第43話 辿ってどらやき(1)


 海斗くんとの二度目の遠出は、当然ながら、三崎港のときとはまるで雰囲気が違った。

 東京駅で新幹線『はやぶさ』に乗り、北を目指していく。


 目的地に近づくにつれ、海斗くんの手はずっと小さく震えるようになってきた。

 励ますように、手のひらを重ねる。

 仙台についたら、由実さんの実家に向かい、そのままお墓まで案内して貰う予定だった。

 事前に連絡もしてある。

 それは、他人の私でさえ怖くなる旅程だった。

 故人と真正面から向き合うことになるのだから。


「……俺、由実さんのこと、そんなに知らないんです」


 見知らぬ土地の景色が流れ去る車窓を後ろに、海斗くんは呟いた。

 油断すれば列車の走行音に紛れてしまいそうなほどかすかな声量だった。


「四年も一緒にいたのに……好きな食べ物はなにでとか、子供の頃はどういう人でとか。なにもきいてなくて……」

「あんまり話さなかったの?」

「俺からはね……由実さんは、よく話しかけてくれてた……だから引いちゃったんだけど」


 彼は過去を振り返るようにゆっくりと瞼を閉じる。


「結構肝っ玉タイプっていうか、色々口うるさくて、暑苦しくて……学校のことよくきいてきたりするから、あんまり得意じゃなかった……」

「葵さんと反対なのね……意外……」

「俺も、最初来たときビックリした……」


 海斗くんも苦笑しながら同意する。

 葵さんは誰が見ても深窓の令嬢という感じで、儚げで、物腰柔らかな人だったから。

 再婚相手が真逆では、子供が驚くのも当然だろう。


「ご飯もあんまり上手じゃなくてさ。それなのに、自分でできるだけ作ろうとしてて。お手伝いさんもいるんだからって言っても、やめないの」


 そう話す彼は、どこか楽しそうにする。

 手の震えは、いつの間にか収まっている。

 いい思い出もあるということだろう。

 その様子に、少し私はホッとする。


「どういうのを作ってくれたの?」

「……覚えてるのは、肉じゃがかな。少し不思議な味だったけどおいしかったからそう言ったら、三日間続けて肉じゃがだった。他はもう全然上達しなかった。そもそも不器用だったんだと思う」


 彼は述懐する。

 車内はアナウンスもなく、客も少なく、まるでここには私たちしかいないかのように物音がしない。


「大雑把で、健気で、明るくて……いい人だったんです、由実さんは。だって、普通血も繋がってない反抗期の面倒なんて嫌だよね……でも、由実さんは正面から関わってくれた。底抜けにいい人で、優しい人。だからお父さんは選んだんだって、今ならわかる……」

「か、海斗くん……?」

「なのに……」


 その瞬間、私は彼から流れてきた強い感情に危うく手を離すところだった。

 初めて感じる、海斗くんの悪意。

 それは、自らに向けた強い憎しみだった。


「俺は、あの人にずっと冷たく当たってた……あの人が家にいるだけで、お母さんとの思い出にズケズケ踏み込まれてる感じがして、嫌だったんだ。本当にただの八つ当たりで、辛く当たって、泣かせて……きっと由実さんは、轢かれる前に俺のこと恨んでただろうなって思うんです」


 そんなことない――と言えたらどんなに楽だったろう。

 でも、私は由実さんのことはなにも知らない。

 そして、彼のなかから届く自分を責める声をきいてしまえば、部外者の私に言えることなんてひとつもなかった。

 電車が、ゆっくりと速度を落としていた。


「謝りたい」


 海斗くんがこぼした言葉は短かった。


「もう遅いのはわかってますけど、由実さんに謝りたいです」

「だから会いに行くんだね」


 頷く。


「今度は、俺が由実さんに向き合わないといけないんだ」


 新幹線は駅に着くと、ホームをゆっくりと進み、やがて息をつくようにドアを開けた。

 数時間ぶりに外に出た私たちは、二人して駅名を見上げる。

 ――仙台。

 彼の継母の生まれ故郷だ。



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