10「Pray For My Guardians」

 「私の一家を疑うの?」

と、プリィは思わず声を上げる。

「でも、今は全ての可能性を排除できないんだ」

と流雫は言う。そしてスマートフォンを取り出し、耳に当てた。

 「ルナ?」

「おはよ、父さん」

と通話相手に言った流雫は、既に起きていた父、宇奈月正徳うなづきまさのりに切り出した。フランス時間は7時だが、その頃には既に起きていることを一人息子は知っていた。

 「……一つだけ教えて欲しいんだ。……今、日本にプリィが来てる。たった1人で」

「プリィって、あのプリィか!?」

と正徳は声を上げる。

「うん。僕の飛行機と同じだったんだ。……プリィの航空券、父さんが手配した?シエルフランスのファーストクラスで」

と流雫は問う。

 プリィが来た時、ビジネスの話は何時も父がしていた。だから今回も、もし手配を掛けるなら父だろうと思っていたのだ。

「いや」

と父は答えた。

 「あの一家が日本行きの手配を依頼してきたことは、一度も無い。恐らく、公式サイトを使ったんだろう」

「そっか……」

と言った流雫に、正徳は問う。

「プリィがどうかしたのか?」

「この前飛行機に乗り合わせて、東京の空港で少し話しただけ。懐かしかったけど、1人きりだったから少し気になって」

と流雫は答える。自分の家族を疑う気は毛頭無いが、余計なことは何も言わない方がいい。

 流雫は少しだけ父と話し、スマートフォンを耳から離すと、プリィに言った。

「僕の家は、プリィの家に日本行きの航空券を出したことは無いらしい。一家が公式サイトで航空券を出して、その情報を洩らした……?」

 「洩らしたって、何処に!?」

プリィの声は、怒りが露わになっている。流雫が家族を疑っているからだ。

 彼女にとって、それが全て本当なら悪夢でしかない。だが、流雫が出鱈目なことを言っているとは思えない。

「……何処に、洩らしたの……」

プリィは声のトーンを一気に落とす。こう反応するのは、流雫には予測できていた。

 十数年ぶりに会った少女を困惑させる気は無い。しかし、困惑するのは当然だ。全て正しければ、家族を誰も信じられなくなるからだ。

 ……今のプリィを受け止められるほど、僕は大人じゃない。どうすれば目の前の幼馴染みを救えるのか……。


 「……何故プリィが、台場にいると……」

と澪は言った。空港にいたことは別として、まるで彼女の居場所を完全に把握しているようだ。

「常に誰かが監視して、居場所を教えているのか?」

そう言ったアルスに詩応は

「まさか」

と返す。

「もっと簡単な手が有る……ハズ……」

そう言葉を切った彼女が何を思ったか、ボブカットの少女には察しが付いた。そして、それが答えだと思った。

「っ……」

澪は思わず唇を噛む。思い出すのは、軽くトラウマにすらなるほどの苦しい記憶だった。


 詩応が意識不明、心肺停止。玄関で母にそう話す父親の声が聞こえた澪は、リビングで泣き叫んだ。

 名古屋に帰る新幹線の車内で、詩応は彼女を追っていた連中に首を切られた。手に後遺症が残った程度で済んだのは、奇跡としか言い様が無い。

 彼女に渡された教団の手帳に、忘れ物トラッカーが隠され、動きを常に監視されていた。そして、品川から走る密室に乗った詩応は、辛うじて座れた席で、罠に陥ったことに気付かないまま、首から血を流した。


 「……トラッカーだ……」

詩応は小さな声で言った。プリィの持ち物に仕組まれているのか?だとすると、一体何に?

