05 優等生は夜に諭される

 あれから小日向さんとお昼を食べるようになり、少しずつだけど仲良くなっていった。


 最初の時はあまり雑談とかしなかったけど、互いに ポツリポツリと話すようになっていった。好きなものや得意なこととか。


「多田くん」

「たーだくん!」

「多田くん!!」


 相変わらず小日向さんのアタックは止まらず、人目を気にせず小日向さんがアピールをするもんだから、周りからは注目の的。

 しかし、小日向さんのひたむきさに感化されたのか周りからは俺たちのことを応援されるようになっていった。

 なんだか外堀を埋められているような気がしないでもない。小日向さんが頭脳派なのか、それとも天然でやっているのか分からない。


「多田くん、今日こそは一緒に帰ろう」


 教室から出ようとした時、目の前に小日向さんがいた。小日向さんはスクールバッグを肩にかけ、俺の顔をジッと見つめた。


 最近、小日向さんから一緒に帰ろうと言われる日が増えてきた。

 けど、帰る場所が繁華街のホテルということや、これ以上自分の情報を出したくなかったので断り続けていた。


「ごめん、一緒には帰れないんだ。それに小日向さん、俺と帰り道が逆方向じゃないか」

「なぜ知ってる」

「べっ別につけたりしてないから!? 帰り道が一緒になったことないから逆方向かなって思って」

「安心して、多田くん。私、あなたがストーカーみたいなことしたと思わない」


 むふふっと笑いながら、なぜか嬉しそうな顔をする小日向さん。


「なんでそんな嬉しそうな顔をしているの?」

「だって、多田くんが私のこと知っていてくれたから」

「えっ?」

「興味が無かったらクラスメイトの家が逆方向なんて知ろうとしない。知っていてくれたということは、少しは興味あった。それが嬉しい」


 小日向さんは小さいことでも嬉しそうな顔をして笑う。今まで俺の前で笑ったことがなかったから、そんな小日向さんは新鮮だった。


 おはよう、ありがとう、また明日と言っただけで嬉しそうに笑う彼女。俺にアタックし続ける彼女はとても健気で、だからこそ周りは彼女を応援しているのかもしれない。


 小日向さんの笑顔は、まるで太陽のように明るい。見ているだけで眩しく、俺なんて霞んでしまいそうだった。


「(はぁ、小日向さんをどうしたらいいんだろう)」


 俺は最近、そんなことばかり考えていた。付き合う? 俺なんかと付き合ったら彼女が不幸になることなんて目に見えて分かっている。


 突き放す? そんなことすれば、優等生像が崩れてしまう。なら、どうすればいいのか?


