第45話 呪いを逆手に

「ほら、着いたぞ、起きろ」

 カイがやさしく揺さぶると、カンナは目をこすりながらのっそり車を降りた。

「着いたの……? ここどこ?」

 まだ目をしぱしぱとさせた彼女は、覚醒前で発声もふわふわとしていた。

「俺の家だ」

「へ……? もう帰ってきちゃった?」

 細めた目で家を見上げながら首をかしげる彼女をよそに、カイは門扉を開けた。もう随分と帰ってきていないのに、いつもしているかのように動けた。

「えっ待って、ここ、カイの実家?」

 ようやく目を醒ました彼女は、予想だにしない行き先に面食らったが、やはりカイは気にすることなく玄関の鍵を開けた。

「ただいま」

「ちょっ、ちょっとカイ!」

 置いていかれそうになって、カンナは慌てて彼を追いかけた。古い和風建築の引き戸を目にすると、中に入るのさえ妙な緊張を覚えさせる。

「おかえり」

 奥の方から初老の女性が出てきた。髪にはところどころ白髪が混じっているが、身なりは整っていて、とても落ち着きを感じさせる装いだ。

「その子が、その……?」

「後でちゃんと説明するから。父さんは?」

「居間でテレビ観てるわ。声かけてくるわね」

 彼女がいなくなると、ようやくカイはカンナの方を向いたものの、

「もう少しだけ何も言わずに俺のわがままに付き合ってくれ」

 とだけ言ってまた正面に向き直った。ここ最近ずっと、カイはカンナの意思を尊重してばかりだったから、少しくらい聞いてあげるべきに思った。

 カイの後についてキッチンに入る。青緑のタイルが貼られた時代を感じさせる装飾は、彼の両親を古いタイプの厳しい人間なのではないかと感じさせる。

「帰ったのか、かい

 現れたのは、どこかカイの面影のある目つきの鋭い男性。昔はさぞかし女性に人気だったろうと思わせるような色気は、今は気高さや硬さのように移り、思わずカンナは唾を飲み込んだ。

「ただいま」

「母さんから少しは聞いてはいるが、その人が?」

 彼は掌を見せながら、五指でカンナを指した。

「長瀬さん。付き合ってる。結婚を前提に」

 カ、と言いかけて、彼女は慌てて口を噤んだ。カイと両親との関係を深くは知らなかったが、少なくとも円満ではないことは察していた。ここでカンナが曖昧な態度を取ろうものなら、ただでさえ連れて来るには随分と不釣り合いな彼女に対しての不信感は拭えなくなりかねない。

「な、長瀬です」

 どんな反応をされるか分からないのが怖くて、カンナは頭を下げた。顔を見ないで済む時間を少しでも伸ばしたかった。

「立ったままというのもあれだから、まあ座りなさい」

 それは優しさというより、来客への最低限の礼節のように聞こえた。カイが横顔を向けたまま小さく頷いたから、カンナは「し、失礼します」と口にしてダイニングテーブルについた。

「長瀬さん、は随分と若そうに見えるけど、海、あなたどこで知り合ったの?」

 母親からのいきなりの質問は、十分に予想は出来たものの、カンナの胸をぎゅっと締め付けた。

「変に嘘を吐いてもどうせバレるだろうから正直に言うけど、彼女、行きつけの店で働いてて、そこからなんとなく仲良くなった。話してても知的さを感じるし、考え方もしっかりしてるから、二人が心配するようなことはないよ」

 カイが実家に帰りたがらない理由を、カンナはそれとなく察した。支配され、規定されているのだろう、と。友人も恋人も、結婚相手もこうであるべきだ、と。出逢ったばかりの頃の彼があれほどまでに周囲からの目線を気にしていたのは、何より彼の中の目が彼を見定めていたからに思えた。彼女が抱く恐れよりはるかに大きいものを、彼は今抱えた上で立ち向かっているのだろう。

「それでもお前、いくらなんでも若すぎやしないか? ――失礼ですが、長瀬さん、あなたおいくつで?」

 けれどその不安は、きっとカイの両親も同じなのだろうと感じた。関わるはずのない領域と関わるのは、誰だって一様に怖くて当たり前だ。

「十九です」

 どう答えたところで、向こうの警戒は解けないように思えた。それならせめて、堂々として、そこに迷いは何も無いと見せることが最善の策なのだろう。

 それに、カイがこの二人に言った以上、彼の展望は揺るがしがたいものだと確信出来た。それはどんな彼女への誓いより、彼を束縛する呪いだろう。そう考えれば、三ヶ月前、彼がどんな未来も約束することなく、カンナに逃げ道を提示するに留まった理由が分かったような気がした。彼は生涯抗うことの出来ない自己規程の中に誓いを立てることで、拭い去れないはずのカンナの不安を祓うことにしたのだろう。

「……海、お前、本気なのか?」

「本気じゃないなら、二人にこうやって紹介したりしない」

 両親は顔を見合わせ、何度も重たい息を吐き出した。おそらく二人はカイを、誠実で素直で、従順な存在として育ててきたという自覚があるのだろう。育て上げた規程の中で出した正しいと信じて止まない選択に、その生みの親が強い反対が出来ないのは皮肉なことかもしれなかった。

「せ、先方の親御さんはどうなんだ。もう了承は取ってるのか?」

「もう取ってる。実は今、彼女と一緒に暮らしてるんだ」

 真実(やや歪んではいたが)から切り出してみせたことで、二人はそれを疑う心をもう持っていなかった。果たしてあの母親がどんな顔をするかはまるで分からないが、カイといられるなら、カンナは彼女を捨て去るだけの覚悟は持とうと思った。おそらくは、娘が目の前からいなくなることを、彼女は望むのだろうと感じつつも。

 んぅ、とカイの父親は唸った。何か切り崩せる余地を探しているのだろうが、カイの気迫に押されて上手く見つけられないでいるようだった。

「今すぐにとは言わないけど、二人にはちゃんと、認めてほしいと思ってるんだ。そのために今日、彼女を連れてきたんだ。二人もきっと、彼女のことを知ってくれたら、相応しい人だって分かってくれるはずだ」

 そして最後の一押し。二人はカイの真摯さを打ち払う力を失った。だが同時にそのために彼が組み上げた言葉は、カンナの許容できる肯定を越えてしまった。果たして自分は、彼の言うような人だろうかと思いはじめて、テーブルの下でぎゅっと両の拳を握り締めた。

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