07 優等生と真昼の昔の話

 中学3年の夏休み、それは俺にとって地獄そのものだった。なぜなら、父親からはプレッシャーをかけられていたからだ。


「いいか、正人。高校受験で失敗したら、家を追い出すからな」

「はい」


 まぁ、結局その後父親から家を追い出されたのだが……俺にとって受験は絶対で、落ちたら未来はないものだと思っていたのだ。

 中学最後の夏休みが始まり、朝から晩まで俺は塾へ行って必死に勉強をした。

 結果が全ての世界で、俺は生き残りたかったからだ。


 そんな感じで中学生最後の夏休みを過ごしていた、ある日のことだ。

 いつものように朝から自習室に来て勉強していた俺は、喉が渇いて一階にある自販機に向かうことにした。外を見れば真っ暗になっていて、どうやらいつのまにか夜になっていたようだ。

 窓の外をボーッと眺め、階段へと向かう。

 一階に行くには、俺がいつも授業を受けている教室近くの階段を利用するのだが、教室からすすり泣く声が聞こえてきた。俺は気になって、ゆっくり教室の扉に近づいた。教室を覗くと、中には1人の女の子の背中が見えた。どうやらうつむいているのか頭を下げ、体が微かに震えていた。教室にはその少女しか居なかったので、泣いていた女の子はこの子で間違いないだろう。

 なぜ女の子は教室で泣いていたのか? 推測するに、テストの成績が関係しているのではないかと考えた。なぜなら1時間前にテストの答案がこの教室で返されたからだった。それとも授業終わりに先生に呼ばれて何か成績のことは言われたか……。よくあることだった。


