9「Too Close To Notice」
「プリィはアルスといる!」
流雫の声が届いた澪は、しかし男女を仕留めるには至らず、どう凌ぐべきか頭を悩ませている。
「流雫は?」
「戻ってる」
その答えに、澪は
「ダメ!」
と返す。
「でも澪が……!」
その声と同時に、大きな銃声が鳴る。
「澪!」
声を上げた流雫は、目の前の階段を駆け上がった。男女2人は、突然現れたシルバーヘアの少年に気を取られる。警察でないことだけは判るが……。
「誰だ!?」
その問いに答えない流雫は、小口径の銃を下ろしたまま、破壊の女神に似た目で2人を睨む。
「邪魔するなぁ!」
そう叫んだ女は、銃を構える。
「流雫!」
澪と詩応の声が重なる、その瞬間流雫の身体が動く。男女の銃弾は流雫を捉えることができず、銃声だけが虚しく響いた。
「くっ!」
女が声を張り上げると同時に、流雫は踵を返して懐に飛び込んだ。異性に手を出すのは忍びないが、今はそう言っていられない。
力任せに振った銃身は、女の喉仏を捉えた。
「ごぼぉっ!!」
セミロングヘアを揺らしながら後ろに飛ばされた女は、喉を押さえて悶えながら、前屈みになる。銃は持ったままだが、噎せる度に集中力がリセットされ、構えるどころの話ではない。
「こ……の……!!」
女は殺意に満ちた目で睨む。しかし身体はその指示に従えない。苛立ちが女を支配する。
「銃さえ……奪えれば……」
と流雫は呟く。その声がイヤフォンを通じて、澪の鼓膜を揺らす。
「流雫……!」
と澪は声を上げた。
「聖女をどうする気だ!?」
と、馬乗りになったままのアルスは問う。その英語は通じていないが、今更答えが返ってくるとは思わないから、求めてもいない。プリィはその隣で、ただアルスを見守っている。
「何やってる!」
と声が響いた。何と言っているか判らないが、その声色に聞き覚えが有るアルスは少しだけ安堵の表情を浮かべ、顔を上げる。
ブロンドヘアの少年に見覚えが有った声の主は、黒いスーツを着た若めの男。咄嗟に英語で
「ルナは!?」
と問う。アルスは
「あっちだ」
と言い、首をその方向へ向ける。
「此奴を狙ってた奴だ」
と言ったアルスの隣で、男は手錠を取り出す。犯人を手際よく逮捕する光景に
「流石はディテクティブ・ミダガハラ」
とアルスは言い、男は表情一つ変えず
「よくやった」
と返した。
「怪我は無いな」
と問う。その隣で、フランス人2人に弥陀ヶ原は問うた。
「何が起きた?」
視界の端に流雫を捉えた詩応は、手負いの状態だが殺意だけは衰えない男に目を向ける。何故流雫が戻ってきているかは知らないが、つまり澪の援軍が現れたと云うこと。
痛みに抗い、血塗れの手で銃を握る男。詩応の残りは3発。咄嗟に地面を蹴った詩応は、元陸上部。足には後遺症が残らず、インターハイでも表彰台すら狙えそうだった俊足ぶりは健在だ。
銃を向けようとするも、男は少女の動きについていけない。どうにか腕を上げたが、その先にボーイッシュな少女はいない。詩応はその右隣から腕を掴み、背中の方向に力の限り振り回した。
「がっ!!あああああっ!!」
腕から聞こえる音を掻き消す悶絶の声を耳に残しながら、詩応は自分より大きな身体を地面に倒す。その手には銃が握られていない。それは詩応の踵のすぐ脇に落ちて軽く跳ねた。踵で銃身を蹴った詩応は、馬乗りになって自分の銃を男の顎に突き立てた。
「殺……す気か……?」
その問いに、詩応は
「彼女に危害を与えるなら」
と答える。……正しくは、先刻結託した4人に。そして詩応は問うた。
「聖女を狙う理由は?」
「……理由……?」
その反応に、詩応は手を緩めないまま
「理由も無いのに狙うハズが……」
と言い返す。
「何も……知らん……」
その言葉に、詩応は問い詰めるのを諦めた。恐らくそれで通す気だ。ならば、警察に引き渡すまで男を逃がさない……それだけだ。
シルバーヘアの少年は、後ろ向きにステップを刻み始めた。
「逃げるな!!」
その声を合図に、今度は澪が踵を浮かせた。
「こいつら……!」
そう声を上げる女を睨む少女は、小さな銃を構えて足下を狙う。先手必勝は報復を生む、しかしその報復が導く勝ちも有る。
