第45話 辿ってどらやき(3)


「ほら、見てこれ!」


 夕食を御馳走になったあと。

 千枝子さんはどこかに引っ込んだかと思ったら、分厚い本をいくつも持ってきた。

 開けば、かわいらしい子どもたちと、若いご両親の写真が出てくる。

 家族アルバムだった。


「これが由実。変わってないでしょう?」


 指で指し示した先には、赤い服を着た幼女。

 会ったことのない私には当然わからないけれど、海斗くんは感嘆したように呟いた。


「ほんとだ……」

「これは、三歳の誕生日のときね。お兄ちゃんと一緒に写真撮ってると、絶対前に出るのよあの子。お兄ちゃん隠れちゃってかわいそうってみんなに言われてた」


 千枝子さんはページを捲っては、嬉しそうに話をする。

 海斗くんも、興味津々という様子でアルバムを追っていた。

 かわいいとは思うけれど、当然他人の私は二人の話には入っていけないので、少しお茶を飲む。


「血みどろです、この写真」


 お茶を吹きそうになった。

 家族写真に血みどろという単語が現れることなどあるだろうか。

 まさかと思って覗き込むと、確かに先ほどより少し成長した由実さんが口から服を真っ赤に染めて大泣きしている姿があった。

 ハロウィンか緊急事態かの二択だが、千枝子さんは愉快な過去を思い返すように笑った。


「これはケチャップ」

「……すごいぶちまけましたね」

「あの子、オムライスが大好きでねぇ。自分でケチャップ出そうとしたみたいなんだけど、気づいたらこんな状態になってて。昔からまぁびっくりするほど不器用でねぇ……」


 海斗くんからも不器用ときいていたけれど、レベルが違ったらしい。

 出るわ出るわ、娘の不器用エピソードの数々。

 千枝子さんから次々披露されるその逸話の強烈さに驚いていると、外に出ていた誠さんが戻ってきた。


「あ、お父さん。おかえり」


 千枝子さんが声をかける。

 しかし、彼はチラッとテーブルの上に視線を投げると、


「おぉ」


 と言って、立ち去ってしまった。

 

「あの、騒がしくしすぎましたかね……」


 私が不安を覚えて尋ねるも、千枝子さんは首を振る。

 疲れたような、諦めたような、そんな表情で。


「お父さん、まだ嫌なのよ。思い出話するのが」


 急に現実に引き戻されるかのようだった。

 そうだ。

 今楽しく話していたのは、すべて故人のこと。

 もう会えない人の思い出なんだ。


「子供を庇ってなんて、あの子らしいとも思ってるから……私なんかは、沢山思い出してあげたいんだけど」


 千枝子さんは、頬杖をついてアルバムのページを捲りながら、私に話を向ける。


「小町さんは、どこまできいてるの?」

「あ、いえ、そこまで詳しくは……交通事故だとはききましたけど……」

「車を運転してた人もね、急性心不全。若い人だったし、お子さんもいて、向こうのご家族もビックリしたみたい」

「……つらい話ですね」


 救いがない。

 轢いたほうも被害者。

 どちらも報われない。


「ご家族のかた今でも謝りに来てくれるしね。由実が助けた子も、ちゃんと歩道を歩いてただけ。本当に誰も悪くなかったのよ。だから、悔しいんだけどさ」


 重い沈黙が流れる。

 私は、苦しい心の声に呑まれそうになりながらも、時間が来ていることを意識した。

 元々、私たちの予定は日帰りだった。

 海斗くんを親もいない場所に一泊させるのは、さすがに気が引けたためだ。

 なにかあれば、また来ればいい。

 そろそろお暇を告げようとしたそのとき、千枝子さんが立ち上がって言った。


「さ、お風呂湧いてるから、先入っちゃって」

「あっ、いえいえ! 私たちは帰りますので……」

「えー? もう和室に布団敷いちゃったわよぉ」


 参った。

 奥さまの瞳は、私たちが泊まっていくことを明確に望んでいた。

 海斗くんを返すまじという意気を感じる。

 ていうかそもそも、和室って。

 それ、一部屋に布団二枚敷いてないか……?

 そりゃ、墓参りの付き添いに、血の繋がりもない他人の女がついてきてるなんて思わないだろうから、迎える側としては自然な対応なのだけれど。

 私が不自然な存在なのが圧倒的に悪いのだけれど。

 でもさすがに、同じ部屋で一晩過ごすのは……

 しかしだからといって今更、二部屋にして、なんて断ったら、それはそれでいかがわしいような……


「あ……ぅえっと……」


 モゴモゴしながら、海斗くんをチラッと盗み見る。

 彼は、瞬時に私の意図を理解してくれた。

 力強く頷くと。


「予備校なら休めるから……」


 違うんだ海斗くん……!

 私は膝から崩れ落ちそうになった。

 明日の予定を気にしているわけじゃないんだ……!

 思わず渋面を晒してしまった私に、海斗くんは不思議そうにする。

 彼が顔面を沸騰させるのは、その数時間後のことである。



   ◇ 



 暗闇に目が慣れる。

 二人で同じ部屋に寝ることを、互いにようやく受け入れられたのはつい先ほどのこと。

 今の私は、隣に寝る海斗くんに背を向ける形で横向きになっている。

 布団は、密かに離しておいた。

 くっついていたら私が寝られん。


「お姉ちゃん……もう寝ちゃった……?」


 申し訳無さそうに。

 街灯からの光だけが差し込む室内に彼の声が響く。


「寝てないよ。どうしたの?」

「その……なんか寝つけなくて……」


 頭のなかのイマジナリー美波が、おい寝かしつけてやれ! 一緒の布団に入るチャンスだ! と騒いでいるが、ここは和室である。

 和室には仏壇があり、仏壇には由実さんがいる。

 できるかそんなこと。


「寝れるまでお話しようか」

「……ありがとう」


 私は仰向けになって天井を見上げる。

 家全体はしんと寝静まっていて、暖房の動く音だけがきこえていた。

 住宅街には車の音さえしない。

 私たちの住む都会とは違う、田舎の夜だ。


「俺、由実さんのこと本当になにも知らないんだなって、今日身に染みてわかった」


 海斗くんの呟きが、部屋の壁に反射して耳に届く。


「うん」

「実家も、こんなに歓迎してくれると思わなかった。もっともっと、嫌われてるものだと……」

「優しかったね、ご両親」

「孫だって言ってくれた……そんな風に考えてくれてるなんて知らなかった……」


 海斗くんの声が小さくなる。

 私もゆっくり瞬きをする。

 複雑な運命に堕とされた彼が、少しずつ息をしていく様が感じ取れる。


「由実さんともっと話したかった……由実さんの口から、昔の話とかききたかった……」

「うん」

「俺、由実さんになにができるんだろう……いなくなってから考えるなんて、遅いけど……」

「……そんなことないよ」


 天井に向かって言い聞かせるように、私は力を込めて繰り返す。


「そんなことない」

「……うん」


 彼の側から、寝返りを打った音がする。

 私も、布団に少し深く潜り込む。

 静かな眠りが訪れた。



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