「(まっ俺には関係ないか)」


 それに相手も泣いているところを見られたら嫌だろう。扉から離れ、階段の方へ向かおうとした俺。しかし、予想外のことが起こった。


「絶対に見返してやる!!」

「っ!」

「バカ! バカ! バカァァア!!」


 突然、女の子が声を上げたのだ。

 俺は女の子の声に驚いてしまい、扉に手が当たってしまった。ドンッと音が鳴り響く。


「誰!?」

「(しまった!)」

「ぐすっ誰かそこに居るの?」


 女の子がこちらを振り返る。メガネをかけた女の子で、髪をおさげにしている。おとなしそうな印象を受ける女の子だった。

 女の子と目が合う。女の子は俺のことを鋭い目つきで睨んできた。


「出てきて」


 こうなってしまってはしょうがない。大人しく扉を開けて教室に入る。教室のエアコンが消してあるのか、少し蒸し暑く感じた。


 俺は女の子の目を見つめ返した。女の子の目は真っ赤で、頬には泣いた跡がついている。


「見ないで」

「あっご、ごめん」


 見つめ過ぎてしまったのだろう。女の子に怒られてしまった。たしかに、見つめ過ぎていた。

 女の子は泣いた跡を消すように、手のひらで拭った。


「何、盗み見してたの?」


 女の子の声は冷たかった。当然だ、盗み見されたらいい気はしないだろう。


「ご、ごめん。泣き声が聞こえて、気になったからさ」


 俺がそう言うと、女の子の顔が真っ赤に染まった。


「……その、聞いてた」

「何を?」

「い、今の言葉」


 頭の中で女の子の声がループされる。ううん、これはなんと返答を返したらいいのだろう。嘘をつく? でも、嘘をついてもバレるよな。本当のことを言うしかない。


「えっと聞こえました」

「うぅ」

「ご、ごめんなさい」


 女の子は恥ずかしかったのか、机にそのまま顔をうずくめてしまう。俺はあたふたするしかなくて、どうしたらいいか分からず、女の子のいる席に近づいた。


 机の上にはテスト用紙が置かれていて、持っている時に力が入り過ぎたのか横がふにゃふにゃになっている。


「……テスト、点数が悪かったの」

「えっ?」

「テスト見てたから、気になったんだと思って」


 女の子は持っていたテスト用紙を俺に見せてきた。どうやらそのまま話を変えたいみたいなので、俺はその話に乗ることにした。


「まぁ、たしかに目についたけど。用紙がふにゃふにゃだし」

「握りすぎちゃった」

「えっと、どうして?」

「うぅ」


 女の子はもじもじと足を動かすと、ゆっくりとした口調で話し出した。


「先生に言われたの。進路変えた方がいいって。テストの点数悪いから」


 要するに女の子は最近テストの点数が思うように伸びず、先生から進路を変えた方がいいと言われたようだった。


「ずっと行きたい高校があって、頑張ってずっと勉強していたの。でも、最近うまく行かなくて……先生からもやめたほうが良いって言われて、どうしたらいいか分からなくて」

「それで、泣いてたと?」

「うん……」


 女の子の目にじんわりと涙が溜まる。


「最近私焦ってるの。焦って勉強して上手くいかなくて……」

「……」

「なにやってるんだろう私、志望高に行きたいのに」


 女の子の気持ちが痛いほど分かった。

 俺の場合は今後の生活に関わるから、どうしても合格したかった。そしてこの女の子は、どうしても志望校に入りたかった。


 理由は分からないけど、けどどうしても入りたいという気持ちが伝わってきて……俺もこの子のように焦っているんだろうなって思った。焦って勉強して、不安になって。


「(焦っても、仕方ないのにな)」


 俺は感情移入してしまったのだろう、この女の子に。

 俺は女の子の前の席に座ると、女の子の方を向いた。


「テスト、どこが分からないの?」

「えっ?」

「俺、この教科得意だから、教えられるところあると思うんだ」

「でも」


 女の子は考えているのだろう。見ず知らずの人に教えてもらっていいのかと。

 

「気にしなくていいよ」


 俺は安心させるように女の子に笑いかけた。


「誰かに教えることで、自分の復習にもなるからね」


 俺はそう言うと、テストに書かれた問題を指差した。


「ここの問題なんだけど、こうした方が解きやすいよ。ちょっとノートとペンを借りてもいいかな?」

「う、うん」


 女の子からペンとノートを借りると、そこに分かりやすく計算式を書いていき、ノートを女の子の方に向けた。


「だから、ここがこうなってこうなるんだ」

「! そっか、だからそうなるんだ」

「よし、この問題の解き方は分かったね。じゃあ、次にいこう」


 それから俺は、ばつ印のついたテスト問題を簡単に説明した。


「わっ!」


 最初女の子は申し訳なさそうな顔をしたけど、だんだんと目が輝いていった。分からなかった問題が分かって、興味を惹かれたのかもしれない。

 そして最後まで解き終わり、気がつけば1時間が経過していた。


「すごい、分からなかった問題がとっても分かりやすい!」

「あはは、それならよかったよ」

「あの」

「うん?」


 すると女の子は膝の上でギュッと手のひらを握りしめると、真剣な顔で聞いてきた。


「どうやったら、あなたみたいに勉強ができるようになるの?」


 俺はうーんと考えた。


「まぁ、俺の場合はとにかく時間がありさえすれば勉強してるかな。だから、勉強ができるようになったんだと思う」

「……私もやってる。私、勉強の才能が無いのかな」


 シュンっと落ち込む女の子。今にも泣きそうな顔をしている。俺は慌てて言った。


「俺だって勉強の才能は無いよ。なんとか努力で埋めている感じだし」

「けど、難しい問題もサラサラ解いてた」

「それは、工夫したからだよ」

「工夫?」

「そう。ずっと勉強やってると覚えないといけないことってたくさん出てくるから、簡単に覚える方法を実践したんだ。楽しく覚えられるとなお良しだね」

「そんな方法あるの?」

「あぁ、たとえば鎌倉幕府っていつできたか知ってる?」

「たしか1185年、だよね」

「正解。ただそのまま覚えると、他の年数とごっちゃになって混乱しちゃうと思うんだ。だから間違えないように、楽しく覚えられるように工夫するんだ。1185年を語呂で読むとどうなる?」

「イイハコ」

「そう、語呂で読むとイイハコになる。他にも本能寺の変は1582年だからいちごぱんつだったり、刀狩りら1588年は以後(15)刃は(88)はないだったり、ほら工夫すれば簡単に覚えられる」

「たしかに、面白い」

「あぁ、工夫するのは悪いことじゃないんだ。勉強を続けられることが大切だしね。色んな教科でも工夫して覚えられるんだ」

「うん!」

「あっそれともう一つ大切なことがある」

「なに?」

「それは、焦らないことが大切なんだ」


 女の子はビクッと肩を揺らした。そして、不安そうに俺を見つめてきた。


「私、焦っちゃうの。焦って上手く頭に入らなくって」

「……たしかに焦る気持ちも分かる。俺も人のこと言えないけど、受験がもうすぐだって思うと焦って勉強が上手くいかなかった。けどさ、焦ることも大切だけど焦りすぎたら上手くいかないと思うんだ。視野が狭くなったり、ミスをしやすくなったりするしね」

