8「Kiss For Pray」

 「逃がす?」

と詩応は問い返す。

「追っ手がいるようだ」

と答えたアルスに、詩応は周囲を見回す。少し離れたところにいる、大学生ぐらいのカップル風の男女2人。黒いショートヘアの男と、ブラウンのセミロングの女。

 先刻レストランに入る時に見掛けたが、今流雫とプリィがトーキョーホイールに乗っている間、列に並ぶワケでもなく3人を見ている。時々スマートフォンに目を向けるのは、何者かと連絡しているからだろう。

 「恐らくあれだ」

「後を付けていたのか……」

「思い過ごしだといいが、こう云う時の直感は当たるものだ」

「……同じく」

とぼやく少女の隣で澪は、流雫が乗ったゴンドラを見上げた。

 ……シースルーゴンドラは、2人の乗客に東京の景色を一望させる仕事をあと1分で終える。それから降りたばかりのプリィを逃がす、その役目は流雫に任せるしかない。

 折角のムードに水を差すのは忍びない、しかし躊躇していられない。同時に立った3人の端で、澪はスマートフォンを握った。


 「プリィ……」

降りる準備を始めた流雫は、そう名を呼んだ。澪の言葉が招いた、寸分前とは正反対の表情に、フランス人の少女は微笑を殺した。

 通話状態のままのスマートフォンを、ブルートゥースイヤフォンにリンクさせた流雫の右耳に、イヤフォン越しに澪の声が聞こえる。片耳だけ挿すのは、反対の耳で周囲の音を聞き取るためだ。

 テレパスではない2人のカップルにとって、これが互いを知る上でのベストな選択。

「……プリィは僕が護る」

そう言った流雫に、プリィは複雑な表情を浮かべた。

 僕はプリィを助ける、そう言ったルナは頼もしく見える。しかし、こうなったのは自分が日本にいるからだ。動きを察知され、狙われている。自分のために、ルナが危険な目に遭う……。そのことが、一種の罪悪感となって押し寄せる。

「……ルナ……」

と不意に出た声に

「もう誰も殺されない」

とだけ返した流雫の目に、戦士としての凜々しさが宿る。

 ……バスティーユ広場でノエル・ド・アンフェルに遭遇したあの日から15年、流雫はテロに囚われ続けている。そして、自分の身を護るために銃を使ったと云う事実が、感覚として甦る限りは、解放されることは無いと思っている。

 その贖いと救いを澪に求めている……と言われれば否定しない。痛々しく思われようと、それが現実だからだ。

 流雫が窓の外に目を向けた瞬間、地上がオレンジ色に光り、轟音が空気を切り裂く。

「プリィ!!」

流雫は咄嗟にプリィを押し倒す。ゴンドラが大きく揺れるが、アクリルのボディパネルはヒビが走る程度で済んだ。

「ルナ!?」

突然のことに困惑するプリィ。流雫は大きな溜め息をつくと身体を起こす。そして

「澪!?」

と口元のマイクに向かって叫んだ。


 幾つか並んだ端のベンチにいた男が、黒いスーツケースを置いたまま自販機へ向かっていく。そしてスマートウォッチを自販機にかざした瞬間、爆音と同時に樹脂製のボディが裂け、中から炎が噴き出した。

「シノ!!ミオ!!」

アルスが叫ぶのと、2人の女子高生が走り出すのは同時だった。爆風に僅かに背中を押されながら離れる3人、しかしフランス人は観覧車の降り口を駆け上がり、制止しようとする係員を振り切って、流雫とプリィが乗ったゴンドラのロックを外した。

「行け!!」

とドアを開けながら叫んだアルスに頷いた流雫は、プリィの手を引く。

 「テロだ!避難させろ!」

とアルスは係員に英語で叫んだ。


 「何故彼女を狙う!?」

詩応は声を張り上げながら、銃を取り出す。流雫や澪のそれより一回り大きい中口径の銃は、少し反動が大きい分威力は有る。尤も、動きを止めることに特化した使い方では射程距離が長くなることが唯一の利点だが。

