだろう。その上で、一緒にいることを決めてくれたのだろう。

(それがこの一瞬だけだとしても、私、幸せになりたい、この人と)

 明日も、明後日も、来月も、今だけはどうでも良くて。

「私まだ、直接聞いてないよ、カイの気持ち」

 今を、満たす想いが欲しかった。

 カイはそわそわとあちらを向いたり、こちらを気にしたり。それが気持ちの本物らしさを表してくれていると思えて、カンナはくすくす笑った。純真無垢だった頃、心の赴くまま出来た頃のように。

 ちょうど赤信号がカイの逃げ道を奪って、いよいよ言葉を求めた。

「言っただろ、三ヶ月前。お前ともっといたいって」

「もう、カイは分かってない。恋人になるのにもっと直接的な言い方があるじゃん」

 カンナはわざとらしく頬を膨らませた。その様が、何とも久しぶりで、カイはやっとカンナが帰ってきたような気がした。右頬を人差し指で潰してやると、「付き合おうか」と口元をゆるめて笑った。彼の眉には儚さが残っていたけれど、カンナはいつかそれを取り払うのは自分の役目だと思った。

「うん」

 もう片方の風船は自分でしぼませて、彼女はただ笑った。少しだけ歯を見せて、喜びを素直に表した。

 カイはカンナを、とても綺麗な人だ、と思った。


 繁華街の近くで車を停めると、カイは「式が終わったらすぐ迎えに来るから、この辺で適当に過ごしててくれるか」と口にした。見たところ、数時間いるには十分すぎるほど色々ありそうだ。

「ゆっくりしてても良いんだよ? 積もる話もあるんじゃない? 久々にみんなに会うんでしょ?」

 車から降りた彼女は腰を屈めながら言った。

「お前を放ってんなことしねえよ」

「きゃー、やさしーカレシさんだ」

 カイは露骨に眉間にシワを寄せた。

「あれ? カレシって言ったら嫌がる?」

「お前が調子乗ってんのにイラッと来た」

「きゃー、こわーいカレシさんだ」

 へへ、と意地悪く笑う彼女に、はあ、とわざとらしい溜め息をこぼしてみせると、彼は「行ってくるな」と伝えた。カンナはその温度を的確に理解出来た。

「うん、行ってらっしゃい」

 カイもまた、手を振る彼女の言わんとすることを正確に読み取った。

 それは二人にとって、今までとは全く違う別れを意味していた。

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