第34話 残響の終息
「いやー、カイが暇で助かったわー」
カンナと別れてすぐ、朱鷺耶から「今日呑まね?」と連絡が来たのを、カイは二つ返事で承諾した。夕飯もカンナと取るという心づもりがどこかであったからだろうか、一人でいると食事が抜けそうな気がしたのだ。
だが、いざ朱鷺耶に会ってみると、カイは一瞬で帰りたくなってしまった。開口一番、「合コンがクソだったから愚痴聞いてくれる相手探してたんだよ!」と目からばちこーんと星でも飛び出そうな勢いで言ってきたからだ。
「何か初めから示し合わせてたみたいに意気投合しやがってよ、俺は別に数合わせのために行ったんじゃねーっつーの」
枝豆がひょい、ひょい、と消えていくのをカイは無言で見つめながら、軟骨の唐揚げを食む。
「にしてもあれだな、お前がクリスマスシーズンに未だフリーだなんて珍しいよな。何だ、会社の女はもう全員食っちまったのか?」
「人を節操ない奴みたいに言うな」
「だってよ、お前がフリーだったら普通みんなアタックしかけんだろ。性格は最悪だけど顔が良くて収入も十分、性格はさておき人のことにとやかく首突っ込んでこねーし? 旦那としてはこれ以上ない優良物件だろ?」
「ちょいちょいディスってくんな」
そう口にしてから、カイはぼんやりと藤堂のことを思い出した。出張が終わってからは、大したやり取りもない。仕事にもいくらか慣れたのか、自分の業務に専念しているのだろう、忙しくしているのを時折目にする程度だ。
「そうだ、高校の奴らにお前が暇してるって教えてやろうか? 絶対連絡来るぜ?」
「絶対すんな。そもそもブスばっかだろ」
「そうかあ? 三森さんとか吹石さんとか、それこそお前の美羽ちゃんとか美人だったろ?」
「美化してるだけだな。卒アルでも見返してみろよ。全員漏れなくブスだから」
唐突に喉が渇いたような気がして、カイはビールを口に含んだ。美化しているのはむしろ自分の方だと思った。実際の美羽はどんな人物だったのかも、そしてその前で取った自分の行動さえ、今思っているのとは随分と違っている気がした。美羽に対しては美化を、自分に対しては醜化を行い続けた数年間だったのではないか、と。
「さてはお前、よほど美人の多い部署で働いてんな? 独り占めしてんじゃねーぞ、俺に紹介しろ!」
「お前の顔じゃ……紹介した俺が非難されるから断る」
「あー分かってんだよー、俺の顔が良くないなんてことはー!」
「ま、卑下するほど悪いってわけでもないんだから、ちゃんとしてりゃ一人や二人、お前のこと良いと思ってくれる奴もいるはずだろ」
「なんで後からフォローすんだよ、良い男がよ、チクショー!」
ヤケになったのか、朱鷺耶はまだ半分以上残るカイのジョッキを奪い取ると、躊躇なく飲み干した。
「お前、それ俺の……」
「お姉ちゃーん、生二つ追加でー!」
「話聞けよ……」
居酒屋を後にする頃には、カイは数日分の体力を持っていかれたような気がしていた。おまけに突然の雨で、「走って帰るぜ!」なんて青春時代みたいなことを言って去っていった朱鷺耶はともかく、真っ当な二十六歳のカイには勘弁してほしい状況だった。仕方なく近くのコンビニでビニール傘を買って、家路を辿ることにした。
飲み屋街を抜けて大通りに出れば、夜特有の制限された色彩が否応なしに人の心をくすぐった。それは目線を自己に向けさせ、肯定するか否定するかを迫る。
今日、カンナと多くの時間を過ごして思ったのは、彼女とならあるいは、真っ当な恋が出来るかもしれない、なんてささやかな希望。未だ心は十九歳とそんな関係になるということに道義的な反対を主張していたが、疵口は今度こそ正しい治療を欲していた。
〝じゃあ、私が許してあげる〟
その言葉を口にしてくれたのは、他でもない彼女なのだ。それ以上の人が、いったいこの世界のどこにいるというのだろう。
だが、それが結論を出そうとすることに繋がって良いのか、カイには分からなかった。確かにカンナは彼にとって特別な人だろう。
(でも、今のままでも何も問題ないんだよな)
今以上の関係に発展する必要が、果たしてあるのだろうかと、幾度もそうしてきた彼には信じられなかった。
彼は筋を一つ入って、近道をすることにした。光の溢れた場所から離れると、気持ちはいくらか落ち着いた。
(焦って考えるのはやめよう)
いつもそうだった。出血を止めるために、応急処置のような恋を繰り返してきた。それらが漏れなく粗悪な恋に終わったのは、焦ったことに原因が求められるのではないかと、酔いを覚ます冷たい風を浴びれば、思い至った。あるいは記憶のアルバムにさえ残っていないような誰かしらでさえ、その気になれば、カンナと同じようにカイの思いを揺さぶったのかもしれない。
アパートが目に入ると、彼は自室の前に人影を認めた。まだ距離があったせいで誰だとはハッキリ分からなかったが、こんな時間に訪ねてくる人物に心当たりは一つしかない。だが、彼女にしては些かおかしな点があった。ドアの前にジッと佇むばかりで、開けようとする素振りは全く見られないのだ。合い鍵を忘れたのだろうかと思ったものの、それなら連絡の一つでも入れるだろう。
ともかく、カイは階段を足早に駆け上がった。
「何やってんだよ、そんなとこで」
彼の声を耳にしてカンナが向けた顔は、濡れていた。この雨とは関係がないと思わせるような、目元の赤を強調して。
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