第21話 藤の隈
「やっぱり隆ちゃんのところに頼んで正解だったわー! こんな美男美女を送ってくれるなんて! はー! 早速隆ちゃんにお礼の電話しなきゃー!」
キャー! と両頬に手を当てながら口にする人が本当にいるのを目にしてカイは心を無にした。美熟女と形容するのが正しそうな社長さんの指には、指輪が一つも見当たらなかった。独身を貫いているのだろうか。
「お仕事は真崎ちゃんに聞いてね。もし何かあったら、私は社長室にいるから、内線2番にかけてちょうだい」
それじゃあねー、と手を振って行ってしまった彼女は、どう見ても女子大生が限界だった。
「お二人に作業していただく場所をご用意してありますので、ご案内致しますね」
真崎と呼ばれた女性社員は、社長とは正反対に無機質なトーンだった。むしろ、二人に対して早く帰ってほしいとさえ言いたげな印象を与えていた。
通された部屋で二人は早速仕事に取りかかった。
「ここの社長さん、綺麗な方でしたね」
しばらく経った頃、作業の音に紛れて藤堂の声がした。秒速でキータッチしながら、脇に置いた資料にも時折目をやりつつ、仕事とは無縁な話を出来てしまう藤堂は、やはり東同様出来る奴だとカイは改めて思った。強いて言うなら、鬱陶しくない東だろうか。
「そう、ですね。ちょっと、クセのある人でしたけど」
そう答えてから、つい最近も同じような話をしたことがあったな、と振り返った。あれはいつだったか。そう、カンナとファミレスに入った時のことだった。
「あんなふうに力強く生きていける女性、憧れです」
「藤堂さんは十分力強く生きてるでしょ」
自分でも驚くほど早々に言葉が出て、カイは自分の心がざわついていることに気付いた。きっと今心臓を撫でようものなら、酷くざらついているだろう。
「そんなふうに見せかけてるだけです。私、前の会社から逃げ出したんです。新卒で入った時には、ここで頑張って、きっとキャリアを積んでみせる、って意気込んでたくせに」
弱音に反して異様なペースのキータッチ。そのギャップをどう理解したものかと思ったが、大方、自分のポテンシャルに対して、正しい評価を下せていないのだとすぐに分かった。自分の心に向き合うことが多い彼は、それとなく相手の心の傾向を読み取ることが得意だった。
「自分を大事にしてくれてないってことに気付いてやめただけでしょ。藤堂さんの発想自体が、その会社に大分やられてますよ」
一瞬だけ、タイピングの音が止まった。
「みんなそう言って励ましてくれるんですけど、でも、私には、やっぱり逃げ出した、って事実としてのし掛かってるんですよね。いつまでも引きずってちゃダメだって時分でも思うし、こうやって愚痴を言ってしまったら……赤間さんの気を悪くさせるだけだって分かってるのに」
カイは彼女に共感出来なかった。きっと藤堂の悩みは、藤堂にとっての塗りつぶせない苦しさなのだろう。持ち前の明るさを以てしてもかき消せない隈なのだろう。けれど彼は成功者のドキュメンタリーを見ている時のような気分にしかなれない。藤堂に落ちかかる影は、朝が来るための月夜にすぎないとしか思えなかった。
「溜め込んでどうしようもなくなるより、小出しに言う方がよっぽど心身に良いですよ。その方が、結果的に周りの人にもそれほど大きな影響を与えないで済みますし」
それでもカイは
「やっぱり、赤間さんは優しい人です。初めて会った日も、いきなりでこんなふうに優しくしてくれましたよね」
「俺は誰にでもこんなふうですよ」
彼は努めて冷静に振る舞ったが、藤堂にどんなふうに聞こえていたかについてはまるで自信がなかった。これ以上この場にいたらどんな言葉を口にしてしまうか不安で、彼は席を立った。
「ちょっと確認を取りたいことがあるから聞いてきます」
部屋の外に出てすぐ、彼は溜め込んでいた息を吐ききった。間違っても藤堂は悪い奴ではない。だが、彼の心に良い存在でないこともまた確かだった。平均以上の存在を、彼は認められない。
「どうかされましたか?」
真崎だった。一息置いて見てみると、なかなか整った顔立ちをしていた。
「メンテナンスを担当されている方っています? 少し話を伺っておきたくて」
「分かりました。すぐに向かうように言っておきます」
カイが反応を返さなかったために、真崎は「まだ、何かございますか?」と尋ねた。
「ああ、いえ。大丈夫です」
「では、伝えておきますね」
丁寧なお辞儀をして、真崎は行ってしまった。歩き方は美脚をよく魅せるものだった。
あっさり目的を果たしてしまった彼は、どこか宙に浮いたような気分を味わっていた。部屋に戻るには、まだ少し時間が欲しかった。手洗い場の位置も聞いておけばよかったと思ったものの、他の社員についてはすぐ近くにいる雰囲気もない。
何とはなしにスマホを出してしまった現代人たる彼は、ロック画面に宣伝メールだけしかないのを目にして、寂しげな笑みを浮かべた。
出張に出たことに対しての何らかの反応を欲しているとは、彼も気付いていた。恋しいという感覚よりは、単なる憩いだとは言い聞かせていたけれど。
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