24 優等生は真昼にバレる

 夜とホテルで別れ、学校へ向かった。学校に行くと、クラスメイトたちが楽しそうに話してるのが目に入った。それを見ても気分が晴れない。あの日と同じだった。ただ、あまりボーっとしないように気をつけた。またボールにぶつかったりしたら、元も子もないからな。


「多田、悪い! このプリントを化学準備室に置いてきてくれないか!」


 朝礼が終わり!机に肘を乗せてボーッとしていると、先生が慌てたようにやって来た。


「はい、分かりました」


 俺はいつものように頷くと、先生に頼まれたプリントを持って化学準備室に向かった。

 知り合いに声を掛けられても、俺はきっと上の空だったと思う。

 だって自身の中で決めていた揺るぎない決意が、簡単に壊れてしまったのだから。

 化学準備室に行くと、相変わらず机の上はぐちゃぐちゃになっていた。先生はやはり片付けるのが苦手のようだった。俺はプリントを置くと何かをして気を紛らわせたかったのもあって、机の上を片付けることにした。

 ペンをペン入れに入れ、資料を重ね、細々としたものは小さな箱に入れて……気がつけば1限を告げるチャイムが鳴った。


「(授業か、あまり気力がないな)」


 授業を受ける気力がなかった。もうどうにでもなれという気持ちだった。

 俺はそのまま化学室の掃除を続けた。掃除を続けて数十分経った頃、化学準備室の扉が開く音がした。


「(先生が来たかな、なんて言おう)」


 なんて考えていると、


「多田くん」


 聞き覚えのある声が聞こえてきた。後ろを振り返ると、そこに居たのは小日向さんだった。

 息を切らし、疲れているのか扉を掴んで立っている。


「小日向さん、どうして」

「授業始まっても帰ってこないから、迎えにきた。多田くん、教室戻ろう」


 小日向さんはそう言うと、俺の方に手を差し伸べて来た。小日向さんの手には、俺のあげたブレスレットがあった。光にあたるとキラリと光、とてもキレイだった。が、今の俺にとってその光は眩しく感じた。どうしてこんなにも光が眩しく感じるのか? それはきっと、俺の心が真っ黒だからだろう。


 俺は差し出された手を握り返すことができなかった。そんな俺を見て、小日向さんは暗い顔をした。


「授業、出たくない?」

「……あぁ、今日はちょっと出たくないかもしれない」

「……理由は?」

「それは」


 理由を聞かれても答えることができなかった。自分が2人の女の子に好意を持っていて、どうすればいいのか分からなくて悩んでいるだなんて。


「(俺のこと好きな小日向さんに失礼だよな)」


「何でもない、ただちょっと勉強のことで悩みがあったんだ」


 小日向さんにバレないよう笑顔を浮かべた。引きつってるのか、口元が上手く上がらない。


 そんな俺を小日向さんはじっと見た後、


「嘘」

「えっ?」

「嘘つき」


 そう言って小日向さんは、俺のことを悲しい顔をして見つめてきた。


 俺は悲しそうな小日向さんの顔を見て、そして小日向さんの言葉を聞いてうつむいた。


「……ごめん、嘘ついた」

「……」

「理由、どうしても君には言えないんだ。本当にごめん」


 理由を言ってしまえばきっと小日向さんを傷つけてしまう。そして、小日向さんに嫌われてしまうだろう。そんなの耐えられなかった。俺は小日向さんが好きで、でも夜も好きで……。


 グルグル感情が混ざり合っていく。混ざり合ったものはドロドロで、どうすることもできない。


「そっか、やっぱり」


 小日向さんが小さな声で、何かを呟くのが聞こえた。なんて言ったのか聞こえなかった。けどその顔は思い詰めていて、聞ける雰囲気じゃなかった。


「ねぇ、多田くん」

「どうしたの小日向さん」

「多田くん、私はあなたとキスがしたい」

「えっ?」


 小日向さんの言葉をすぐに理解することができなかった。


「多田くん、私はあなたとキスがしたい」


 そんな俺を見越してか、小日向さんはもう一度同じ言葉を言った。小日向さんの顔は真剣そのものだった。


「い、いきなり何を言って」


 俺は小日向さんから離れた。まさか、小日向さんがそんなことを言うだなんて思わなかったからだ。離れて、キスはしないということを伝えたかったのかもしれない。

 けど小日向さんは俺に近づいて来た。俺は一歩後ろに下がる。しかし、後ろには壁があった。壁があって、これ以上下がることができない。


「小日向さん少し待ってほしい。キスを簡単にするのは良くないと思うんだ」


 俺は必死に小日向さんを止めようと思った。しかし、小日向さんは止まってくれない。それどころか俺のネクタイを掴むと、そのまま強く引っ張って、小日向さんの顔に近づけられる。



