第42話 ついてきてポトフ


 季節は徐々に春へと近づいていく。

 平日昼間でも、子供たちの遊ぶ声がきこえる。

 春休みを迎える学校が増えてきたのだろう。


 海斗くんと顔を合わせなくなって、ずいぶん長い時間が経った気がする。

 彼のいない生活は刺激がなくて、料理以外がすべておざなりになりつつあった。

 普段の服装は寝巻きのまま、どこへ行くにもすっぴんのまま、美波との定例会は月二回に変更。

 仕事の勉強をするも、心は頻繁にマンションのほうへ奪われてしまって、身にならない。

 心にぽっかり穴が空いてしまったようだった。


 連絡があったのは、そんな頃合いだった。


 ――お姉ちゃん


 久しぶりのことすぎて、私は思わず通知があったスマホを前に目を疑っていた。

 あれ、今、私は夢を見ている最中だっけ……?

 キッチンに立ちすくんだまま、考える。

 背後ではポトフ鍋がゴトゴト沸騰している。

 自分の正気を疑っている間に、もうひとつメッセージが出現した。


 ――今って、お時間ありますか? ちょっとお願いがあって


 いや、夢でも現実でもなんでもいい!

 震える指で、もちろん! と返すと、


 ――今からお姉ちゃんのとこ行きます。多分、十分もしたら着きます

 ――了解!


 答えると、彼からのチャットはそれ以上襲来しなくなった。

 段々と現実感が戻ってくる。

 すると、私はようやく、自分が今なにに了解したのかに気づいた。

 ……待って⁉

 じゅ、十分⁉

 私、寝巻きだし化粧もしてないでしょうに……!

 慌てて彼に電話をかけてみるも、既に外出の用意を始めてしまったのか、出てくれない。

 コンロの火を止めて、慌てて寝室に飛び込んだのは言うまでもなかった。



   ◇ 



 玄関先に彼の顔が現れたとき。

 不覚にも、涙がこぼれそうになった。

 彼はしばらく見ないうちに、随分やつれてしまっていた。

 元々細かった体躯は更に痩せ細り、一回り小さくなったようにも感じる。

 それでも、あの雪の日に消えてしまった生気が、今の彼の瞳には宿っていた。


「お久しぶりです……」

「……うん、久しぶり」

「ご迷惑をおかけして……すいません……」


 頭を下げる彼に、私は目を細める。

 戻ってきてくれた。

 それだけで……


「来てくれて嬉しい。入って。ちょうどスープを作ってたから、食べてってよ」


 私は彼を迎え入れる。

 彼は元のように礼儀正しく、お邪魔しますと断って玄関に上がった。


 私はスープと呼ぶには具だくさんなポトフを、彼の前に出す。

 元々、今日の夕食の汁物として持っていく予定だったものだ。

 出来てすぐのものを食べてもらえるのは、いつぶりだろう。


「で、どうしたの? お願いって言ってたけど」


 彼に向かって尋ねる。

 海斗くんは――想像より熱かったのだろう――ジャガイモを割って冷ましながら、私におずおずと申し出た。


「その……恥ずかしい話なんだけど……」

「うん」

「俺を仙台に連れてってくれませんか……?」

「……仙台?」


 彼は頷く。

 私は急に出てきた東北の都市名にポカンとしてしまった。

 海斗くんと仙台に、なんの繋がりが……?

 私の心のなかを読んだかのように、彼は続ける。


「その……由実さんの実家が、仙台にあるんです」


 ……理解する。

 そうだ。

 彼が今動くとしたら、由実さんのこと以外にはないのだ。


「うちにいたの数年だから、お墓も実家のほうに入ってて……だから……」

「お墓参りに行きたい、ってことかな」


 私が言葉を継ぐと、彼は再び頷く。

 萎れた花のような力の無さだった。


「本当は、自分で行こうと思ってたんだけど……どうしても、一人だと怖くて……」

「ついてくよ」


 間髪をいれずに、彼に告げた。

 彼は顔を上げる。

 長く伸びてしまった前髪から、黒曜石のような瞳が私を見つめる。


「本当に……?」

「もちろん。どこにでもついてくよ、海斗くんが必要なら」


 私の伝えたいことが、届いたのだろうか。

 彼は潤んだ目を擦ると、不器用に頭を下げた。


「ありがとう……よろしくお願いします……」




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