01 優等生は"夜"と出会う
「私は夜って言うの。助けてくれて、ありがとう」
手のひらを差し出しながら、女の子はそう言った。女の子の名前は、夜というらしい。
夜の笑顔に惹かれていた俺は、一瞬答えるのが遅れてしまった。慌てて差し出された手に自分の手を重ねて、名前を名乗った。
「お、俺は多田正人。どういたしまして」
「へぇー、正人くんって言うんだ。よろしくね、正人くん。あっ私の名前、呼び捨てでいいからね!」
夜の手を握ると、夜の手はひんやりとして冷たかった。少しビクッとなった俺の体を見て、夜が楽しそうに笑う。
「ふふっごめんね。手、冷たかったよね。ずっと外にいたから冷えちゃってね」
「ずっと?」
「うん、ずっと。待ち合わせ1時間前に来ちゃったからね」
夜の話を聞いて、俺はおっさんと待ち合わせをしていた理由が頭に浮かんだ。夜はおっさんと待ち合わせをして、パパ活をしようとしていたのではないかと考えた。
パパ活とは、いわゆるおっさんと食事やデートなどをし、お金をもらうというものだ。
ここら辺ではパパ活が流行っていて、よく若い女の子が待ち合わせをしているのを見かけたことがあった。だから、夜もそうじゃないかって思ったのだ。
「パパ活だって思ったでしょ?」
「!?」
「ふふっやっぱり図星だね。残念、私はパパ活をしに来たんじゃないの」
人差し指をクルクルと回しながら、夜は空を見上げた。
「あのおじさんと、繋がろうと思ったの」
「は?」
一瞬、夜が何を言っているのか理解ができなかった。繋がる?
繋がるって性行為ってことだよな? どうしてまた……。
「金銭無しでか?」
「そう、金銭無しで。だから、パパ活じゃないんだ」
「じゃあ、おっさんがタイプとか?」
「うーん、おじさんだけがタイプって訳じゃないかな。私、好きになった人がタイプだし」
「(じゃあ、なんであのおっさんと繋がろうと思ったんだよ?)」
不思議に思っていると、夜は人差し指を口に当てて「しぃー」のポーズをした。そして、俺の顔を見つめると、ゆっくり口を開いた。
「君にだけ教えてあげる。実は私、処女を捨てようと思って、あのおじさんと会ったの」
「えっ?」
「ネットで知り合ったんだ。でもあのおじさん会ったら高圧的だったし、年齢も20代ってサバをよんでいたから「嘘じゃん」ってことで帰ろうとしたの。そしたらおじさんにキレられて、口論になっちゃったんだ」
「……」
「あーあ、ようやく処女を捨てられると思ったのになー。残念だなー」
夜はとても残念そうに、眉毛を下げていた。本人的には残念だったらしい。
俺は理解ができなかった。なぜ彼女が処女を捨てたがっているのか、夜は何をしたかったのか。
「(まっ関係ないか)」
俺は夜から少し事情を聞いてしまったが、彼女を助けただけの他人だ。だから彼女の話は、俺には関係ない。
「まぁ、繋がりたいのは勝手だけど。今回みたいなことになるかもしれないんだから、気をつけろよな。他人の俺が言うのもなんだけど」
「……」
「じゃあな」
俺はまた当てもなく、繁華街の中を歩こうと足を踏み出した。
「ねぇ、正人くん」
「ん?」
のだが、夜が俺の袖をクイッと引っ張った。不思議に思って振り向くと、夜は黒い瞳に俺を映した。
「私と繋がらない?」
「は?」
「だから、私と繋がらない?」
意味が分からず聞き返したら、とんでもないことを言われてしまった。開いた口が塞がらなかったと思う。
「はっはぁ?! 意味が分からないんだけど!」
「だから繋がろうって、つまり性行為」
「いや、そういう意味じゃなくって!」
「あぁ、君と繋がりたい理由ってことね。理由ならあるよ」
次の瞬間、夜が後ろから俺の体を抱きしめてきた。温かさと、柔らかい感触に俺の体は真っ赤に染まる。
「身知らずの人を助けちゃうようなお人よしで、優しくて、顔もまあまあカッコいい。話していて君になら初めてをあげてもいいかなって思ったの」
「お、俺はそんなの興味な……」
「興味ないなんて嘘だよね? 顔真っ赤だよ?」
「っ!」
夜の言う通りだった。顔が熱くて仕方がなかった。なぜなら、あまり女の子の免疫がなかったからだ。
