17「Like A Death Game」

 6インチの端末のスピーカーから流れてくる英語とフランス語に、セバスは

「……アリス、追い詰められてるな……」

と小さな声で言った。プリィも隣で頷く。アリスが、詩応とアルスに何も答えていないからだ。理由はどうであれ。

 澪は、流雫のスマートフォンから流れてくる声を、翻訳アプリに拾わせていた。

「……流雫」

と小声で名を呼ぶ最愛の少女に、流雫は目を向ける。

 ……こうなることは、流雫とアルスは最初から判っていた。それでも、ブロンドヘアの少年がイチかバチか賭けると言ったのは、詩応を乗せるための方便でしかない。

 不意に、流雫の頭に言葉が走る。

「アリスも……被害者……」

と。そして無意識に、そう口を開いていた。

「……もし、助けても言えないのだとすれば……」

 ……アリスが2人に力を貸せたなら、一言だけでも歩み寄れたなら、全ては僅かでも好転しただろう。だが、そうならなかった。一縷の望みに賭けたこと自体、間違っていたのか。

 流雫は、テネイベールと同じオッドアイの持ち主。アリスと対峙したとして、助けると言ったとして、聖女は拒むだろう。否、対峙した時点で拒絶される。

 ……詰んだ。その言葉が、本来諦めが悪いハズの流雫の舌先を掠めかけた。だが。

 乾いた銃声が、夏特有の湿気を含む空気を切り裂く。

「な……!?」

思わず身構えるフランス人2人の隣で、脳をリセットされた流雫は周囲を一瞥する。

 ……黒いショートヘアの淑女が、マネキンのように倒れた。

「っ!!」

歯を軋ませた流雫は、無意識に銃を手にした。

「流雫……!」

澪は焦燥感を湛えた声で、最愛の少年の名を呼ぶ。流雫が何を思っているのか、澪には一瞬で判った。


 粉雪が舞う12月、この場で一つの命が消えた。名前は、伏見詩愛。胸部を撃たれ、半ば即死状態だった。

 彼女と面識は無かったが、流雫は誰寄りも早く詩愛に駆け付け、そして撃った犯人と戦った。助かると信じて。だが。

 心肺停止。事実上の死亡宣告を耳にした流雫は、その場に崩れた。美桜が死んだと聞かされた時の自分のような悲しみに、誰にも陥ってほしくなかった。だから助かってほしかった、それなのに。

 澪に抱きしめられながら泣き叫んだ流雫は、詩愛を助けられなかったことをトラウマのように抱えていた。それがその妹……詩応との確執の原因だった。


 銃声の主を握るのは、中年の男2人。互いに灰色のTシャツとデニム、全体的に冴えない印象だ。しかし、今となってはそれが余計に目立つ。

 そして、後退りしながらもその犯行に手応えを感じた表情……それが殊更不気味に感じる。

「動くな!!」

と、流雫が声を張り上げた。男は、シルバーヘアの鬱陶しい輩に目を向ける。

 銃を撃った時点で、逃げ切れないことは2人も判っているだろう。それでも撃った。この連中にとって、殺したいだけの理由が有るのか。到底容赦されるものではないが。

 空色のセーラー服を纏った流雫を、2人はボーイッシュで生意気な女だと認識した。それが流雫の狙いだった。自分1人に気を引かせ、その間に誰かが、撃たれた人を安全に介抱できれば。

 「ドクター!!」

とセバスが叫んだ。血相を変え、混乱寸前だ。同時にその声は、流雫と澪の脳に雷を落とした。

「まさか……!!」

目を見開く男女の声が重なる。メスィドール家の子息がドクターと呼ぶ相手……、三養基!?

 澪はその首筋に手を当て、6秒数える。本来はトリアージで使われるが、6秒間に1回も脈動が無ければ、危険水域の容体を意味している。1分間に10回未満の脈動しか無い計算になるからだ。

 今は辛うじて1回。しかし、秒単位で容体は変化する。それも、悪い方向に。混乱しそうになるセバスを、恐怖に襲われながら抱くプリィの隣で

「何故撃ったの……」

と呟いた澪は立ち上がる。その表情は、刑事の娘としての凜々しさよりも、犯人への怒りに支配されていた。

 「待ちなさい!!」

澪の声が響く。

「澪……!?」

流雫の声が、ブルートゥースイヤフォンを通じて澪に届く。

「あたしも戦う!」

と言った澪に、流雫は

「……僕が引き付ける」

と言った。理想は澪が戦わないこと、しかしそれは叶わない。澪が認めないのだ。ならば2人で戦うしかない。

 「見世物じゃねえぞ!!」

と叫んだ男が上空に向けて引き金を引いた。何時しか、銃を手にする4人の周囲に人集りができている。

 男が威嚇しても、人集りは散らない。寧ろ、この戦いの行方を見守りたい……否、愉しみたいと思っている。

「流雫……」

と名を呼んだ澪は、流雫がヤジ馬に揺さぶられていないかが気懸かりだった。

 ……突発的に生まれた、2対2のデスゲームを眺めているかのような衆人環視。連中が期待することは2つ。男2人が流雫と澪を撃ち殺すか、その逆か。女子2人……厳密には違うが……が銃を手に犯人と戦う意味など、連中にとってはどうでもいいのだ。

