12 優等生は夜を抱きしめる

*正人 視点


 夜はそこまで言うとペットボトルに手を伸ばし、水を一口飲んだ。

 俺はなんとなく夜が次に言う言葉を予測できた。なんでって? それは、夜との出会いを考えれば分かることだから。

 夜は言う。俺に寄りかかり、どこか遠くを見ながら。


「私はそれで考えたんだ。この場所に居るためには、どうしたらいいか。どうすれば、この場所に居られるのか? そして私は思い至ったんだ。"処女を捨てればいい"ってね。うちの両親は不純異性交友をとにかく嫌っていたんだ。嫁ぐなら処女じゃなくてはいけないって考えの持ち主だったんだ。だから、私は逆のことをしたんだ。なら、"捨ててしまおう"ってね。それで君と出会ったあの日、誰かと繋がろうとした」

「それで失敗した所に、俺が居たってことか」

「うん、そうだね」


夜は懐かしむように、ゆっくりと言った。


「君に助けを求めた時、君は私を助けてくれた。初めて人に助けてもらったよ。今まで助けてもらったことがなかったからね。だからその時、"君"がいいと思ったんだ。君じゃなきゃ嫌だとさえ思ったんだ。どうやら君もある意味利害が一致していたようだったから、私は君を誘ったんだ……これで全てかな」


 夜はそう言うと、俺から離れて座った。まるで、俺との間に壁があるかのように。


「けど、両親は再び私の前に現れたよ。現れて私を連れ戻そうとした。私は言ってやったよ、私が処女を捨てたことを。両親は凄く怒った。けど、私を連れ戻そうとした。どうやら両親の話では私が居なくなった後、子を作ろうとしたらしい。けど、歳のせいで上手くいかなかったみたいだ。つまり、両親の血の繋がった子どもは私しかいない……私の読みは外れちゃったみたいだ」

「そうか」

「でも、読みが外れたからと言って君と繋がったことや関係を持ったことは後悔していないからね。私は君と知り合えてよかったって思うんだ。君と出会わなければ私はもっと酷いことになっていたかもしれないからね」

「……」

「だから、君と出会えてよかった……ううん、私は君とじゃなきゃいけなかったんだ。ありがとうね」

「……ぁ」

「正人くん?」


 何故だか分からなかった。夜が話し終わったと同時に俺の目から涙がとめどなく溢れ出てきた。


「なんで君は泣いてるの?」

「わか、らない。でも……」


 これは夜を憐れんで泣いているのか? いや、彼女が辛い環境で暮らしてきたことを知って憐れむよりも俺は彼女の両親に怒りが湧いていた。だから、泣くとは違う。


 じゃあ、なぜ泣いたんだ?


 俺は思う。彼女の言葉が嬉しかったのだ。彼女は言った。「だから、君と出会えてよかった……ううん、私は君とじゃなきゃいけなかったんだ。ありがとうね」って。


 俺は必要とされたことが嬉しかったのだ。誰かに必要とされ、そして感謝される。今までそんなことなかったから。

 あぁ、そうかと俺は気がつく。俺が探していたのは、夜の街で見つけたかったのは誰かとの"繋がり"だったのだ。だからこそ夜との関係に心が落ち着いたのだ。そして、夜を求めたのだ。たしかに彼女の言った通り利害は一致している。


「……俺、分かったよ」

「そっか」


 夜は俺の考えがお見通しなのか、ベッドに備え付けられられたティッシュをいくつかとった。そして、俺の目元を拭いてくれた。


「ごめん、夜。俺、空気読めなくて」

「気にしなくていいよ。君には前から感謝を伝えたかったから、伝わったのならよかったよ」

「本当にごめん、でも本当に嬉しかったんだ」

「うん」

 