「うっ」

「あはは、図星って顔してるね。それじゃあ、焦りを無くすにはどうしたらいいのか? 結論、自分を認めるんだ」

「自分を認める?」

「そう、できない自分を認めて紙に書き起こすんだ。どの問題が苦手なのか? どうすれば解けるのかってね。まぁ、すぐには焦りは消えたりしないけど、徐々に視界が開けてくると思うよ。後、もし早く焦りを治したいなら深呼吸もおすすめだよ。落ち着けるしね」


 俺は自分で調べ、試している方法を女の子に話した。女の子はうんうんと頷きながら、メモ帳に俺の言ったことを書いている。


「本当に、ありがとう。あなたの言ったこと、試してみる」

「うん、ぜひ試してみてよ!」


 俺はそれだけ言うと、座っていたイスから立ち上がった。


「さてと、俺はそろそろ自習室に戻るよ。自分の勉強しないといけないからね」

「あの、お礼」

「お礼は気にしなくていいよ。俺がしたくてしたからね……受験互いに頑張ろうね」

「うん!」


 俺たちは手を軽く振りあうと別れた。


「さて、俺も勉強頑張るかな」


 焦っていたのは、俺だけじゃ無いんだ。そう思うと、さっきよりも気持ちが軽かった。


「あの子、入りたい高校に入れるといいなー」


 次の日、再び女の子をお礼を言われた。


「どういたしまして」


 俺たちの関係はそれで終わった。というのも受験で忙しかったからだ。あの子がどうなったのか、俺は知らなかった。



 そして俺たちは再び会うことになったのだが……まさかあの女の子が小日向さんで、小日向さんが俺と同じ高校を志望していたとは。


「驚いた?」

「うん、すごく」

「あはは、私もすごく驚いちゃった。まさか多田くんが同じ高校に居るんだもん。頑張ってよかったって思ったんだ」


 小日向さんは、自分の髪を人差し指に絡めながら言った。


「受験も死ぬほど頑張った。それとまた多田くんに会った時にきちんと気持ちを伝えられるように練習して、多田くんに好きになってもらえるようにおしゃれも頑張った」


 正直ドキッとした。俺に気持ちを伝えるために、小日向さんが頑張っていたということを知ったからだ。そのひたむきさに、胸を動かされた。

 けれどそれと同時に、俺の中でなぜ? っという気持ちが膨らんでいく。


「ごめん、よく分からないんだけど……なんで小日向さんは俺のことが好きなの?」

「えっ」

「その、好きになられる要素がないと思うんだけど」


 頬をポリポリとかきながら、俺は小日向さんの返答を待った。小日向さんはというと、少し考えた顔をした後、フッと優しい顔で笑った。


「多田くん、自分を卑下し過ぎだよ」

「そうかな?」

「そうだよ。でも、そんなところも私は好きなんだと思う」


 優しい顔で笑った小日向さんは、思い出す仕草をしながら天井を向いた。


「私が多田くんを好きになったキッカケは、困っていた私に勉強を教えてくれた時なんだ。私、驚いたの。世の中にはこんなに優しい人が居るんだって。そしたら胸がドクンってなって、熱くなって……私はこれが何なのか分からなかった」


 俺は話さず、ジッと小日向さんの話に耳を傾けた。


「それからしばらくたって恋だって気がついたの。私、多田くんに恋したんだって。本当は多田くんとたくさんお喋りをしてみたかった。でも、受験中だったからそれはできなかった。同じ高校を受けるって他の人から聞いて、受験終わったら話しかけようって思ったけど、緊張しちゃって上手く話せなくて。笑顔も浮かべられなくてムスッとしちゃって……」


 どうやら俺の前だけムスッとした顔をしていたのは、緊張していたかららしい。

 それから小日向さんは俺になんとか告白しゆうとしたけど、気がつけば1年が経っていたとか。


「それで、この間ようやく告白できた。すごく嬉しかった」


 そう言って、小日向さんは安心したように笑った。

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