 好きな人が居るからって断ればいいのかもしれないけど、なぜか小日向さんと離れるのが嫌な自分もいる。


「(なんなんだよ、俺は)」


俺は誰であろうと線引きを徹底する。父親でも、クラスメイトでも、友達でも……唯一俺の懐に簡単に入り込んできたのは夜だ。夜はするりと俺の線の内側に入ってきた。

 しかし、最近は小日向さんまでもが線を越えようとしている。


「……今日も帰れないんだ。ごめんね」

「そっか、ならしょうがない。けど私、諦めない」

「あははっ」


 グッと拳を握ると、小日向さんは何かを決意するかのようにコクリと頷いた。


「それじゃあまた明日。多田くん」

「うん、バイバイ。小日向さん」


 手を軽く振りながら教室の中に入っていく小日向さん。俺は小日向さんに手を振りながら靴箱にそのまま向かう。


 線引きを超えられるのは怖かった。自分の全てを知られるんじゃないかって。


「……」


 でもなぜだろう? 嬉しいと思ってしまう自分もこの時いたのだ。


「なに考えてるんだ、俺は」


 頭を横にふり、今浮かんだ考えを消すかのような行動をする。


 俺なんかが、彼女と一緒に居てはいけない。




「すごく疲れた顔をしているけど、どうしたの?」


 いつも利用するピンク色の壁に覆われたホテル。

 そのホテルのベッドの上に腰掛け、ただ流れるテレビ番組を観ていると、不思議そうな顔をして夜が話しかけてきた。

 俺は「別に」と答えながら、チラッと夜を見る。

 彼女はブカブカ男物のワイシャツをワンピースのように着ている……いわゆる彼シャツというものだった。

 夜は行為が終わると、俺のシャツを拾い、着た。そして、


「どう? 彼シャツ。ときめいた?」


 ニコニコした顔でクルッとその場で回った。回った反動でヒラヒラとワイシャツの裾が揺れ、下着が見えそうで見えないギリギリのラインを保っていた。


 俺は何か見てはいけないものを見る気分になり、見るのをやめた。


「ありゃ、お気に召さない?」

「別にお気に召さない訳ではないけどさ」

「けど?」

「いや、なんか見てはいけないような気分になってさ」

「ふーん、別に見てもいいのに。だって、君を照れさせるためにやってるんだし」


 そう言うと、夜はワイシャツの裾の両方を持ち上げ、ゆっくりと上にあげた。


「か、勘弁してくれ」

「ふふっ君は相変わらず面白いね。だって、あんなことしてるのに、これだけで照れるなんて」

「い、いや、行為の時は夢中だから、恥ずかしいとかないんだよ」

「嬉しいことを言ってくれるね。だって、それだけ私に夢中になってくれたってことでしょ?」


 夜は俺の隣に腰を下ろす。ベッドが揺れる。 夜は俺の手からリモコンを取り上げると、そのままテレビを消した。


「でも最近、なにか別のことも考えてるよね? さっきも言ったように疲れた顔もしているし……なにかあったの?」

「だから、別に何でもないって」


 俺は近くにあったペットボトルの水を持つと、グイッと中身を飲み込んだ。


「わかった。さては、女の子が絡んでるでしょ」

「ぶーっ!?」

「ふふっ大丈夫?」


 まさか言い当てられるとは思わなかった。そんなに俺は、分かりやすい顔をしているのだろうか?

 ケホケホっと咳き込み、変なところに入った水を吐き出す。ティッシュを何枚かとると、そのまま床を拭いた。そして水分を含み、重くなったティッシュをそのままゴミ箱へ捨てる。ティッシュを捨て終えた俺は、夜に向き直った。


「お、女の子の悩みとかないから」

「じゃあ、なんで水を吐いたの?」

「それは急に言われて、驚いただけで……」

「嘘。君の目、女の子って言った瞬間動揺してた」

「うっ」

「ふふっ、なにか悩んでいるんでしょ? 私に話してごらんよ」


 夜は手を伸ばすと、俺の頭を優しい手つきで撫でてくれた。温かくて、とても懐かしく感じた。昔、母親に頭を撫でてもらった時の同じようだった。


「……実はクラスメイトの女の子に、告白されたんだ」

「へー」

「断ったんだけど、ずっとアタックされていて、そのっどうしたらいいか分からなくて」


 俺は夜に、小日向さんとのことを簡単に説明した。夜はうんうんと頷きながら、俺の話を聞いてくれている。

 夜は俺の話を聞き終わると、フッと笑った。


「ふふっ正人くん。そんないい子、滅多に居ないよ。付き合っちゃえばいいのに」

「いやでも、彼女に申し訳ないというか」

「申し訳ないっていうのは?」

「それは……」


 夜に対して、あまり自身の身の上話をしたことがなかった。夜とはただ行為を共にするだけの関係だったからだ。俺は迷った。夜に身の上話をして、迷惑をかけてしまうのではないかと。


「まぁ、君が何かあったってことは予想できるよ」

「えっ」

「君は普段から大人っぽい服を着ているけど、どう見ても"高校生"くらいに見える。そんな君が毎晩夜の繁華街をうろついてるって、ホテルに泊まってるって何か親とあったとしか考えられない。それが彼女と付き合うことへの妨げになってるんじゃないの?」


 図星だった。

 でもそれと同時にそれもそうかと思った。俺は"普通の高校生"とは違う。

普通の高校生は深夜繁華街をうろつき、家にも帰らずホテルに泊まるなんてことしない。


「正解、まぁ分かっちゃうよな」

「うん。私、結構人を観察しているからそういうの分かっちゃうんだ。まぁ、最初会った時から訳ありだろうと思ったけど」

「よく、そんな訳あり男と繋がったな」

「それは、君が私を助けてくれた魅力的な人だったから。それだけじゃダメ?」

「いやっ」


 俺は首を横に振る。

 訳ありの俺でも夜は側にいてくれた。そして、俺のことを聞かないでいてくれた。

 

「迷惑をかけるとか考えなくていい。話したいこと話してみて?」


 俺は夜にそう言われ、自分の身の上話をした。母親が数年前に亡くなってから、父親の態度が変わったこと。父親が家に恋人を連れ帰るようになったこと。父親の恋人から言い寄られていること。父親から嫉妬で、暴力を振るわれていること。そして、1万円札を渡されたこと……全てを話した。