「プリィの持ち物……」

と詩応は呟く。

 彼女の持ち物は、小さなポーチ1つ。中身は恐らく、パスポートと財布とスマートフォン、そして教典だけだろう。そのどれもに仕組むのは、難しそうな気がする。

 「……一つだけ有ります……」

と澪は言った。彼女の持ち物で、唯一絶対に紛失の心配が無いもの。

「何だい?」

そう問うた詩応の目を見る澪は、少し深めの呼吸を置いて言った。

「……ネックレス……」

その言葉に、詩応は目を見開いた。

 ……プリィの首元を飾るネックレス。彼女が、文字通り肌身離さず身に着けている。命の次に、いや命より大事なアイテム。それなら、紛失や盗難の心配は最も小さい。

「流雫には悪いけど……」

と言い、澪は立ち上がった。


 「プリィ!そのネックレスを渡して!」

と、走ってくる澪が言った。

「澪!?」

「いきなり何なの!?」

突然のことに困惑するプリィ、しかし澪は

「渡して!」

とだけ繰り返す。

 「澪……!?」

流石に流雫も困惑するが、すぐにプリィに顔を向け

「……僕に渡して」

と言う。

「ルナまで!?何する気!?」

「ミオが渡してと言ってる。……そのネックレスに秘密が有るハズ」

と流雫は言った。澪が、何の理由も無いのに、人のものを奪うような真似はしないからだ。

「これは大事な聖女の証……!」

プリィは頑なに拒否する。しかし澪も譲らない。

「だからよ!それが有るから、居場所がバレてるの!!」

 「居場所が……!?」

「空港からの、日本での足取りがバレてる。そうでなきゃ、ピンポイントで狙ってこないわ!」

強い口調の澪の声が、プリィを揺さぶる。流雫は早くなる心臓の鼓動を抑えながら、プリィに問うた。

 「……ネックレス、聖女の証として渡されたのは何時頃の話……?」

ブロンドヘアの少女は、言葉に詰まる。 

 ……大事な家族を疑われている。しかし、目の前の2人は自分を貶めたいワケではない。寧ろ、助けたいと思っている。そのために、疑わざるを得ないのだ。

 数秒経って、プリィは答えた。

「……1週間前。航空券と同時に」

「その時、何か言ってなかった?」

「……これは、女神がお前を護るための聖なる道具だ。絶対に誰にも渡すな、奪われるな」

と、プリィは更に答える。その問の主は、恋人に顔を向けて頷く。澪が読んだ通りか。

 流雫は言った。

「……それは聖なる道具じゃない。僕が預かる。プリィのために」

「でもこれは……」

「ルナを信じて下さい。……セブのためにも」

と、澪はプリィの言葉に被せた。

 ……弟のため、と云う言葉で脅しているようにすら思える。それでも、目の前の少女のためには、形振り構っていられない。それが、流雫と澪のポリシーだった。

 「……判ったわ……」

とプリィは言い、ネックレスを外して流雫に渡す。両手で受け取った少年は、ショルダーバッグの奥底に入れた。

「……でも、次は流雫が……」

と澪は言う。そう、プリィを狙っていると思った男が、流雫を襲う可能性も有る。

 「その時は、返り討ちにするだけだよ。……何が目的か吐かせたい」

と流雫は言った。

 決してイキりたいのではなく、想像できる限り他に方法が無いのだ。そして、このネックレスの秘密が思い過ごしなら、それに越したことは無い。

 ……一見非常識で形振り構っていなくても、流雫を信じたから今まで生き延びてきた。だから、今も流雫を信じる。それだけのことだ。

 「……プリィは、今日は何処に泊まるの?」

「未だ決めてない。決めようが無くて、その日空いてるところに飛び込んでる」

と、流雫の問いに答えるプリィ。渡航先で宿を当日に決める……そのノープランぶりから見ても、彼女の来日は不可解な点が多い。

 澪は無意識に

「……あたしの家に来ます?」

と言った。元々詩応を泊める気だったが、もう1人だけならどうにかなる。

「でも」

「……そうできるなら、そうしてほしいな。その方が安全だし」

と流雫はプリィの言葉に被せる。その瞬間、プリィの今日の宿が決まった。

 流雫とアルスは、2人で安いホテルに泊まることにした。空港の近くだ。

 正体不明の連中が、プリィのネックレスを持っている流雫を追ってくるだろう。だから、都内北端の澪の家から離れたかった。


 新宿のファストファッションの店で安い服を入手したのは、流雫とプリィだった。澪と詩応がコーディネートしたのだ。特にプリィは、その装束が目立つだけに、普通の服を手に入れる必要が有った。

 別れる直前、流雫とプリィが再会したあの広場に戻った5人。詩応は、流雫と澪を2人きりにする時間を設けた。

 昨日から、2人がカップルらしく一緒にいる時間がほぼ皆無なのが、気になっていた。やはり、流雫と澪には一緒に過ごしてほしい。その光景を眺めていると、詩応自身何か救われた気になるからだ。

 「……流雫は、何も間違ってないよ」

と澪は言った。

 特殊な理由が有るにせよ、恋人の澪よりプリィを優先している。流雫はそれに罪悪感を感じていた。

 しかし、澪はそう思っていない。寧ろ、そう云う性格だから愛しく感じる。

 愛しているが故に、少しだけ距離を置きたいと思ったことは有る。しかし、少しでも別れたいと思ったことはこの2年近く、一度も無い。

「間違ってない。だから、あたしは流雫の力になりたい」

と澪は続け、目を閉じて最愛の少年の唇を奪った。

 「ん……、ん……ぅ……」

微かに息苦しくなったからか、澪の心臓の鼓動が早くなる。無意識に指を絡めた2人の手首を飾るブレスレットが、小さな音を立てた。

 全ての音がシャットアウトされた、静寂に包まれる錯覚。唇のくすぐったさや息苦しさが彩る、切なさや愛しさを、記憶に刻み付ける。この命が尽きるまで、いや……尽きても忘れないようにと。

 微かに熱い息を吐きながら、唇を離す2人。少しだけ濡れた澪の瞳には、隣に立って護るべき少年の顔だけが映る。

 ……流雫なら、プリィさえも護れる。

 甘ったるい瞬間から目を背けた3人は、それぞれが護りたい人を思い出す。

 詩応は、名古屋にいる同性の恋人。詩応の1年後輩で、陸上部のマネージャーだった。かつて流雫や澪たちと一緒に戦った事件では、東京に駆け付けて反撃のきっかけを作った立役者。

 アルスは、レンヌにいるアリシア。腐れ縁で、何時も掌で転がされている感が有る。しかし、アルスを誰より知り尽くした、心強いパートナーだ。

 そしてプリィは、最愛の弟セバスチャン。中央教会の正統後継者として産まれながらも、姉として弟には自由に生きてほしいと思う。

 ……今頭に思い描く人のために、そして今この場に集結したフレンドのために。誰一人殺されない。何にも揺さぶられない、誰からも断ち切られないほどの意志を、それぞれが静かに確かめる。

 突然、ブロンドヘアの少女は、目を閉じてその場に跪いた。

 ミオ、シノ、アルス、そしてルナ。4人が自分を護ろうとしている。……ソレイエドールよ、この4人に絶対的な守護を与え給え。そう祈ることが、今私が唯一できること。プリィはそう思っていた。

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