 俺はそっと夜の手を握った。夜との壁を消すかのように。夜は初めはビクッと肩を揺らしたけど、俺を受け入れてくれたのか手を握り返してくれた。


「夜、君とは友人という訳でもない、ただの知人だ。でも、君に俺は助けられたんだ。だから、君の助けになりたい、君の力になりたい」

「ありがとう、正人くん。けど、君を巻き込む訳には」

「""自分の幸せ"を棒に振ることはないんだ。君は悪くないんだからね。だから、でも私はって自分を卑下する必要なんてないんだ"」

「あっ」

「夜、君が言ってくれた言葉だよ。君は悪くないんだから。君はもう幸せになっていいんだよ」

「そっか、うん、そうだね」


 夜の目がにじみ、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。


「うぁっ」


 俺は泣き声をあげる夜をそのまま抱きしめた。夜は俺の胸の中で、泣き声を上げている。体は小刻みに揺れているが、とても温かい。


 俺は夜を抱きしめながら言った。


「生きて、幸せにならなきゃ」




 それから1時間くらい、ずっと抱きしめていたと思う。夜は泣き止むと、ゆっくり体を離した。


「ありがとう、正人くん。ずっと抱きしめてくれて。おかげで落ち着いたよ」

「それはよかった」

「君が励ましてくれたおかげで、私の気持ちも軽くなったよ。本当にありがとう」


 夜はそう言うと、俺の顔を覗きこんで笑顔を浮かべた。目は少し腫れ、赤くなっている。顔は涙でぐちゃぐちゃだ。


「涙で顔が汚れてるよ。一旦風呂に入ってきたら」

「ふふっ泣きすぎちゃったからね」


 袖で顔を拭こうとする夜の腕を掴む。


「袖で拭いたら、汚れちゃうぞ。風呂を沸かしてくるから」

「なにから何までありがとう」

「別にいいって。俺が好きでやってるんだから」


 俺はベッドから立ち上がり、風呂場へと向かった。風呂場には浴槽とシャワーが備え付けられている。部屋は一面ピンクなのに対して、風呂場は真っ白でとてもシンプルだった。

 統一感無いなと笑いながら、蛇口を捻る。蛇口を捻ると、浴槽にお湯が溜まっていく。お湯が溜まっていく様子を見ながら待っていると、風呂場に夜がやって来た。


「先にシャワー入ってもいいかな?」

「あぁ、どうぞ。お湯は自分で止め……」


 そう言って背後の夜を振り返った時、夜は服を脱いでいた。


「なっなにやってるんだ!?」

「何って服を脱いでるんだよ。脱いだままじゃ、シャワーを浴びれないでしょ?」

「そ、そうだけど、頼むから俺が居なくなってから服を脱いでくれよ」

「ふふっ、君は純粋だよね。あんな行為をしていながら照れちゃうところとかさ」


 夜は笑いながら服を脱ぎ去ると、タオルで体を巻いた。


「これなら、いいよね」

「いいよね? じゃなくって、俺は向こうに居るか……」


 グイッと袖を引っ張られる。引っ張ってきたのはもちろん夜だ。夜は俺の袖を掴みながら、心細そうな顔をしている。


「行っちゃうの?」

「あぁ、一緒に風呂は入れないよ」

「どうして?」

「どうしてって」

「彼女が居るから?」

「彼女は居ないよ。1人でゆっくり入った方がいいだろ」

「……」


 夜にそう言っても、俺の袖を離そうとはしない。どうしたものかと考えていると、夜はゆっくりと俺の袖を離した。


「困らせてごめん。1人で入るよ」

