第28話 最も弱い男
駅に着くと、改札の向こうで時計を気にしながら待っているカンナの姿が目に入った。
明日は男装したくない、と言って聞かなかったから、カイは直接目的の場所まで行くように伝えていた。
夕べはあんな約束をしたものの、カイは二時間もかけて遠出させられるとは思っておらず、既にげんなりしていたが、初めてカンナのスカート姿を見てその思いを改めた。
「スカートが穿きたかったのか?」
「開口一番それはデリカシーなさすぎじゃない?」
「お前に感じてやるデリカシーはないからな」
「カイさ、顔が良いからって今まで女の子にそんな酷いこと散々言ってきたの?」
「お前にだけだ」
カンナは一瞬視線をそらした。カイは即座に自分の失言を悔いた。そういうのはもっと、然るべき相手にすべきだ。
「カイさ、自分の顔が良いの本当自覚してる?」
カイはまだどこに行くかを知らされていなかったが、カンナの行く方へついていった。何度聞いても教えてもらえないのは、きっと知れば行きたがらないところなのだろう。
「今日はやけに顔の話するんだな。今までほとんど触れてこなかったくせに」
「はー否定しない、これだからイケメンはダメ」
「適当なこと言ってると帰るぞ」
それが本心からではないことを、カイは強く自覚していた。カンナにだからではなく、気楽に接することの出来る数少ない相手だからだと言い聞かせながら。
「会社の人は言い寄ってきたりしないの?」
「まず会社に女の人そんなに多くないから」
レンガの敷き詰められた洒落た通りには、ブティックやパティスリーが建ち並ぶ。歩く女性たちはまずカイの脚の長さに目を奪われ、続いてその頂上にある顔立ちの美しいのに心を奪われる。そして隣にいるカンナに複雑に胸を揺らしながらも、その多くはあの子には勝ってる、と自分を慰めた。カンナはそんな視線に気付いていたが、カイは目もくれない。慣れているのかと彼女は訝しむ。
「でも出張は女の人と行ったでしょ?」
思わずカイはカンナの顔を見てしまった。もちろん伝えてなどいない。
「あ、本当だったんだ。分かりやすい反応」
だがカンナはけろっとした顔をしている。それでカイは、自分がそんな反応をしてみせるのはそもそも誤りだと思った。二人の関係は何でもないのだから、誰と何をしようと、責められる言われはないのだ。
「カマかけたのか」
「あんまり嬉しくない可能性の方に賭けてみただけ」
彼女の言い口に彼の心はチクリと痛んだ。関係を表す言葉がその間になくとも、それと全く同じ関係になることは可能だ。そもそも、間柄に名前を与えるのは人間に限ってのこと。生命的に考えれば、関係とは推して量るものでしかない。二人がそうであるならば、本来はそうなのだ。
それにもし、心の底から望まないなら、彼はとっくの昔に他の誰かを手に入れているだろう。繰り返したいくつもの年が、そうであったように。
「怒ってないよ。怒る権利、私にはないし。でも好きな人が出来たら言ってね。その時はちゃんと消えるから」
そんなふうに自分のことを言うのは、カンナが初めてではなかった。彼と一緒にいた
彼女たちは皆、美羽ではなかったのだから。
カンナもまた、美羽ではない。美羽では、ないけれど。
「それまではずっと入り浸る気かよ」
ここで言うべき言葉はきっと、それではない。「消えるな」か、「消えろ」のどちらかでしかないはずなのだ。どうせいつか、露の運命と向き合わなければならない瞬間が来るのに、それを先延ばしにし続けるのは、得策とは言えない。
だが彼に、美羽と同じ顔をした彼女を割り切ることは出来ない。それは、殺しきれなかった自分を今度こそ殺すことに他ならないのだ。
「そうだよ? こんなに良い居場所、他にないんだもん」
屈託に笑う――ように見える顔をしたカンナに、心惑う。「ずっと来て良い」と言うのは簡単だ。欲望に素直に生きるのは得意なはずだ。だが、言えない。
(俺はこいつを、カンナを傷付けたくない)
「勘弁してくれよ」
だから彼は厄介な女子高生に住処を侵略された哀れな男を
他のどんな女性を傷付けられても、美羽だけは傷付けられない。傷付けたくない。たとえそれが、重ね合わせただけの別人でも、彼の目に映っているのは、今もただ一人夢に現れる彼女と同じ顔をした
「どうしようっかなあ?」
にしし、と顔を見せて、カンナはもう一度笑う。砕け散ったはずの想いが、今はここにある。最も弱い男は、それをかき抱かずにはいられない。
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