 「……僕は平気」

とだけ答えた流雫は、開き直っていた。ヤジ馬の声も意識が遮断し、澪の声しか脳に届いていない。

 その声に、強がりも過剰な怒りも感じない。澪は安心した。……平静を保っている流雫には、誰も勝てないからだ。そう、澪でさえも。

 三養基とフランス人2人は、人集りの外にいる。それだけが救いだ。そう思った流雫の耳に、声が響いた。

「澪!!流雫!!」


 銃声と同時に、アルスと詩応は地面を蹴った。先に動いたのはアルスだったが、前を行くのは詩応だ。その元陸上部の少女は急ブレーキで止まる。

「シノ!!ドクターが……!!」

恐怖に歪むプリィの声に、詩応は言葉を失い、奥歯を軋ませる。

 ……プリィの眼前で倒れる三養基に、詩愛姉が重なった。そして、今こうしている自分に、流雫が重なる。

 ……この場所で起きた姉の死は、既に吹っ切れた。そう思っていたかった。仇討ちを果たして、この場所で弔ったあの日、そう思えた。

 だが、現実は甘くなかった。

 三養基を撃った犯人への殺意が沸く詩応、その隣にようやく追い付いたアルスは、息を切らしながら顔を見る。

「……ミヤキ……」

とだけ名を呟くアルスは、しかし一つの疑問を抱えた。

「……何故サン・ドニ……?」

 レンヌ郊外で、アリス絡みのプロジェクト全体が管理されている。しかし、三養基がデータを持ち出したログは、サン・ドニに残されていた。

 この医師が、2つの施設に出入りできるだけの人物であることには、疑いの余地は無い。だが、何故常駐していたレンヌからではなかったのか。

 今は場違いだと判っているが、後でアリシアにこの疑問を投げ掛けてみよう。そう思ったアルスの隣で、詩応は

「散れ!!」

と叫ぶ。突如発生したエンタメを邪魔されたことで、何人かが詩応を睨む。だが、それに怯まない少女は、ヤジ馬の隙間を強引に割って入った。

 「詩応さん!?」

その様子に、最初に反応したのは澪だった。男は

「お前も死ぬ気か?」

と問う。2対3でも勝ち目は有ると思っている。

 「犯罪者に殺される気は無いね」

と詩応は答えた。そのイキった返答に、2人の男は同時に鼻で笑った。生意気な3人が自分の足下で命乞いをする……その結末しか見えないからだ。

 流雫や澪のそれとは一回り大きい銃を手にした詩応に、1人が銃口を向ける。その瞬間、結末は動き始めた。

 大きめの銃声が2発。後遺症で震える手は照準を外し、銃弾は男の股関節より上に刺さる。

「ぐっ……!!」

痛みに顔を歪めながらも、男はボーイッシュな少女に銃口を向けた。

 「伏見さん!!」

流雫は声を張り上げ、同時に引き金を引く。掻き消された2発の小さな銃声、しかし銃弾は狙い通りに手首に突き刺さる。

「あぁぁっ!!」

男の視界が大きく歪み、銃は地面に落ちる。それと同時に、詩応が男を取り押さえた。

 肩を押さえ付けて跪かせ、後頭部に銃を突き付ける。ロックは掛けているものの、何時でも外せるようにはしていた。

「伏見さん!」

流雫が声を上げる。先刻、自爆を見たばかりだ。それが有るだけに、どうしても不安に駆られる。

 「何故撃った!?」

詩応は問う、しかし返事は期待していない。ただ、見る限り自爆へのトリガーに触れるような様子は無い。油断はできないが、今のところは安全……そう思うしかない。

 流雫はもう1人の男に目を向ける。それは澪と対峙していた。


「……何故殺そうとしたの!?」

「お前には無関係だ!

「三養基医師に恨みでも!?」

少女が放った怒り混じりの問いに、男は答えない。

 ……恨みなど無い、それどころか標的の名前と外見しか知らされていなかった?まるで空港でプリィが狙われた時に似ているような……!?

 「……目的は何……!?」

澪の問いへの返答は、上空への威嚇射撃だった。しかし、澪は怯まない。

「ごちゃごちゃ五月蠅い!!」

男は大口径の銃を構え、叫んだ。その瞬間、後頭部に激痛が走る。

「がっ!!」

銃身を叩き付けられ、脳が揺さぶられる。一瞬遮断された視界が回復すると、シルバーヘアの少年が立っている。

「僕が相手だ……」

と言った流雫のオッドアイに、男は一瞬怯む。その目の色が不気味に映ったからだ。

 日本人らしくない見た目の生意気な少年に、男の苛立ちと殺意が増してくる。吠えるだけの女は後回し、先にこの輩を潰す……痛みに耐えながらそう思った男は、流雫に銃口を向ける。

「流雫……!」

イヤフォン越しに聞こえる澪の声に、流雫はブレスレットに唇を当てながら答える。

「護って……澪」


 銃口を向けられながら、妙に落ち着いている流雫が、男の目には不気味に映る。しかし詩応に取り押さえられている男も、対峙している男も、最大の誤算を起こしていた。

 このシルバーヘアの少年が、この場所に居合わせたこと。教典上の破壊の女神と同じオッドアイに、存在を認識されたこと。

 男の指が引き金に掛かる。その動きを流雫は見逃さなかった。僅かに踵を浮かせ、右にスライドする。男の反応速度は追い付かず、放った銃弾は人集りの隙間を飛んだ。

「避けるな!!」

とヤジが飛ぶ。ヤジ馬には怪我させること無く決着を付けろ、これが身勝手でなくて何なのか。

「流雫……!」

澪の声が聞こえる。その声が、流雫に落ち着きをもたらす。澪のために、殺されるワケにはいかない、だから絶対に熱くなるな、と。

 

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