女の1歩前で床に跳ねた銃弾、しかしそれは女の動きを一瞬鈍らせるには有効だった。そして、澪を撃ち殺しても問題無い、と思わせる。
その標的は一度だけ、不敵な笑みを浮かべる。それが不可解に思えた女は、その瞬間に致命的な誤算を起こした。
流雫は靴のグリップに任せ、鋭角にターンすると同時に跳び上がる。土踏まずが手摺を捉え、そして小柄な身体が宙に舞った。
三角跳びの要領で、女の視界に割り込む流雫。目障り、始末するならこいつから……女はそう思ったが、遅過ぎる。
流雫は咄嗟に銃を構え、引き金を引いた。至近距離の標的は、自分に向けられそうになった銃身。金属同士鈍い音を周囲に響かせると、女の手から銃を引き剥がす。
「あぁっ!!」
その声に続いた澪は、後ろから女の手を掴み、背中に回させる。
「離せ!」
「いいわ。警察が来ればね」
と言葉を返した澪の耳に
「澪!」
と聞き覚えが有る声が響く。少しだけ安堵した澪は、しかしこれからが本当の戦いだと思った。そう、警察による長い戦いなのだ。
3人の犯人は警察に逮捕された。5人は全員無事だったが、喜ぶ気にならない。
臨海署に通された5人は、部屋の都合でフランスにルーツを持つ3人と日本人2人に分かれ、取り調べを受けることになった。2時間掛かったが、プリィとアルスが長かった。
日本語が話せず流雫の通訳が必要だった以上に、狙われた理由に関しても一通り話す必要が有ったからだ。無論、教団の複雑な事情を隠しながらだから、どう言えばいいかは難しいところだったが。
5人が警察から解放されたのは、夕方前のことだった。気を取り直して臨海副都心で遊ぶことにした。特にプリィは、今夜の宿もネックになる。昨日はホテルに泊まったが、毎日そう云うワケにもいかない。
……今日だけは、最愛の少年の隣をプリィに譲る。そう決めた澪は、レインボーブリッジを望むデッキの端に佇む2人を、少し離れたカフェのデッキから眺めていた。
先刻はプリィの頬を引っ叩いたが、今は2人きりになることを望んでいる。だから先刻も、トーキョーホイールに送り出したのだ。
その心変わりは、アルスにとっては不可解だった。女と云うものは複雑だ、とアルスは思ったが、そうアリシアに言えば、それは男が安直な生き物だから、と言い返されるのは目に見えている。
澪は先刻のことには触れず、ただ流雫とプリィを眺める。その表情はどこか微笑ましく、しかし寂しそうで。詩応は、それが気懸かりだった。
「澪……?」
そう名を呼んだ詩応が見たダークブラウンの瞳は、濡れていた。
2人が抱える孤独は、その意味では今まで恵まれてきたあたしには判らない。
「あたしがついてるよ」
その言葉は、今の2人にとって何の力にもならない。
……もっと、2人の力になりたい。どうすれば、そうできるのか。
「……澪は近過ぎるんだよ」
と詩応は言った。
「既に十分過ぎるほど、流雫の力になってる。無力なんかじゃない」
「詩応さん……?」
「それぐらい、見てて判るからね。でも澪は近過ぎて逆に気付かない。ただそれだけ、何時だって流雫と一緒だってことだから、それはそれで微笑ましいけどね」
その言葉に、澪は頬を紅くする。
「プリィの救世主は、澪なのかもね」
と詩応は言った。
……流雫をバカにしたことへの怒りは残っている。しかし、プリィを助けることが流雫を支えることに結び付くのなら、そうするだけの話。
流雫を軸に据えて物事を捉えれば、何も迷うことは無い。あたしは、2人の力になる。
「……ありがと、詩応さん」
澪はそう言って、少しだけ微笑んでみせる。その表情に潜む凜々しい決意を見た詩応は、澪が愛しく思えた。
これだけ、人のために喜怒哀楽を露わにできる、そして立ち上がれる人は、詩応は流雫と澪以外知らない。
「私のために……」
と言ったプリィは、流雫を中心とした4人が自分を護ろうとしていることが、少し不思議だった。そして、それがアルスが言っていた結束の意味だと思い知らされる。
「僕だけじゃ、プリィを護れないから。みんながいて、だから護れた」
と言った流雫の安堵の表情に、プリィは聖女らしい微笑を浮かべ、しかし数秒後には表情を険しくする。
「セブが2人いるなら……何が何でも私のセブを連れ戻したい……」