「多田くんは、親友とキスしてるのにいいの?」

「なにを」

「私、見ちゃった。多田くんが学校の帰り道に繁華街に行って、夜ちゃんとキスをするところを」


 小日向さんは片手でスマホを取り出すと、ある写真を見せて来た。そこには俺と夜が写っていて、キスをしていたのだ。


「(この間の、小日向さんにつけられたのか)」


 俺はごくりと唾を飲み込むと、至近距離から小日向さんの顔を見つめた。



「どうして、俺をつけてたの?」


 すると小日向さんは、俯きながら……


「多田くんにキスマークがついてたから」

「えっ?」

「多田くんの背中にキスマークがついてたから! 夜ちゃんとそう言う仲じゃないかって疑っていたの!」

「いやでも、俺と夜はキスをしただけで」

「……私、最後まで見てるから」


 小日向さんは顔を苦しげに歪ませながら、スマホの画面をスライドさせた。


「そのあと2人でホテルに行ってた。つまり、多田くんたちはそういうことをやってたんでしょ?」

「っ!」


 まさかそこまでついてこられていたなんて、思わなかった。どう口にしていいのか分からなかった。驚けばいいのか、それとも悲し目ばいいのか。


 ただ一つ確かなことは、小日向さんに嘘はつけないというかことだった。嘘をつけばつくほど、小日向さんを傷つけてしまうことは明白だった。


「……そうだよ、小日向さんの言う通りだ。俺と夜はホテルでそういうことをしたよ」

「……」

「これが、初めてじゃない」


 小日向さんは口をつぐんでいた。さらに顔は歪み、俺の話をなんとか受け止めようとしていた。


「初めてじゃない、か。多田くんたちは、付き合ってるの?」

「オレと夜は付き合ってないよ」

「じゃあ、なんでそういう行為をしたの? 付き合ってるなら分かるけど」


 たしかに小日向さんの言う事には、一理あった。小日向さんの考えとしては、そういう行為は付き合ってからするものだと思っているようだった。大多数の人がこの意見だろう。


 しかし俺たちは、少数派の意見だった。


「小日向さんにとってはあり得ないかもしれない。けど、俺たちにとってそれは重要だったんだ」

「その行為が?」

「あぁ。まぁ、互いの傷の舐め合いみたいなものだったけどね。けど、その行為をしていた時、俺は安心できたんだ。人と繋がりを明確に持つことができたから」

「分からない、多田くんが何を言いたいのか理解できない」

「そう、だね。そのためには、俺の過去から話さないとね」

「多田君の過去?」

「そうだよ、どうして俺が人との繋がりを必要としたのか。そして、俺がどういう人間なのかってね」


 この時点で俺は、小日向さんに嫌われる覚悟で話していた。普通考えたらありえないことだと思うからだ。


 それでも俺は小日向さんに話さないといけない。

 父親から家を追い出されたこと。

 優等生として、振る舞わないといけなかったこと。

 深夜の繁華街で、探し物をしたこと。

 夜と出会ったこと……。

 そして、俺が小日向さんと夜が好きなこと。


 全部、全部話をした。

 きっと小日向さんに軽蔑されるだろう。それが怖くて震えていた。けど俺は全てを話し終えた。

 小日向さんは俯き、表情が見えなかった。

 なんて言われるのだろう。なんて表情をされるのだろう。


 やがて小日向さんが顔を上げた。


「えっ?」


 小日向さんは目から涙を流していたのだ。小日向さんの思いがけない表情に驚いていると、小日向さんは俺のネクタイを強く引き、そしてキスをしてきた。

 小日向さんとの初めてのキスだった。


 なぜ小日向さんがキスをしたのか分からなかった。


 小日向さんとの初めてのキスは、悲しいキスの味だった。


 俺たちはそのまま唇を合わせ、1分くらいそのままだったと思う。

 やがて唇と唇を離した時、小日向さんは言った。


「私はあなたの話を聞いて、すごく悲しかった。悲しくて、哀れんだのも事実。どうして多田くんがこんな目に遭わないといけないのって考えたら涙が止まらなかった」


 小日向さんは本心を偽らず、本当のことを話してくれた。

 それがとっても嬉しかった。


「キスしたのは、多田くんと触れ合いたかったから。多田くんと触れ合って、多田くんを感じたかったから。多田くんと1番に触れ合えるのはキスだと思ったから」

「小日向さん……」

「ねぇ、多田くん。多田くんは私と夜ちゃんが好きなんだよね?」

「あ、あぁ」

「それで、多田くんは苦しんでいるんだよね?」

「……」


 小日向さんはネクタイから手を離すと、俺のことをそのまま強く抱きしめてくれた。


「……かな」

「えっ?」

「私、じゃだめかな? 私、多田くんのためなら何でもする」

「小日向さん」

「ねぇ、多田くん」


 "私を選んで"


 小日向さんの言葉に、俺はどうすればいいのか分からなかった。小日向さんに抱きしめられ、答えも言えぬまま。


 自分はどうしようもないやつなのだと、心の中で吐き捨てることしかできなかった。

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