「別に困らせてなんか」

「本当にごめんね」


 なんだか夜の姿は、迷子の子どものようだった。心細そうに、俺を見つめる瞳はゆらゆら揺れている。


「(そんな顔されたら、ほっとける訳がない)」


 俺ははぁーっとため息を吐くと、


「夜、俺も風呂に入るから向こうを向いてくれないか?」


 自分の服に手を伸ばした。

 夜はというと、驚いたように目をパチパチさせている。


「いいの?」

「あぁ、急に風呂に入りたくなったからな」

「……ありがとう」

「別にいいって。それより、先にシャワーを浴びて風呂に入っていてくれ」

「うん」


 俺は一旦部屋に戻ると、服を脱ぎ、タオルを下半身に巻いた。そして少し待ってると、夜が「終わったよ!」っと声を上げたので、風呂場に戻った。


 風呂場に戻ると、夜は浴槽の中で膝を抱えて座っていた。


「すごく温かいよ。早く入っておいで」

「あぁ、そうするよ」


 俺は頭や体を洗ってから風呂に入った。お湯は温かくて、ちょうどいい温度だった。


 浴槽に入ると2人では窮屈だったため、背中合わせで入ることになった。背中を合わせると、夜はこんなに小さかったのかと驚いた。


「どうかした?」

「いや、なんでも」


 俺たちは風呂に入りながら、天井を見上げた。水の滴る音や、お湯の揺れる音、互いの呼吸が聞こえてくる。耳を澄ませながら、その音に集中する。お湯も温かいし、音は心地よく感じて、眠くなってきてしまう。

 ふぁっと欠伸を噛み締めていると、合わせている夜の背中が揺れた。


「ふふっ眠くなってきちゃった?」

「あぁ、なんだかお湯が温かくって。風呂に入ったの久々だな」

「私も。いつもはシャワーで済ませちゃうからね」


 ちゃぷんとお湯が揺れる。揺れるお湯を肌で感じながら、俺は夜に言った。


「だれかと、入るのも久しぶりだ」

「だれかと入ったことがあるの?」

「あぁ、父さんとお母さんと。小さい頃は3人で入ったな」


 母親が亡くなるまでは、幸せだったなって思いを馳せながら。


「私はお姉ちゃんと入ったよ。お姉ちゃんがよく頭を洗ってもらったっけ」


 夜も昔を思い出したのか、その声はとても優しく温かい声をしていた。


「けどお姉ちゃん、最初の頃は頭洗うのへたっぴだったの。力入れすぎて痛くて、よく私お姉ちゃんに怒ってたんだ。痛いって!」

「へぇ、お姉さん意外だな」

「でしょ? お姉ちゃんって意外にも負けず嫌いなところがあってさ。「今度は上手くやるからもう一回!」って言って、何度も頭を洗われたんだ。まぁ、その成果もあってか頭を洗うのが凄く上手くなったんだけどね」


 互いに互いの思い出話に花を咲かせながら、浴槽に浸かる。とても楽しかったし、夜のことを少しでもしれてよかったって思った。初めて彼女と出会った時はとてもミステリアスな子だと思っていたから。けど、今は違う。

 

「(俺たちは、互いのことを知らないようにしてきたけど、結局は無理だったな)」


 人は1人では生きられないと聞いたことがある。そんなことはないと思っていたけど、1人では生きていけないと俺自身実感してる。誰かの温もりが欲しくて、俺は夜の街を歩いていた。そして、夜と繋がりをもった。それだけならまだいい。けれど、その後も夜との繋がりを持ち続けた。続けたということは、俺自身も求めていたからだ。人の温もりを、誰よりも深く。