 「彼女が何をしたの!?」

と澪は続いた。しかし、その声に反応は無い。

「答える必要は無い、か……」

と詩応は呟く。しかし、それは半分間違っているとボブカットの少女は思った。

 聖女アリスは、全てを知っている上で答える必要は無いと詩応に言った。しかし、目の前の男女は、空港で遭遇した2人と同じでは……。


 ……早朝のニュースで少しだけ流れていたが、空港でプリィを襲撃して死亡した男女は、動画投稿サイトで配信される新番組の企画に関わっていたことが判明した。

 スタッフが指示した人物を狙って、悪戯を仕掛けると云うもので、担っていたのは仕掛け役。前払いの報酬だったらしい、札束1冊分の現金が入った封筒がそれぞれの遺留品から見つかっている。尤も、その番組自体がダミーだったが。

 関係者を名乗っていた人間の全てと連絡が取れなくなっていて、警察が実態の解明に全力を挙げている。澪の父も、母の室堂美雪曰くその捜査で昨日は家に帰ってこなかったらしい。


 答えようとしても、狙う理由すら知らされていない……。それが実態だろう。

「誰からの指示なの!?」

と澪は問う。指示……その言葉に、詩応は

「澪!?」

と名を呼ぶ。

「多分、目的なんか知らされていない……。この爆発も、恐らくは……何も……」

そう言った澪の隣で、詩応の顔が引き攣る。

 「澪!」

流雫の声が聞こえた。

「流雫!プリィを逃がして!」

「澪は……!」

「詩応さんもいる……死ぬワケないわ」

と言った澪は、左手首のブレスレットにキスをする。最愛の少年への祈り……この手に流雫を感じる、だからあたしは屈しない。

 「……判った」

とだけ言った流雫は、プリィの手を引く。

 ……地元ではないが、何度もデートで訪れている。それ故、この周辺の地理には詳しい。後は彼女の体力がどれほどなのか。

 プリィを独りにさせられないが、男女と対峙する澪と詩応に不安は無い。あの2人のコンビネーションは目を見張るものが有るからだ。

 澪が小口径の銃を取り出すのと、男女が中口径の銃を取り出すのは同時だった。

「詩応さん……」

と澪が声に出すと、

「偽物は何処だ!!」

と男が叫んだ。……聖女の偽物、つまりはプリィか。

 「アンタたちに答える理由は無いね!」

と詩応は言葉を返す。それは、対峙する男女を苛立たせるには効果的だった。

「生意気な!」

と言った男は銃口を向けながら近寄る。

「吐け!!」

と続けるが、2人は沈黙を貫く。苛立つ男は、遂に引き金を引いた。大きめの銃声と同時に、女子高生の背後の柵が音を立てる。

「次は当てるぞ!」

と男は言った。その返事は、小さな銃声だった。金属音を立てて男の手を離れた銃は、隣の女の足下に転がる。

「くっ!!」

男が睨むボブカットの少女は、銃弾が狙い通りに当たったことに安堵していた。

 ……先手必勝は報復を生む。それが澪のセオリーだった。

 相手が銃口を向けた瞬間に、正当防衛は成立する。そして、当たらなくても撃たれれば、逆に射殺しても罪には問われない。刑事の娘として、澪が常に意識していることだ。そのことを、この男女は忘れていた。

 男は銃を拾い、

「死ねぇ!!」

と叫ぶ。利き手ではない方で、片手で握る……それは撃つ方にも、撃たれる方にもリスキーだ。

「詩応さん!」

澪が叫ぶと同時に、2人は反対方向へ分かれた。それと同時に銃声が数発響く。あと2秒遅ければ、1発は当たっていただろう。

 「澪!」

とイヤフォン越しに声が響く。

「あたしは無事!」

と返ってきた声に安堵する澪は、しかし流雫の方が気懸かりだった。こっちを仕留めて、詩応やアルスだけでも合流させたい。

 ……そのアルスは何処?そして、女子高生2人はこの混乱で見失っていた。スーツケースを置いて自販機に向かった男を。


 「澪!」

と叫んだ流雫の声に、プリィは思わず身構える。

「ルナ……!?」

「ミオは無事だ……」

と言った流雫が背後を一瞥した瞬間、銃声が響いた。上空への威嚇発砲……!?