「しょうがないだろ。免疫ないんだから!」
俺は恥ずかしさを堪えながら、夜に向かってそう言った。夜の体が少し揺れる。きっと笑っているのだろう。
「やっぱり君最高だよ! ねぇ、私と一緒に初めてを乗り越えてみようよ」
「だっだから、俺は!」
ひんやりとした手が俺の手を掴む。ぎゅっと握られ、手を振り解きたかった。けれど、手を振り解くことができなかった。
だって、
「正人くん、君の探していたものきっと見つかるよ」
「えっ?」
俺は夜に自分の探し物を見透かされていたことに、動揺してしまったから。
「君がこんな真夜中の繁華街を歩き回って探してたもの。君がなぜって考えていたもの。私なら君に教えてあげられる。だって、あなたが私と繋がることで"それ"を見つけることができるんだから」
夜は一体どんな顔をして、そんなことを言ってきているのだろうか。きっと口角を上げ、手のひらの上で俺を転がすつもりなのだろう。
「私と繋がるのか? それとも繋がらないのか? 君はどうしたい?」
夜は2つの選択肢を出しているが、きっとこう言いたいのだろう。
"もし繋がらない選択をすれば、君の探し物は見つからないよ"ってことを。
「俺はーー」
俺に選択肢なんてない。
なぜって? 俺はこんな真夜中の繁華街を歩き、得体の知れない悩みの理由を探していたからだ。
なぜ最近眠れなくなったのか?
なぜ真夜中の繁華街に出ただけで安心したのか?
「さぁ、君はどっちを選ぶのかな?」
俺は答えるかのように、彼女の冷たい手を握り返した。
「教えてくれるんだろ。俺が探していたものを」
*
四方ピンク色に染められた部屋があった。その部屋には簡素なテレビと、ダブルサイズのベッドだけが置かれていた。真っ白く、いくら動いても丈夫そうなベッドだった。
「本当にいいんだな」
「うん、構わないよ。だって、この時をずっと待っていたんだよ」
その部屋には若い男女の姿があった。青年の問いに対して、少女は嬉しそうに顔を綻ばしていた。青年は顔を赤く染めながら、頬をかく。
「じゃあ、始めようか」
「あ、あぁ」
少女はそう言うと青年の首に手を回し、少しつま先立ちをし、青年の唇に短いキスをした。
青年は初めてのキスだったということもあり、初めてのキスの感触に戸惑っていた。が、何度も何度も少女から落とされるキスに、だんだんと感覚が麻痺をしていく。
「(もう、どうにでもなれーー)」
青年は少女を抱きしめ返すと、今度は自分からキスを返した。
「はぁ、はぁ」
激しくなっていくキスに、互いの口から息が漏れる。そして気がつけば青年は少女をベッドに押し倒していた。
少女の艶やかな黒い髪は真っ白なベッドに広がり、とても映えていた。
少女の姿に見惚れていると、少女は青年と繋がった口から出た唾液を愛おしそうに見て言った。
「正人くん、早くきて」
青年は少女の服に手を伸ばした。
*
いつからだっただろう。俺がホテル生活を始め、眠れなくなったのは?
眠れない毎日を過ごしながら学校へ行き、ホテルに帰れば勉強。その後、疲れているはずなのに眠れない。
そんな日々に悩んでいたのに、その日はぐっすりと眠れてしまった。朝起きると、いつもとは違い体がとっても軽かった。頭が冴え、いつもより勉強が捗りそうなくらいだった。
彼女は言っていた。繋がれば探していたものが見つかるって。
半信半疑な部分もあったが、悩んでいた睡眠については解決した。まぁ、なぜ繋がっただけで眠れたのかは分からないけどな。
「はぁ……」
"繋がった。しかも、知らない女の子と"。その事実が頭を埋め尽くす。まさか、知らない女の子とこのような関係になってしまうとは思わなかった。昨日のことが頭に浮かび、カッと体が熱くなる。
「優等生が、何やってるんだか」
俺は少しでも熱くなった体を冷やすかのように、手のひらを額に当てた。熱い額を触りながら、チラリと部屋の中を伺う。部屋にはベッドの中で裸の姿で横たわる"俺だけ"がいた。
「夜はどこに行ったんだ?」
朝目を覚ますと、夜の姿は消えていた。
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