とプリィは言う。流雫は一つだけ、疑問をぶつけた。
「日本に来た、本当の理由は何なんだ?」
「え?」
「1人でファーストクラスに乗ってるプリィを、僕は見た。ファーストだったのは豪華を選んだワケじゃなく、そこしか空席が無かったから。最後の1席だったりして」
と言ったシルバーヘアの少年に、プリィは
「……確かに最後だったと、父は言っていたわ」
答える。
「日本行きが決まったのはここ数日。だからそうするしかなかった。でも、そうしてでも日本に来る必要が有った。……ただの現実逃避で、そこまでするとは思えないんだ」
「……将来はインターポールに入れるんじゃない?本部、パリだし」
と言ったブロンドヘアの少女は、数秒だけ間を置いて答えた。
「……その通りよ。現実逃避じゃないわ。ただ、セブのクローンまでは知らなかった、それは本当よ」
「……まさか、セブが日本にいる?」
そう問うた流雫に、プリィは頷く。
「セブはアリスの弟として同行しているハズよ。それがどっちのセブかは判らないけど」
「じゃあ、セブを追って?」
その問いに、プリィは首を縦に振らなかった。
「セブを追ったところで、連れ去ることはできないわ。ルナたちが加担するなら、話は別だけど」
「……私が追っているのは……クローンのデータよ」
そう言ったプリィに、流雫は
「え……?」
と、眉間に皺を寄せた。
日本とフランスの科学者が集結して、アリスのクローンは生成された。ヒトクローンにまつわる、世界初の超長期プロジェクト。
聖女候補を死産したメスィドール家の窮状に目を付けた専属の医師が、親戚関係としてレンヌに顔を出したフリュクティドール家の長女からDNAを無断採取し、クローンの生成に踏み切った。
そのアリスが今日まで生きているから、プロジェクトそのものは大成功していると言える。
しかし、人工的に生み出された命への倫理的批判は非常に根強く、クローンの保護のために全てが極秘とされた。公には、クローンなど生成されていない。
日の目を見てはいけない快挙は、一部の科学者にとっては一種の屈辱でしかない。
そして聖女アリスは、生命体としては全面否定されて当然の立場。正しい、自然な形で産まれたことにするしかない。
「その医師は日本人で、クローン計画でもトップだったの。それが、クローンのデータを持ち出したことが発覚したの」
「でも、どうしてプリィが追うんだ?」
と流雫は問う。確かに、当局に関与させては計画がバレるから、そうできなかったことは容易に想像がつくが。
「私……とセブのDNAを悪用され、もしクローンを量産されれば、それは世界に混乱を招く。人工的生命体の社会的な地位や、その命そのものに関わる大きな問題をも引き起こす……その危険性を孕んでる」
「何より、無断採取されただけとは云え、フリュクティドール家にとってはその地位に関わる大問題に発展しかねないわ」
「だから、ファーストクラスを使ってでも、すぐにでも日本に行かなければ……」
「そうよ。全ては教団と一家のため。まさか、ルナと再会するとは思っていなかったけど」
と、プリィは言葉を被せた。
……何故プリィは二度も狙われたのか。日本に行くと云う動きを察知した連中が、口封じにと動いたのか。しかし、あまりにも大掛かり過ぎる。そして何より、彼女は今の流雫の問いに答えていない。
プリィ自身が、わざわざ日本に出向かなければならない理由が、流雫には見えてこない。一家は何故司祭ではなく、聖女候補とは云え未成年の少女を、それもたった1人で日本に行かせたのか。現にプリィは来日早々殺されかけているのだ。
「待て……」
と流雫は呟く。日本語が判らないプリィだが、流雫の表情から、何を言ったのかは何となく察しが付く。
「ルナ?」
プリィが名を呼ぶ。しかし、耳に届いていない。
……疑えばキリが無い。だが、今は全てを疑わざるを得ない。そう、彼女の家族さえも。
……十数秒の沈黙が、何倍にも感じられる。小さな溜め息を吐いて、流雫は言った。
「フリュクティドール家に、怪しい動きが有るとすれば……」
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