第46話 愛してオムライス(1)


「オムライスの作りかた、教えて」


 千枝子さんに朝ごはんをごちそうになった後。

 私に向かって、海斗くんはそう言い出した。

 お父さんは早々に畑に出て、千枝子さんはお皿を洗っている最中である。


「オムライス?」


 きき返すと、海斗くんは頷く。


「昨日の夜、なにが出来るかなって考えてて……由実さんが好きだったなら、作ってあげたいと思った……」


 訥々と告げる海斗くん。

 目の下には、クマが残っている。

 昨日も、あまり寝れていなかったのかもしれない。

 私は勿論、頷く。


「きっと喜んでくれるよ」

「……うん」


 私は早速、千枝子さんに伝えて、キッチンを使う許可を取る。

 そのまま最も近いスーパーに出て、材料を買い揃える。

 由実さんの実家での、料理教室が始まった。



   ◇ 



「指示だけして。全部、自分でやるから」

「わかった」


 決意の証とはいえ、私はそのイヤイヤ期の子供みたいなセリフについ微笑んでしまう。

 エプロン姿の海斗くんは新鮮で、かわいらしい。

 千枝子さんも後ろで彼の行動を見守ってくれている。


「まず、料理を始める前に切るべきものは全部切っておきます。包丁の持ちかたは大丈夫?」

「家庭科で習ったから……多分……」


 彼は自信なさげな雰囲気を醸しながら、包丁をぐっと握る。

 もうちょっと怖い。


「じゃあ最初は、玉ねぎを切ろうか」


 彼は、私の指示を受けて、玉ねぎと一緒に指を切ろうとした。


「わ、ちょ……! ストップ! 猫の手ね! こう指先を丸めて……」


 慌ててレクチャーに入る。

 彼は、素直に私の言うことに頷いて真似をする。

 良い生徒である。

 しかし、スリル満点である。


 その後も、何度か流血寸前の危機に見舞われながら、海斗くんは、なんとかすべての食材を切り終えた。

 私は額の汗を拭う。

 ここまで、ほぼ一時間。

 一瞬も気が抜けなかった……


「よし……よくできました。じゃあ、次はケチャップライスを作りましょう。フライパンを火にかけて、バターを溶かす」


 ひとつずつ海斗くんに指示を出して、炒め物をさせていく。

 その様子を見ていた千枝子さんが、感心したように言った。


「小町さん、お料理上手なのねぇ。プロの料理人さん?」

「い、いえいえ! これはただの趣味で! 全然大したことはなく……」

「……上手ですよ、すごい」


 フライパンを真剣な表情でかき混ぜながら、海斗くんが告げる。


「お姉ちゃんのご飯はおいしいし、なにより、元気をくれます……」


 ケチャップに混ぜ合わされた具材たちが、火の上で踊っている。

 私は、感慨深くなった。

 想いは届いていたらしい。

 マンションに通ったあの日々は、無駄ではなかったらしい。


「お姉ちゃん……このくらい……?」


 はっと我に返る。

 フライパンの上には、パラパラに解かれたケチャップライスが出来上がっていた。


「うん! じゃあ、それは先にお皿によそちゃって。次はいよいよ卵だね」

「卵……」


 彼は神妙に頷く。

 オムライスの上に乗るオムレツは、言わば主役である。

 そして彼は、ふわとろの作成を所望していた。

 あれを綺麗に作るには、多少のスキルと慣れがいる。

 先ほど包丁の扱いを覚えたような彼に、果たして作れるか……


 私はまず全工程を説明してから、彼にフライパンを託す。

 緊張の面持ちで、彼は卵液を流し込んで、菜箸でかき混ぜる。

 すると……


「あ、穴が……」


 卵の底に穴が空いてしまった。

 ここから修復する技もあるにはあるが、彼には難しいので、練習だと思って続行してもらう。

 表面が崩れたスクランブルエッグもどきが出来上がった。


「うまくできなかった……」

「これ、私のお昼ね」


 へこむ彼に私は笑いかけて、崩れたオムライスの皿を手にする。

 元よりそのつもりだった。

 一発でできたら、過去の私が嫉妬する。


 次のターン。

 慎重にかき混ぜたことにより、今度は卵液に穴を開けずに来れている。

 あとは折り畳んでいくだけ、なのだが……


「ぅ……」


 彼がうめき声を上げる。

 卵の端が破れてしまった。

 火の通りがまばらだったらしい。

 覗きに来た千枝子さんが笑う。


「これはおばあちゃんの」

「すいません……」

「大丈夫よ。お父さんの分もあるから、あと二回失敗できるわよ」

「ほんとすいません……」


 彼はその後もやりがちなミスをして、きっちり二回分を消化した。

 しかし、なにも進歩がなかったわけじゃない。

 ひとつずつ、学んでいる。


「焼き具合はこのくらいで……ここで火から離して……慎重に……」


 今までの反省を声に出しながら、手を進めていく。

 とても真剣な表情で。

 まっすぐな想いを込めて。


 フライパンの上に、黄色の鮮やかな楕円の宝石が現れた。

 中身は半熟を維持しながら、表面には傷ひとつない。


「できた……!」


 海斗くんがキラキラと輝く瞳で私を振り返る。

 私はなんだか、泣きそうになった。


「おめでとう! 完璧だよ!」

「由実さん、喜んでくれるかな……」

「こんなに頑張ってくれたら、絶対嬉しいよ」


 私は太鼓判を押す。

 千枝子さんが目を細めて私たちに言った。


「じゃあ、お仏壇にお供えしようか」



   ◇ 



 和室の仏壇で、私たちは手を合わせる。

 経机の上には、湯気の立つ美しいオムライス。

 朝から調理を始めて、もうお昼時になっていた。

 随分時間はかかったけれど。

 心のこもった一皿だ。


「……どうして由実さんは料理してたんだろう」


 ふと、隣で海斗くんが呟いた。

 その目は、仏壇に置かれた写真にじっと注がれている。

 写真のなかの由実さんは、話に聞くような快活な笑顔をみせていた。


「やってみてわかったけど、料理ってすごい大変……俺、こんなの毎日やるなら、お手伝いさんに任せようって思っちゃう」

「あなた、由実と同じこと言うのね」


 前に座っていた千枝子さんが、おかしそうに振り返る。


「同じ……?」

「由実もね、最初泣きべそかいてたのよ。全部、お手伝いさんに任せたいって」

「え……? なら、そうすれば……」

「でも、寂しそうだったんだって。海斗くんが」


 お線香の煙が上る仏壇。

 その前で、千枝子さんは母親の顔をしていた。


「海斗くん、まだ前のお母さんのこと引きずってる気がするからって。お父さんも忙しくて帰ってこれない日も多いから、せめて温かい食卓は作ってあげたいって」

「俺の……ために……」

「でも、全然不評だって悩んでたわ。ぶきっちょだからねぇ、あの子。ごめんね、付き合わせちゃって」

「いえ……」


 海斗くんが苦しげに首を振る。

 痛切な声がきこえていた。


(俺は本当になにも……なにもわかってなかったんだ……大バカ野郎だ……)


 愛に気づいたところで、応えるべき相手はもういない。

 どんな想いも、もう届かない。

 唇を噛みしめる彼の後悔が、私の心にまで染みて、痛かった。

 彼は、仏壇に向かって頭を下げた。


「……今まで、ありがとう。俺、一人でもちゃんと頑張るから」


 顔を上げる。

 こちらに笑いかける写真に向けて、息を深く吸って――


「お母さん」


 それは、海斗くんがずっと言えなかった一言だった。



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