「ふぅー、長くお風呂入り続けちゃったね。そろそろ出ようか」

「あぁ、そうだな」


 気がつけば風呂に1時間以上入っていた。楽しかったがこのまま入り続ければ、体はふやけ、のぼせてしまうだろう。


「先に着替えてきなよ。俺は待ってるからさ」

「えー、別に待たなくていいよ。2人で出てすぐに着替えればいいんだし」

「何となく、待ってたいんだ」

「ふふっそっか。じゃあ、先に着替えちゃうね」


 夜が浴槽から出る。浴槽のお湯が波打ち、俺の体に当たる。俺はジッとお湯を見ながら、夜が着替え終わるのを待った。

 待つこと数分、夜が着替え終わったとのことだったので、浴槽から出た。夜にはお風呂場で待ってもらい、急いで服に着替える。


「終わったぞ!」

「はーい! もういいの?」


 夜に声をかけると、夜がお風呂場からひょっこりと顔を出した。タオルで髪を拭きながら、水気をとっているようだ。

 俺はテレビ下のデスクの下からドライヤーを取り出すと、コンセントをさした。


「あぁ、それより早く髪乾かしちゃえよ。春とはいえ、そのまま寝たら風邪ひくぞ」

「ふふっ君はお母さんみたいだね」

「だれが、お母さんだ!」


 夜は俺の前までやって来て、ベッドに正座した。


「お母さん、髪を乾かしてくれない?」

「だから誰がお母さんだ!? 俺、人の髪の毛乾かしたことがないんだけど」

「大丈夫だよ、正人くん。チャレンジだよ、チャレンジ」

「まぁ、やってみますか」


 ドライヤーの電源をONにする。ドライヤーから熱い風が出てきて、夜の細く長い髪の毛を巻きあげる。俺は夜の髪の毛に指を通すと、片手でドライヤーを持ち、髪の毛を乾かした。


「うん、君の乾かし方上手だね。うちのお姉ちゃんよりも上手だよ」

「左様ですか」

「気持ちくて、眠くなりそう」


 夜の髪は長いので、乾かすのに時間がかかった。けど、なんだかとっても温かい気持ちになれた。人と触れ合ったからかもしれない。


 「次は私がやるよ」っと夜が言い出して、髪を乾かしてもらった。夜の手先は優しく、夜が眠くなると言った気持ちが分かったような気がした。


「(たしかに悪くないな。このままやってほしいかも)」


 そうして互いに髪を乾かし合って、2人とも髪を乾かし終わる頃には、夜遅くになっていた。いつものように、今日も別れるんだと思っていた。しかし、夜は一向にベッドの上から動かない。テレビをつけては、消してを繰り返している。


「夜、もう遅いけど、今日はどうする?」

「やるってこと?」

「ち、違うって! このまま解散するかってことだよ」

「うーん」


 解散という言葉を聞いて、あまり気乗りがしないのだろう。夜はリモコンをテーブル台に置くと、そのままベッドに転がった。


「今日は解散しなくていいんじゃないかな? 正人くんが用事あるなら解散してもいいけどさ」

「いや、別に用事はない」

「なら、今日は朝まで寝ていこう。よし、そうしよう。それがいい」


 夜は嬉しそうに、うんうんと頷いている。俺は夜の提案を受けることにした。何となく、夜を1人にはできなかったからだ。


「寝るのはいいけど、ベッド一つしかないぞ?」

「えっ何言ってるの? 一緒に寝ればいいんじゃないかな」

「いや、その」

「ふふっ、もしかして恥ずかしいの?」

「うっ」

「まぁ、何度も"寝た"ことはあったけど、一緒にベッドで眠ったことはなかったからね」


 夜は俺を見て、ニヤニヤと笑っている。


「(む、ムカつく! まぁ、夜の推理通りなんだけどな)」


 夜の言う通り、俺たちは一緒にベッドで寝たことがない。女の子とベッドで一緒に眠るなんて、きっと俺のことだからドキドキして眠れなくなるだろう。

 それを避けたかったのだが、夜は許してはくれなかった。


「隙あり!」

「わっ!?」


 俺の腕を引くと、そのままベッドに引きずり込んできたのだ。慌てて離れようとしたが、そのまま抱きしめられて、身動きをとることができない。


「夜」

「うーん?」

「このままじゃないと、ダメか?」

「ダメ」

「あっそ」


 一向に離してくれなさそうなので、俺は夜に抱きしめられたまま眠ることを決めた。夜は後ろから俺を抱きしめているのだが、夜の息が首筋に当たり、夜の胸が背中を押し、夜の足がオレの足に触れ、心臓がバクバクなってうるさい。


「(いつもよりハードルは低いはずの行為が、一番恥ずかしいってどういうことだよ!)」


 心臓の音が夜に聞こえるんじゃないかと気が気ではなかった。必死に心臓の音を抑えるように、口を閉じる。


「正人くん」

「……なんだ?」

「ありがとう」

「ん」


 夜はその一言だけ伝えると、そのまま眠りについてしまった。

 俺はというと、朝になるまで結局眠ることはできなかったのだった。

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