第44話 未来への反抗
年が明けてから早三カ月。カンナはカイの借りたレンタカーの助手席に座りながら、片田舎の景色を見つめていた。
クリスマスも正月も、二人にとっては何の特別さもなかった。カンナは以前より自宅に帰りたがらず、ほとんど同棲状態になっていた。彼女の母親はまるで気にしていないのか、前からずっとそうだったのか、問題が噴出するようなことはなかった。
高校はどうにか卒業して、無事見つけた次のバイト先で正社員に登用されるのを目標に働いているが、カンナの目に希望が灯るようなことはなかった。
そんなふうにして、少しだけ二人のあり方が変わった春先の日暮れ、カイは仕事用のパソコンを弄りながらこう尋ねた。
「来週の土曜日、地元で高校の同級生の結婚式があるんだけどな、お前も行くか?」
「え、私も?」
カンナはパズルゲームをしていたスマホから、カイの方に視線を向けた。ゲームオーバーの音が流れる。
「あ! カイが変なこと言うから負けたじゃん!」
「知るかよ。それに変なこと言ってないだろ」
「カイの友達の結婚式に私が出るのは変でしょ……」
「あー、結婚式は出なくて良いんだよ。要はちょっと遠出するからな、お前もついてくるか? って感じだな。家に一人じゃつまんないだろ」
カンナは少しだけ思案顔をしてから、「じゃあ行く」と返した。
そうして現在に至るのだが、遅くに仕事から帰ってきたカンナには早朝の長距離移動は苦しく、大あくびをしていた。寝ようと思えば寝れなくもなかったが、なんとなく起きていたかった。二人の距離が近づいてからは、こんなふうに一緒に出かけるようなことはほとんどなかったから。ありふれた日常の繰り返しだけを望んでいるような、ぎこちない日々だった。
「結婚する友だちって、どんな人なの」
赤信号で車が停まると、カンナはそう尋ねた。
「どんな、か。一言で言うなら良い奴、だな。ちょっとバカなんじゃないかっていうくらいお人好しで、あいつが不幸せになるなら、もう世の中が間違ってる、みたいな」
「そんな人と、なんでカイが友だちなの?」
窓の外を見つめていたから、カンナは自分の言葉の色合いを意識するようなことはなかった。カイもまた、引っかかりはしなかった。
「さあ、なんでだろうな。俺にもさっぱりだ」
恋人以上に、友人はその始まりを知らない、とカイは思った。そして恋人以上に、その終わりも知らない。いつの間にか近くにいて、いつの間にか遠くにいる。今日の主役の彼だって、結婚式の招待状が来るまで忘れ去っていた。カイは彼のことを「良い奴」だと形容したが、そのために出席を決めたわけではなかった。地元で開かれる結婚式に出席するということ、そのことに意味があった。いや、意味を持たせようとしていた。
うつらうつらと頭を揺らすカンナを横目に、彼はこれからのことを考えていた。ハッキリとした結論を先延ばしにして、生きていく中で見つけていくようにした彼の手法は一見合理的で、効果的なものに映る。だが人は、やがて答えを求めはじめる。曖昧な状態に堕することに、多くの人間は耐えられない。その兆候はカイというより、カンナに現れ始めていた。彼の家をただ逃げ込む先だとして見ていた頃と違って、彼女は少しずつ、そこを生きる場所として見つつあった。決して多くはないものの、私物が少しずつ増え、生活のリズムみたいなものも出来てきていた。家事も目に見える形での分担にはしていなかったが、それぞれが何となく自分の役目を決めていた。以前にも増して、二人の関係に名前がないことは大きな違和感が伴っていた。
彼だけで言えば、名前を与えることに大きな躊躇いはなかった。いくらかカンナより長く生きてきた分、心に折り合いを付けることは出来るように思えた。カンナを連れ戻した日、もう覚悟は出来ていたのかもしれない。だがカンナは違った。順応しているようには見えても、心がついていっているようには見えなかった。一方では欲しながら、一方では恐れてやまない。カイの与えた猶予が近い内、限界を迎えるのは明白だった。
彼は隣で眠りはじめた七つも年下の女性を大切に思いながら、車を発進させた。
一緒に生きていくには、やはり何か縛るものは必要だ。カイはそう感じていた。それがために何度となく関係を壊してきたし、壊れることへの際限ない不安が募るけれど、明日を思わなくて良い自由は、手繰り寄せる糸を持たない。
今度こそはと思う心を、あざけ笑う他人のような存在が彼の中にいる。彼はそのことを自覚していた。自分の考えや振る舞いの全てを否定して、無意味だと告げてくる彼想いのもう一人。どうしてまた傷付こうとする? いつからか彼の心に生まれたもう一人は、彼を憐れんでやまない。
(それでも俺は、こいつと幸せに生きていきたいんだ。可能性があるなら、それに賭けてみたいんだ)
彼の実家は、もうすぐそこで。
彼は彼女をそこに連れて行くことで、二つの道を一つに繋げようとしていた。
彼女の抱く恐れも、彼の抱く不安も一つにするために。
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