 大口径の銃を持った、Tシャツの男が1人。澪や詩応が対峙している2人とは別物。

「3人目……!?」

そう呟いた流雫は、踵を返してプリィと男の間に出る。

 「何が目的だ!?」

と流雫は声を張り上げるが、やはり答えは無い。流雫は黒いショルダーバッグから銃を取り出す。

 「ルナ……!?」

目を見開くプリィに、流雫は言った。

「これしか無いんだ」

 人を護るために、人を殺せる武器を手にする。これ以上の皮肉が果たして有るのか。

「その女を渡せ……」

と言った男に、流雫は

「僕が護ってみせる……」

と言い返した。

 銃口が流雫に向く。実力行使に出る気か……そう思った流雫のすぐ隣を銃弾が飛んだ。

「ひっ!!」

人形のようなプリィの顔が凍り付く。

 ……正当防衛、成立。流雫は冷静さを保ったまま、男を睨みながら銃を構える。

「女を渡せば……」

と言った男への返答は、2発の銃声だった。小さな銃弾は男の太腿に刺さる。

 「ぐっ!?」

と声を上げた男は前によろける。右足に激痛が走り、力が入らない。

「てめぇ……!!」

と声を上げ、銃を構える男は、しかし身体が大きく揺れて照準を合わせられない。

「くそ……!」

苛立ちだけが募る男の背後に、アルスが駆け寄ってくる。

 「ルナ!!」

と声を張り上げたフランス人に、男の顔が向く。しかし丸腰。飛んで火に入る何とやら……。その言事が浮かんだ男は、銃口を向けようとする。だが、それが甘かった。

 飛んで火に入るが焼け死なない……それがプリュヴィオーズ家の末裔だ。アルスは小さなメッセンジャーバッグからボトルを取り出し、男の目に吹き付けた。

「ぐぁっ……!目っ……!」

「単なるアルコールだ」

と、膝から崩れ落ちて目の上を押さえる男にアルスは言い放ち、掌大のアルコールスプレーを握り締める。

 「血の旅団と云う汚物を見たんだ。目の消毒には最適だろ」

生意気な口調で、アルスは言った。

 フランスで起きたノエル・ド・アンフェルを理由に、日本では活動を禁じられている血の旅団。しかし、宗教活動さえしなければ、何の問題も無い。

「ふざけやがって……」

男は僅かに開いた目でアルスを捉える。しかし、次の瞬間アルスの膝が額を捉える。

「がぁぁぁっ!!」

激しい脳震盪を起こした男が、銃を手放してその場に倒れる。アルスが流雫の元に駆け寄ると同時に、流雫は立てられた膝を掴むと、ズボンに血が滲む大腿に銃口を押し付ける。

 「何が狙いだ!?」

怒りに満ちた問いは、しかし男には聞こえていない。朦朧とする意識で何か言い掛けるが、声も出ない。

「ルナ……」

恐怖すら感じさせるルナの口調に、プリィは身震いする。

「あれがルナだ」

とアルスは言った。

「お前を護るために、手段は問わない。ルナはそれだけ、お前のために必死だ」

 空港の時も、プリィだとは気付いていなかったが、流雫は必死に助けようとした。……愛しい人を失ったことが、人を救いたい原動力。

「ルナが私のために……」

そう呟くプリィは、流雫にテネイベールの面影を見た気がした。尤も、それは偶然オッドアイが同じと云うだけで芽生えた妄想でしかないのだが。

 丸腰のアルスとプリィを置き去りにするのは不安だが、澪と詩応が気になる。しかし、アルスは流雫の心理を読んでいたのか、男の喉仏を掴むと言った。

「ルナ、行け」

 流雫は男が手放した銃を拾うと、

「アルス、プリィを頼む」

と言い残し、踵を返した。


 2対2。しかし銃の口径で不利。アイコンタクトを交わす澪と詩応は、同時に靴音を鳴らした。

「澪!」

と声を上げる詩応に、男の目が向く。

「詩応さん!」

澪の声を掻き消すように響いた銃声、しかしそのボーイッシュな少女の身体に弾痕を残すことはできない。

 詩応は銃を構え、引き金を引く。規則的に撃ち出された銃弾は3発、うち1発が男の腕に刺さった。

 1発だけだが、動く標的に当てるのは難しい。しかも、首の怪我の後遺症を抱えている。手が震える中では、至難の業でしかない。奇跡に近い、と詩応は思った。

「ぐっ!」

銃ごと患部を押さえる男は、顔を歪めながら詩応を睨む。……幸いもう1人の男がいる、今頃あの女を捕まえているだろう。後は自分が逃げ切れればいい。そう思った男は、しかし大きな誤算をしていた。

 イヤフォン越しに聞こえた

「プリィはアルスといる!」

の声に、澪は僅かに安堵を感じる。しかし、油断はできない。

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