 夜は俺の話を聞き終わると、そっと言った。


「なるほど。ありがとう、話してくれて。辛かったね」

「別に辛くない」

「そうなの?」

「あぁ、むしろ今の生活の方が楽なんだ。うるさい父親も俺に構ってくる父親の恋人もいないからな」

「たしかに、君の話を聞いたらそうだね。今の生活の方が君にとって自由だからね。でも、納得がいったよ」

「なにが?」

「君がなんで深夜の繁華街を徘徊して、探しものをしていたのか。当然といえば、当然だったのかもしれないね」

「夜には、なんでもお見通しなんだな」

「ふふっ私はなんでも見通せるんじゃなくて、ただ人より"観察"が得意なだけなんだ。観察して、推測する。そうするとある程度のことが分かったりするんだ。たとえば、瞬きが多い人っているよね? そういう人は、緊張しているから瞬きが多くなってしまうんだ」

 

 夜は俺の顔を見ると、目をぱちぱちと閉じたり開いたりした。


「まぁ、瞬きする理由にはいくつかあるんだけど、その人の状況、態度なんかを推理すれば見えてくるものがあるわけなんだ」

「なんだか、事件を解決する探偵みたいだな」

「ふふっありがとう。じゃあ、私が探偵なら君はワトソン、助手役をしてもらおうかな」

「それも面白いかもしれないな」


 想像してみた。探偵の装いをした夜が捜査をし、犯人を暴いていく姿を。そして俺はその横で探偵の助手としてサポートをしている姿を。


「まぁ、残念ながら私の推理は事件を解決できるものじゃないから、探偵はできないね」

「そうなのか」

「うん、っと話がズレちゃったね。つまり私が言いたいのは、その子と付き合っても大丈夫だよってことを言いたかったんだ」

「いや、でも俺は」


 すると夜が人差し指を伸ばし、俺の唇に当てた。


「たしかに君は特殊状況下に居て、相手に迷惑をかけてしまうんじゃないかって考えるのも当然だよ。だけどね、だからと言って"自分の幸せ"を棒に振ることはないんだ。君は悪くないんだからね。だから、でも俺はって自分を卑下する必要なんてないんだ」

「……」


 夜の言っていることは正しいのかもしれない。俺は今まで、相手に迷惑をかけるのではないか? と考えてばかりいた。だって"優等生"はそんなことをしない。"優等生"は、完璧でなくてはいけなかったから。

 でも夜に言われ、自分の幸せについて一切考えてこなかったなっと思った。優等生になれと言ったのは父親で、父親の援助を受けるためにはこれからも優等生を演じなくてはいけない。けど、優等生になった先には一体何があるのだろう? 天国? それとも地獄?


「どうやら君を悩ませてしまったみたいだね。けど君は忘れないでほしい。君は幸せになっていいんだ」

「そうか……」

「ゆっくり考えていけばいいよ。まぁ、聞いてる限り、その女の子となら君は幸せになれると思うよ。君のことを考えてくれる優しい女の子みたいだしね。君に必要なものをくれると思う」

「うん」

「だから、私との関係を切りたかったらいつでも言ってくれていいよ? 私はいつでも、切られる準備はしておくからさ」


 そう言いながら夜は、後ろからベッドに倒れ込んだ。うーんと言って、腕と足を伸ばしている。


「(まぁ、俺たちは元々簡単に切れる縁だしな)」


 いくら体を重ねているとはいえ、俺たちは恋人でも友人でもない。それに相手のことも連絡先もよく知らない。だからこそどちらかが消えればそれまでの関係なのだ。


 けれど俺は胸がモヤモヤした。たしかに簡単に切れる縁だけど、夜には助けられたのは事実だ。それに何度も体を重ねてきた仲だ。


『だから、私との関係を切りたかったらいつでも言ってくれていいよ? 私はいつでも、切られる準備はしておくからさ』


 だから簡単にそう言われると、寂しい気持ちがあった。そう思ってはいけないって分かっているはずなんだけどな。


 俺は夜に察せられるのが嫌で、リモコンを持つとボタンを押し、テレビをつけた。どうやらドッキリ番組のようで、テレビには楽しそうにドッキリを見て、笑っている芸能人の姿が映った。


 その笑顔を見ていると、なんだか今の自分とは正反対で楽しそうだなって思った。


 俺はジッとテレビを見続けた。夜はベッドに寝転びながらスマホをいじっている。


 そのまま深夜になっていった。そして俺たちはいつものように別れた。振り向きはしない、俺たちは"そういう仲"なのだから。


「はぁ、あまり夜のことを考えないようにしないとな」


 けれど考えれば考えるほど、その日は夜のことが気になって仕方がなかった。深夜の繁華街を歩きながら、俺は考えを振り切るかのようにいつもの自動販売機へ行き、いつものジュースを買った。そしてジュースを飲み、気分を入れ替えたのだった。

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